「時を告げる行列」とやらに並んでみた。
ポストに入っていたチラシを見るに、場所は新宿駅の真下にあるという。駅ビルの地下街だろうか。
というより、時を告げるとは、何だろう。
私は疑問を解決しにいった。空席状況の目立つ電車に乗り、世界の迷宮たる新宿駅へ降りた。
フロアマップと家から持ってきたチラシ、双方を見比べながら、目的地の在処を比較検討する。
別に正確な位置を特定する必要はないのだ。
行列なのだから、どこかしらにぴょこっと最後尾が……あっ!
地下X階。だいぶ階段を降りたが、やっとそれらしきものが見えた。
ちゃんと「最後尾」と書かれたプラカードを持ったガールが立って、異様な長さの存在感を放っている。
私はその列の最後尾に並んだ。
それから、時間が経つごとに行列の順番待ちをする。
「時を告げる」とあるように、カフェの小さなチャイムが鳴るごとに一歩前に進む。
一人ずつ店内に入っているのだ。
これが「時を告げる」という意味なのか、と一人得心した。
ただ、何の店なのかはよく知らない。
初めはラーメン屋の人気店の名前だと思って来てみたが、ラーメンどころか美味しそうな匂いは漂っては来なかった。
飲食店ですらないのかもしれない。
例えば、有名な美容室だとか、ネイルサロンとか。地下街に惑わされてはならない。例えば温泉……とか?
想像が膨らみを持つ。
きっと到着すれば、何かしら知れると思った。
私の今の身分はニートという、世間でいうところの思想家に当たるので、時間があり余っている。
家でも、行列に並んで待つ間でも、思索をすることには変わらない。この行列の正体を知るまで、考え抜こうじゃないか。
……そういえば、お腹が空かないな。
「すみません、あとどれくらいですか」
最後尾を示すガールに聞いてみた。笑みを浮かべて答えてくれた。唇が妙に色っぽい。
「待ち人数はあなたでちょうど20人おりますので、うまく行けば20分で済むと思いますよ」
「なるほど、そうですか」
「ええ、寝ていればすぐです」
私は窓の方へふと向き、ひょっと、一瞬できた影を目撃した……ような気がした。
下から上へ、細く長く上がるもの。
普通に考えたらツバメか。
などと考えたが、地下街なのに外が見える窓があることに気づくべきだった。
そうすれば私も……うっ、なんだっ。
急に、眠く……。
そこにシャランとチャイムが鳴り、そこで意識は切れた。
「では、長い間おつかれさまでーす!」
20分後。気づいた。
ああ。なんで気づかなかったのだろう。
彼女の背中には、翼が。
そして、私は空に向かって落ちるように飛んだ。
貝殻の中に赤コインを仕込む。
レトロゲームで申し訳ないのだが、マリオ64の海ステージにてそういうのがあったと思う。
大半が水中のステージで、泡ゲージが切れる前に、パッカン……パッカン……、と閉開するタイミングを見計らって、薄ピンク色の貝殻の赤コインを集めるというものが何枚かあった。
あのときはただのプレイヤーだったので、ステージをこなすだけで終わったのだが、段々状に深くなっていく段差の、浅瀬の方にその貝殻のギミックが設置してあったなあ、と今思った。
沈没船は、ちゃんと海の底にあって、あるギミックをこなすとそこからゴゴゴ……、と音と泡を立てて浮上する。
「浮上する時間長いな……」
とか思ったりするのだが、すぐに浮上すると沈没船としてのムードというか、誇りというか、そういうものがない。
そういえば、みんなのトラウマであるウツボくんがいた。マリカーのどっかの水中ステージにて再登場を果たし、背に乗って走るだけという、単なる置物として置いてあったような気がする。
ちょっとお題から脱線事故を起こしてしまったが、大目に見てやってほしい。
カナヅチはカナヅチでも、トンカチなら貝殻なんて粉々よ。粉々に砕いて、砂浜に溶かしちまおう。
きらめきを口にして、苦労を吐き出すニンゲンの横を過ぎ、彼は歩く。
こんなニンゲンにはなりたくないものだ。メデューサにより身体を石にされてもなお、口元には銀色の粉が付着している。
唾液が干からびて、何かしらの物質が析出したのか。あるいは、彼のように自由の妖精にイタズラされたか。
彼のように、自由に歩ける人間は限りがある。この世界の大半のニンゲンは、動けない石像になった。
石像でその場に固まった者たちは、みな思い思いの表情を張り付け、嘆き・苦しみの表現をしている。
