「永遠に」をでかく考えると、
「果たして永遠とは存在するのか?」
などと考えるようになって、お題からズレてしまう。
ちっちゃいタイプの永遠について考えてみたい。
人間は永遠に憧れて発展してきたところがある。
永遠に生きてみたい。その考えによって寿命が延長され、長く生きられるようになった。
しかし、生きるというのは苦しみと寄り添うことである。
日本は物価高で、金銭的貧富の格差があり、時代とともにどうしても縮めようと試みても差は開くばかりだ。
思ったのは、人は「永遠」に取り憑かれているから、生きづらくなったのではないか。という、単純な思考的結論である。
これは頭の悪い子供に多く憧れがちだ。
長く生きたいと強くそれを望み、後世の人たちはそれに対して真剣に取り組んだ。
結果、時間的に長く生きられ、科学も発展して娯楽がたくさん生まれてきている。すべてを見ることは数十年前から無理だろう。
永遠に取り憑かれたから、余剰産物を生み出し続ける。これは、人間がそこにある限り続けられるもの。つまり「永遠」。
だから、未成年たちに皺寄せがいっているのだ。
未成年たちは、永遠に取り憑かれていないから、早く死にたいなどと言って、死にたくなって死ぬ。
そんなことを誰かが言うのである。
これが頭の悪い子供の単純な思考的論理である。
でも、未成年は別に永遠がどうとか考えたことはないと思う。永遠があってもなくても関係ない。
多分、永遠が当たり前に存在し過ぎていて、麻痺しているのだ。
まあ、つまり。
話は変わるけど。少子化対策って、子供がなるべく死なないようにするために、子供を大事にすることらしいけど、そんなこと、やってないよね。
ご存知の通り、人間社会は永遠を継続するために生きているのだから、少子化対策なんて「一時的なもの」するわけがないじゃないですか。
そんなの、子供たちがやってください。
そういうメッセージを受け取り続けている「あたりまえの永遠」にさっさと気づいてください。
子供たちに言ってるんですよ。
11/2/2024, 1:09:38 AM