どうも占いによると日曜日に産まれた私は太陽っぽい人間らしい。
そもそも太陽っぽい人間って何やねん。
眩しい、元気、明るい、暑苦しい、うるさい。
ちょっと連想してみたものの、自分の目指している理想像とは程遠いもので。
クール、冷静沈着、落ち着いている、穏やか。
恐らく私とは生涯相容れないキーワードだろう。
人は自分に無い要素に憧れを抱く生き物だ。
今の私が正にそう。
太陽は太陽なりに良い所があるのだから自信を持ちなさいと言われても、暑苦しいものは暑苦しいのだ。
そんな部分を好きになれと言われても、それはまるでアレルギーのようなもの。無理に喰らうと命に関わるレベルで拒否反応が出る。
だから私は太陽は苦手だ。
しかし苦手なりに共存するしかない、半ば諦めにも似た感覚を抱く。
自分の中のアレルギーにも似たそれを抱えて、死なない程度に今日も生きる。
真白い鳩が勢いよく飛んでゆく。
地面を震わす大きな鐘の音。
平和に祈りを捧げる数多の人。
そこはかつて全てを奪われた土地。
そこはかつて一瞬にして地獄を生み出した痕。
平和を形作るその礎には必ず誰かの命が踏みつけられている。
わたくしたちはそのことをこれからもゆめゆめわすれてはならないのです。
取るに足らない些末な出来事。
しかしながらそのことが、後に大きな伏線となって人生という広い道にどかーんと寝そべっていることがある。
嗚呼あの時もっときちんとしておけば、話を真面目に聞いておけば。
人生とは往々にしてそんなもんである。
そして渦中の時には気付けない。つまらんと吐き捨てて、地面にぺちゃっと味の無いガムを踏み付けて。
後にそのガムに苦しめられる事になるのは吐き出した自分なのに。
恋愛は人のIQをがくっと下げてしまうそうだ。
確かに結婚も勢いと言うし、あながち間違ってはいないのだろう。
だからこそ私はペンを執る。
原稿上で恋に心踊らせる二人をもっと描いてみたいから。
午後二時半、ダメと言われる日を除いて彼女は毎日彼に会いに行った。
「今日はこんなことがあってね」
そんな取り留めのない話をする。彼は話をよく聞いてくれた。
「そうなんだ、うんうん」
相槌の打ち方、間のとり方、どれを取っても完璧だ。
聞き上手とは正に彼のことを言うのではないだろうか。
遺された彼には耳が残った。
「話をいつもよく聞いてくれる人でした」
彼の周りで人々が話す。
こちらを優しく見つめてくれる時も、瞼を閉じて息をしているだけの時もそう。
病室と聞くと私はこのエピソードを思い出すのです。