真夜中に太陽が昇る場所、知ってる?
藪から棒に話題を振られても困るよ。夜には月が出るんじゃないの。
途端につまらなそうな顔をされる。そんなフィクションの話をされても。
「なーんだ、知らないんだ。この世界の話だよ」
どういうことだろう、昼間に太陽が昇って、夜は代わりに月が光ってるじゃないか。真夜中に太陽が昇ったら、眩しくてたまらない。明るかったら寝られない。
「北欧の方でね、白夜、って言って、一日中ずーっと太陽が出る日があるんだよ」
びゃくや。なんだかかっこいい名前だ。太陽のある夜か、世界は広いんだなあ。自分の常識なんか通用しないや。
「これがその白夜のある地域のお酒です!」
突然どうした。っていうかウォッカじゃん。え、今飲むの? 寝るところじゃなかった?
「そしてこれが私の好きなリキュールです!」
うん、知ってる。好きだよね、そのメロンのやつ。
「あとはもろもろ!」
めちゃくちゃ適当なことを言いながら、冷蔵庫から赤いシロップ、レモンジュース、オレンジジュース、サイダーが出てくる。なんというか、すごいラインナップだな……。
鼻歌を歌いながらテキパキと2杯カクテルを作っていくのを眺める。そう、うちの子カクテル作れるんだよ。すごいよねえ。さすが僕の彼女。
「かんせい!」
出来上がったカクテルを見ると、底の方が濃いオレンジで、上に行くにつれて黄色くなるグラデーションだ。
もうこれお店開いた方がいいんじゃないか。
「んふふ……」
なぜかにやつかれている。なんだなんだ。
「そんなカクテル見つめちゃって〜私の作ったカクテル好き? 実は私の事めっちゃ好きだよねえ〜普段分かんないけど!」
あれだけ伝えてるのにまだ足りないか。まあ仕方ない、目に見えないものだから。これからパンクするぐらいたくさん伝えてやろう。
後悔ならいくらでもしてきた。
些細なことから、人生に影響すると確実に分かってる事まで、失敗と後悔を繰り返してきた。
どれだけ後悔したって、戻らない。昏い過去も、晴れることなくそのまま。
だけど、楽しい思い出だって、きっと消えることはないだろう。
「ちょっと遅くなっちゃったけど、私からの誕生日プレゼント。」
そう言ってバーに連れてきてくれたあなたは、今では遠い人になってしまった。
「君に似合うカクテル、教えてあげるよ。」
からかうように視線を投げて、注文したあとに出てきたものは、レモンと砂糖の麦わら帽子を乗せた、琥珀色の輝きを放つ小さいグラス。
「まぁまだ君は飲めないだろうから……見てて。」
レモンスライスを持ち上げて、二つに折って口の中に放り込む。皮ごとだなんて苦そうだと思っていると、何度か噛み締めたあなたはそのまま琥珀色の液体を一気に呷る。
「……こんな感じだけど、覚えられた? ちなみに中身はブランデーだから、お酒に慣れてから飲んでね。」
ブランデー、名前だけは聞いた事あるけれど……こうやって注意するぐらいだからビールより強いお酒なのだろう。
「ちなみに大体40度はあるから、ビールで言えば8倍ね。」
……しばらく飲むのはやめておこう。
なぜこれが自分に似合うカクテルなのかは全く分からないけれど、あなたがそう言ってくれるならそうなのだろう。自分に言い聞かせて、カクテルの名前をメモして、……その後は酔って記憶が曖昧。
古い思い出を懐かしむ。そういえばまだあのカクテルは飲んだことがない。なぜ似合うのかもまだ分からないままだ。分からなくても、あの輪郭と、あの匂いは、未だに夢に見るほど記憶に染み付いているから大丈夫。
……ああでも、お酒には強くなったんだ、人生一度ぐらい、飲んでみたって損はないだろう。飲まずに後悔するより、飲んで失敗して、それから後悔したっていい。
埃を被った思い出に乾杯。
子供のままでいられたら。そうやって何度君は吐き出してくれただろう。
何も知らないままでいられたら。そうやって何度僕の前で泣いてくれたんだろう。
「なんでこんなに全部怖いんだろう」
僕はまた相槌すら打てずに、君のグラスが空になる。
「……おかわり持ってくるよ、いつものでいい?」
「うん、いつものがいい……」
君の好みはずっと僕が1番知ってる。昔のままの子供舌、最近分かったお酒好き。それからなんとなく僕がリキュールを揃え始めて、ちょっとしたバーみたいになった頃に君が訪ねてきて。