メデューサのせいだ。
彼は、苦々しい味を我慢した。
メデューサのせいだ。
徘徊するメデューサ。
どこにいるのかわからないメデューサ。
怪物。不死なる存在。
故に、生を知らず時間を知らず常識もニンゲンも知らず。
「死にたくない」と口にした者たちの前に現れては、そのきらめきを叶えるゾンビと化した。
メデューサになりたいと願う者もいるのだろう。
メデューサは一人ではない。
「そう、ひとりじゃない」
彼は独り言を言い、また石像の隣をすり抜けた。
へその緒が繋がれた赤ん坊を抱いた、娼婦の寝姿だった。
些細なことでも、少し思考を巡らせて哲学したほうがいいという。
例えば、そこのゴミ収集所のペットボトル。
ウチのところは、ペットボトルだけ収集所のあみあみに入れるタイプである。飲み終わったら軽く中身を洗って、ラベルとキャップを取って、ポイ。
収集日はマジで知らない。
いつの間にか、かさが減っている。
黄色のあみあみのなかで、大小さまざまな使用済みのペットボトルが乱雑に入れられている。
下だったり上だったり、斜めだったり。
ペットボトルがパズルピースの一部みたいに見える。
ペットボトルのピースでペットボトルの透明さを映し出している。キラキラだ。
それのどこを見ても、フォルムは立派だ。
そう、ちゃんと凹んでいない。
脚でふみふみしてないのだ。
それにキャップもついているのも多い。
色つきのラベルだって。多分コンビニか自販機買いの奴が、飲み干した途端に捨てているのだ。汚いぞ。
ペットボトルのふみふみ。
容積が減って、かさが減るので、効率的に収集しやすい。
そういうが、それでもちゃんと持っていってくれるということは、どういうことなんだろう。
うーむ、謎だ。
やっぱりやらなくていいことがあるってことにしよう。そうだそうだ。
些細なことは、暇な人たちに考えてもらおうとしました。
僕たちはヒマでないので、おウチでひましてる連中を脚でふみふみしてやるのだ。
夏休みはもう終わり。なのに、自由研究や読書感想文などをやってないでいる人たちをお仕置きして、ペットボトルのように丸洗いしてやるのだ。そうしたら、透明になってキラキラする。
心の灯火をつけるためのチャッカマンを手に入れた。
ふふふ、これで放火とかしてやるぜ、とおウチから出て散歩することにした。
道を歩いていると、犬に紐を引っ張られてどっちが飼い主なのかわからない人がいた。
片腕を持ってかれあれよあれよという風になっている。
心の灯火を千里眼を持っていないながら目を凝らしてみた。意外と見えるものである。胸元に小さい炎がちゃんと燃えていた。
こういうのは満員電車だろう。
少年は普段はしないはずの早寝早起きをして、早朝のホームにいた。
列をなして電車を待つ彼らはみな、顔の表情筋が死んでいたが、少年の期待に反して心の灯火はついている。
てっきり消えているもんかと思っていたのだ。
学生もいた。こんな早い時間帯なのに。
たぶん朝イチに朝練をやっているブラック部活に参加しているのだろう。
しかし、彼らもまた心の灯火は消えていない。逆に燃えたぎっているのだ。なぜかは知るべきではない、と少年は去った。
そうだ、夜ならどうだ。
帰宅ラッシュ時なら、1日の疲れとともに心なんて……、と案に相違して誰も心の灯火が消えているものは見かけなかった。
休日、精神科のクリニックに寄った。
たしかに灯火の弱った者が多かったが、灯火とはこのような弱さだよな、と少年は感じた。
チャッカマンでつける必要はなさそうだ。いずれ自分で気づいて、薪(たきぎ)を焼べて炎を大きくするだろう。
そうしていろいろな人の灯火を見ると、どうしてもという気持ちが強くなる。
カチッと、チャッカマンのスイッチを押した。
先端に炎が灯る。
意外と白っぽいなと思った。
火というより、光のよう。
そう思ったからか知らないが、ジブリのハウルみたいに炎を口元に近づけていって、口で飲み込む動作をした。
肌は透けているような感じで、一滴の炎の雫が舌、喉、胸を通り、身体の中心に収まった。
すると、少年は今までに感じたことのない強い揺れに備え、それを一心に感じた。
チャッカマンを持つ理由がない。
それを投げ捨てて、走り出す。
少年はどこかへ去っていく。
残されたチャッカマン。
それを拾う、別の人。
「ふふふ、これで放火とかしてやるぜ」
無敵の人は、その灯火の色を一生知らないでいる。