花にも花言葉にも詳しくはないけれど、
この花の花言葉は知っている。
単に、どちらにも「忘れ」という単語が
入っているから覚えやすかっただけだ。
「私を忘れないで」…か。
その人の意識の中に、自分が存在している
という事は、単純に嬉しい。
いるだろうか、私の事を覚えてくれている人
また、私に「自分の事を覚えていてほしい」
と思っている人。
できれば、「忘れないで。」と言わない、
そういう縁を繋ぎたいものだ。
「勿忘草」
子どもの頃は、どれだけ高く漕げるか、
いつも友達と競っていたっけ。
力いっぱい、膝を曲げて、
なかなかの速さで漕いでいた。
今にして思うと、あんなスピードで、
よく怖くなかったものだと思う。
まあ、それが子どもというもの。
危険の予知などせず、後先も考えず、
ただ高く漕ぐ事に夢中だった。
近所にある公園は、昔は遊具が結構あったが、
老朽化なのか、どこかから苦情でも出たのか、
いくつかが取り壊されてしまった。
その中で、ブランコは今でも残っている。
雪の多い地域だからなのか、冬になると、
鎖を束ねて支柱に巻きつけている。
子どもがふざけて乗らないようにだと思うが、
雪がとけたら、また子ども達の元気な声が
聞こえてくるだろう。
かつての自分がそうだったように、
子ども達も、その時をきっと楽しみに
待っていることだろう。
「ブランコ」
「青い鳥」という童話。
お金持ちを羨む兄妹が、魔法使いに頼まれて、
青い鳥を探しに旅に出るのだが見つからず、
実は家にいた自分たちのハトがそれだった。
詳しくは知らなかったのだけど、
幸せは、意外と自分の近くにある、という
話なのかな、と思った覚えがある。
私が幸せを実感したのは、そう遠い昔の事では
ない。
病気をして、人並みの生活が出来なくなって
それでも少しずつ良くなってきて、感情が湧き、
人らしい生活に戻ってきた頃、
眠れて、食べられて、動ける。これが本当に幸せ
だ、とはっきり思った。
これほど強く思った事は、後にも先にも無い。
通院は、まだ続いているけれど、それから悪化
することも無く、ずっと人らしい生活を送って
いる。
私は今、幸せだ。
「旅路の果てに」
好意はあった。
でも、好きにはなれなかった。
「好きって言って。」と言われたけれど
言えなかった。
ごめんね。嫌いじゃないんだよ。
ただ、自分に、あなたに、嘘は
つけなかったんだ。
あなたの気持ちには応えられなかったけど
いやとか嫌いとかじゃなかったんだよ。
それだけは伝えたい。
「あなたに届けたい」
本やコミックスを読んでいると、
また読み返したくなる文章やシーンに
出会う時がある。
時折りページをめくっては、泣いたり
笑ったり。愛読というやつだろうか。
いなくなった飼い猫をやっと見つけた
飼い主の号泣シーン。「私の可愛い子…」と。
探偵の助手が、その相手はヤバいから
手を出すなよ!と探偵から言われ、
じゃあ足ならいいのでは?と蹴り上げ、
「とんちやってんじゃねえんだぞ!
学の無い一休さんか!」と。
今でも笑ってしまう。
心の病気を抱える芸人が、苦しみの中、
大泣きしながら何とか仕事に行き、
その日の夜中に、相方から来たFAX。
「簡単なことはするな。つまらないから、
俺もそれはしない」
自死という言葉を使わなかった相方の優しさに
それまでとは明らかに違う涙を流した。と
記されている。
人の心を揺さぶるのは難しい。
何気ない言葉でも、自分の中に残るというのは
とてもすごい事だ。
また、そういう文章やシーンに出会いたいと
思う。
「I LOVE…」