未曾有のウイルスが蔓延して、
私達の生活は一変した。
外出自粛を余儀なくされて、
人は街からいなくなった。
ニュースで見る街並みは異様だった。
仕事に学校、買い物さえも、
どうしても外出しなければ
いけない人達を、
時間短縮の営業に追い込まれた店舗を、
いわゆる「自粛警察」といわれる輩が
非難して、本物の警察が出動した。
そんな風に街は変わった。
今は、行動規制も無くなり、
街は、元の姿に戻って来ている。
駅前も商店街も観光地も、
これまでの時間を取り戻すかのように、
活気にあふれている。
未だ終息のきざしが見えない世の中でも、
人は、街に戻りたいんだ。
「街に出よう!」
何も気にせず出かけられるようになる事、
心から、願っている。
「街へ」
あの人は、優しい人だった。
いつも、私の取り留めのない
話を聞いてくれたし、
私には、男言葉を使わなかった。
食事も、イベントも、
時には、サプライズプレゼントも。
だから、ずいぶん良い気持ちでいたし、
たくさん甘えさせてもらったと思う。
いろんなイベントに喜ぶ私を、
あの人は、嬉しそうに見ていた。
けれど、私はどうだっただろうか。
あの人が優しくしてくれるのと同じくらい、
優しさを返していただろうか。
もちろん、そのつもりだったけど、
それは、相手が満足するくらいの
ものだっただろうか。
「また連絡するよ。」を最後に、
私達は会わなくなった。
あの人が、どういう思いで言ったのか、
それは分からない。だけど、仕事が
本格的に忙しくなってきたら、それで
その先は、もう想像できなくなったくらい
もろい繋がりになっていたのを、私は、
もしかしたらあの人も感じていたから、
それ以来、私達はなんとなく、
会うことが無くなった。
きちんと終わりの台詞を言わなかったのは、
私を傷つけたくないという
あの人の優しさだろうか。
そして「いつなの?」と聞かなかったのは、
仕事に忙殺されていく姿に、
邪魔してはいけないと思った、
私の優しさだったのだろうか。
「優しさ」
「夜」を表す言葉は、それぞれが
何時ごろ、という定義は無いらしい。
夜中、とか、夜半、とか、未明、とか。
私にとっての真夜中は、午前2時くらい。
真夜中の時間帯を、私は何だか
気にいっている。
何気に目が覚めた時、あるいは夢現の中で
目にする、耳にする、
暗闇の中で光る外灯、遠くに聞こえる
車の音、明かりのついているどこかの窓、
人々がおよそ眠っているなかで、
何かしらの生活が営まれている。
それが何だか好きで。
神秘的ですらある。
私も時には夜更かしをするけれど、
それは、日付が変わるか変わらないの頃。
神秘的な時間には、すでに夢のなか。
そんな私を置いて、真夜中は静かに時を
重ねていく。白く輝く陽光を迎えるために。
「ミッドナイト」
安心といえば「よかったぁ」
不安といえば「どうしよう」
真っ先に浮かぶのは、この2つの台詞。
できれば、「どうしよう…。」なんて
状況には出合いたくない。
難しくとも、いつも心が安定している
日々を過ごしたい。
近年まれにみる大寒波で、道路は凍結。
仕事に行くのが本当に大変だった。
まあ、車がスリップしないように気を
張っていたから、不安を感じる余裕
なんて無かったのだけど、
なんとか職場に着いた時は、
事故を起こさなかった事に「よかったぁ」と
自分も車も無事で安心した。
でも、道路の凍結は、まだしばらくは続くと
思われる。気温は、氷点下。
当分、不安や緊張と安心を繰り返すのかな。
身が持たないよ。
「安心と不安」
昔、旅行やイベントに持って行く
思い出の記録機器といえば、
私はもっぱらインスタントカメラだった。
ただシャッターを押すだけで、
必要なら、フラッシュをたいて。
「そこ、逆光になるから、場所変えて。」
写真撮影あるある、のセリフだったと思う。
今に始まったことではないけれど、
スマホのカメラ機能は大したものだと思う。
加工や修正で、自分の思い通りの写真が
あっという間に出来てしまう。
もちろん、それが悪いと言っているのでは
なく、カメラ機能をまったく使いこなせて
いない私からみたら、ただすごい事だと
思っているわけで。
旅行だ、カメラ買っていかなきゃ!と
勇み足で店に走った、あのインスタント
カメラ。
どんな機能があったのか、買わなくなった
今では、知る由もないのだけど、
シャッターを押す、ただそれだけを
繰り返していた、シンプルなあのカメラ。
もしかしたら、逆光さえも、何者にも
代え難い思い出なのかもしれない。
「逆光」