昔、仕事で心を病んで退職をした。
症状の感じ方は、私は言葉では表せないと思っている。
つらいとか、苦しいとか、周りに伝えるためには、そういう言葉を使っているのであって、本当はそんなふうに表せるものではない。
あの感覚は、当然ながら、本人にしか解らない。
今はもう、症状が出なくなってだいぶ経つけれど、あの感覚を、私は忘れることが無いように思う。言葉にならない、あの感覚を。
「言葉にならないもの」
わが家の冷凍庫は、ちょっと調子が悪くなってきている。
氷は作ることが出来る。冷凍食品もきちんと保存出来る。ただアイスが固まらないのだ。
と言っても、かき氷系は大丈夫(氷が作れるから)。アイス「クリーム」が長いこともたないのだ。
私は、シャーベット系より、ほぼアイスクリームを食べるので、長いこと保存することが出来ず、買って入れてあまり時間をおかずに食べなければならない。
楽しいおやつの時間なのに、急いで食べなければならないなんて、なんか違うだろう。
先日も、チョコモナカを買ったのだけど、少し冷凍庫に入れたのち、取り出して食べてみたが、若干柔らかくなっていた。パキッと割れないのだ。板チョコモナカのくせに。
それからだんだん柔らかくなって、最後にはバニラクリームが手に落ちた。
夏なのに、私はアイスクリームが食べられない。固いまま食べられるのは、10月くらいではないか、と予想している。そんな、秋になってから食べられる、ってねぇ。ずいぶんな季節外れのおやつだ。
今、固いまま食べるとしたら、買ってすぐ車中で袋を開けるしかない。でも、それはそれで食べづらい。いつもお茶と一緒に食べる私は、そんな事は出来っこないのだ。
「こぼれたアイスクリーム」
私の心は、どの方向を向いているのだろう。
そしてその先には、何があるのだろう。
希望?未来?過去?後悔? ……
いろんなことに心は揺れ動く。針が定まることは無い。
願わくば、私の心が、穏やかで平和な生活の方向を指し示してほしいものだ。
「心の羅針盤」
「またね」良い言葉だね。
また会えるっていう未来があるもんね。
それが、男女が別れる時の逃げ言葉になるときもあるけれど、それはまた会える未来が消えたのを意味するから、悲しいよね。
できたら、未来が見える方の言葉でありたいね。
「またね」
学生の頃、片想いしていた時は、夏休みにその人に会えないので、なんというか、やきもきしていた。
会いたい、と思ったけれど、さして一緒に遊ぶほど仲良くもなく、連絡することなんかありもせず、ただ学校が始まるのを待っていたと思う。
そういう意味でも、夏休みというのは長いものだった。
「8月、君に会いたい」