お題【冬は一緒に】
春は引っ越し。父の仕事で見知らぬ地に降り立った僕は、見慣れない景色と昨日までいたはずの友達が不在の教室で買ったばかりの上履きの白が光る。
夏は雨。校外学習で予定されていた野外活動は、規模に似合わないかわいい名前の台風で吹き飛ばされる。
秋は気温差。気を張っていたのでしょうと老齢の医者が走り書きするノートには、高熱とせきの症状と記されている。
「早くしないと置いてくからな!」
玄関先でいつもより厚みのあるスノーブーツに手間取っていると、痺れを切らしたクラスメイトたちが笑いながら雪玉を握っている。去年までは見たこともなかった銀世界は、どうやら僕の知らない遊びが山ほどあるらしい。コートの前を閉めるのもそこそこに、手を振るみんなの元へ駆け出した。
「今行く!」
冬は一緒に。冬こそは一緒に。
お題【さよならは言わないで】
さよならは言わないで、電車を待つホームのベンチで君はそう呟いた。
あと数分で来る古びた列車に乗り込んだら君はこの街からいなくなる。まだマフラーが手放せない季節に、柔らかな日差しが一足早く春の気配を漂わせる。
その暖かさに溶けゆく雪のような別れを感じてしまい口数が減ってしまった俺に釘を刺すように君が言う。
「さよならって言葉なんかでお見送りするつもりだったの?もっと気の利いたやつあるでしょ」
ゆっくりとホームに滑り込んできた列車のドアが開く。車内で振り返った君に一呼吸置いて叫んだ。
「初給料で寿司奢ってくれよ!」
「あんた帰ったらぶっ飛ばすから!」
お題【光と闇の狭間で】
冷気を縫う光と暖かな暗闇、双方の誘惑の狭間で揺れる俺は何もできずにいる。無為に手元の端末をいじり出発時刻というタイムリミットが迫るのを待つだけ。
『あのラーメン屋唐揚げ増量中だって』
画面に滑り込んできた一言は、俺を光のなかへ向かわせた。
お題【微熱】
もう少し、あともう一踏ん張りしたいのに。目の前のディスプレイに映し出されているのは空白の多い書類データ。額に手を当てるとじわり、と奥から滲み出るような微熱が伝わってくる。タイピングへの集中を妨げるそれは普段なら煩わしいことこの上ない。
でも今日に限っては、なんだかちょっと嬉しい。
冷え込みが一段と強まる、息が白み始める、湯船の設定温度を少し上げる、そして風邪が流行り始めるこの時期。この体があらゆるものに負けじと機械のように働くからこそ出る微熱は、生を実感させてくれる。嫌いじゃない。
それはそれとして、会議直前はやめて欲しいかな。
【鏡の中の自分】
忙しい。手を止めたいがそんな暇は一秒たりともない。目がまわるとはこの事なんだろうと身をもって知る。こうなってしまうのは自身の要領の悪さが原因なのは分かってる、分かってはいるが。
「俺でいいから手伝ってくれないかなぁ」
厨房の隅に置かれた小さな鏡に向かってぼやく。行き来するホール担当との衝突防止に置かれたそれには、覇気のない顔が映っている。
「……いや、頼りなさすぎるだろ」
こんな奴に任せたくない。先程はこんな奴でも、と魔が差したが戦力にはならないだろう。
よし、とエプロンの紐を締め直し、出来上がった料理をカウンターに乗せた。
「観光シーズンでお客さん増えるのは嬉しいですけど、店長の疲労やばいっすね」
「紅葉が終わるまでの辛抱ですよ先輩」