このお題に背中を押されて、エイっとLINEを送る。
送り先は高校時代の友人たちのグループと、最近久々に連絡取った会社の同期。
それぞれ返事が来た。
「会いたいね〜」
相手は違うけどどっちのLINEもそんな内容が返ってきた。
なんだかすごく嬉しい。
送る勇気をくれてありがとう。
私の当たり前は貴方の当たり前じゃない。
同じように貴方の当たり前は私の当たり前じゃない。
頭ではわかってるのに、なんだか実感出来なくて間違えることいっぱいあるんだ。
誰かと話したり、SNSを使うときは、ちょっと心のなかで深呼吸。
深呼吸して、もう一度考えて、やっぱりやめようってこといっぱいある。
話したいことも、呟きたいことも、書きたい話もいっぱいあるけど、言葉はやっぱり難しいから。
心の中で深呼吸して、心のなかでもう一度話しかける。
私の当たり前、それだけは続けていこう。
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もう一個書こうかなぁ。
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文字を読んでいるときに頭の中で勝手に声がつく。
あと、頭の中で勝手に物語が紡がれることが在る。
勝手に誰かの台詞が流れるからそれを出力する。
このアプリの出題されるお題も頭の中で誰かが主張するから、それを書いてみたりしてる。
これが私の昔からの当たり前。
これからも誰かの台詞、かけたらいいなぁ。
友達の話なんだけどね、
ぼくはきみからそう切り出される話を聞くのが好きだ。
きみが話してくれる「友達」の話はとても魅力的で
【思いついたらかきます】
あぁ、そうだ。
今年はどうします?
最近は半袖ですら暑くなったのか、タンクトップや和服やらで過ごしている傍らの腐れ縁の相手は言葉が足りないときがある。
主語や話の脈絡もなく放たれるそれは腐れ縁の中ではどうやら無意識のものらしく、注意や指摘をされたら一応直そうとしてくれるが未だに改善されてはいない。
今回のそれも無意識のものだったらしく、問いかけに少しだけ眉を顰めれば、キョトンとした後何かを察したのか、あー…という声とともに気まずそうに視線を逸らされた。
気づいたならいい。
「…気をつけます」
「いい。それよりさっきの話は何のことだ?」
「いや、あのですね。そろそろお盆が近いのでどうするのかなぁ、って思いまして。それに夏祭りも…」
あぁ、帰省か。
そういえばここ数年は感染症やら何やら色々あって自粛してたなぁと思い出す。
傍らの腐れ縁も同じような理由でかえっていなかったはずだ。
最近少しだけ緩和されてるようで、確かにかえるにはちょうど良いかもしれない。
「かえろうかと思うが」
「便乗します」
久々に盆踊り踊りたいです、なんていう背中に
「少しだけだが、花火もあがるそうだ」
と告げれば嬉しげな声が上がる。
「楽しみが増えましたねぇ」
「そうだな」
同意をすれば、珍しいと笑われた。
「……夏だからな」
「そうですねぇ、夏は暑いですから」
まだまだ突き抜けるような青さが広がる空に二人分の笑い声が響いた。
【一度書いたのが消えてオチ見失ったので…思い出したら追記】
それは例えば昔馴染みの二人が変わらず、隣同士に座ってラムネ味の氷菓子を頬張るような。
それは例えば2人から1人になった部屋での日々を重ね続けるような。
それは例えば誰かの幸せを願った存在を忘れずに居るような。
それは例えば紫陽花の花を隣で見て、競うように知識を教え合ったような。
それは例えば突然降り出した雨をチャンスだと思って声を掛ける勇気をもらうような。
それは例えば大好きな誰かのいる世界の幸せを護りたいと思うような。
それは例えば朝起きてカーテンを開けるそんな単純なルーティンをこなすような。
そんな、誰かにとっては他愛のない、
そして誰かにとっては大切な一日を過ごすことなんだろう。