「えっ……なにこれ、こんな趣味あったの?」
「君がずっと僕にメッセージ送ってきたんじゃん」
「そういうこと!? 私の事好きすぎでしょ〜」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、並んだ瓶のひとつを手に取る。
「これ好き!」
「やっぱりそうだと思った。昔からそうだよねぇ、甘いのばっかり」
「甘いのがいちばんおいしいからいいの! それよりこれ飲みたいな!」
「ミルクでいい?」
「もちろん! っていうか他にあるの?」
「あるよー、そうだなぁ……ソーダと割ったり、ウォッカと混ぜたりその上に生クリーム浮かべたり」
「コーヒーにソーダ合うの!? へえ、ずいぶん詳しいねえ、もしかして結構勉強した?」
「全部独学だよ、今の時代ネットって便利だから」
軽く言いながら、自室にあるカクテルノートの事を思い浮かべる。あれは絶対見せられない。なにより格好がつかない。
僕の作るカクテルがお気に入りになったようで、度々家に来るようになった。ひとり暮らしだし嬉しい限りだが、勘違いしてしまいそうだ……。
「ねえ、いつまで作ってるの」
「うわあ!? ごめんごめん、いま持ってくよ」
君はいつの間にか近づいていて、至近距離で話しかけてくる。
「何考えてたの、っていうかなんで一緒に飲んでくれないの」
「え、いや、それは、その……」
「はい、もういっこ作って」
「はい……」
渋々同じものを作りながら、様子を伺う。これはもしかして。
「おまたせしました」
「はい、となりすわって」
……まずい、やっぱり多分この子相当酔ってる。
「はーやーくー!」
「わかったから落ち着いて……」
「おちついてます!」
「飲ませすぎたかな……」
「なにをぅ!?」
そう言いながら脇腹をつついてくる。ボディタッチが多い、声が大きくなってる、何より目が据わっている。これは完全に飲ませすぎた。
「これが最後の一杯にしようね」
「えー、もうちょっと居たい」
ついでに普段臆病なぐらい慎重なのが無くなってる。かわいい。
「……だめ?」
上目遣い、腕を抱きしめて甘い声。普通の奴ならきっと恋に落ちる、だけど僕は分かってる、口元がにやついていることを。……たちの悪い悪戯だ。
「いいけど……。その代わり僕に何されても知らないよ?」
「きゃーおおかみこわーい」
軽口と冗談を交わしながら夜が更けていく。僕と二人の時だけは、顔を合わせて笑いあえる。悪戯みたいに生きていこう、ずっと子供のままでいられるように、無邪気なままでいられるように。
忘れられない、いつまでも。
あなたはずっと、魂の片割れだ。私はずっと欠けていたのに、あなたが全てを補ってくれた。私はあなたに全てをあげた。全てをあげてしまったから、私は息の仕方も生き方も、上手く思い出せなくて。
あなたがいつも飲んでいたレモネード。「これならいつでも飲めるから」って、市販のレモンジュースにこれまた市販のガムシロップを入れたもの。思い出しながら作っていく。
「ね、おいしいでしょ?」
そんな声すら聞こえてくる。今の私には、甘酸っぱすぎるよ。
昔、気まぐれで買った赤ワイン。あなたが飲んだことのなかった辛口ワイン。少し味見をしたけれど、あなたはずっと甘党で、やっぱり飲めずに苦い顔。
私は別に飲めるからって、おかわりして飲んでたら、スマホを見ていたあなたは突然立ち上がって。
お気に入りのレモネードを作って、赤ワインをそこに静かに注いで。
味見をしてから頷いて、びっくりしてる私に、
「ほら、飲んでみてよ」
ちゃんと調べたレシピだよ、って、面食らった私に差し出して。
忘れられない、いつまでも。
あなたの体温と笑い顔、私にできないグラデーション。あなたの好きな色を眺めて、私はモノクロ世界のまま。
「今すぐそっちに行きたいな」
グラスの氷が、カランと鳴った。
ここではない、どこかで。また出会えたら、私は何をするだろう。
あなたと出会えた時は、人生の転機だと思った。それから少しずつ話していって、運命だと思った。そして、私はあなたに釣り合わないと思って、姿を消した。それが今。
この部屋には誰も訪ねて来ない。大丈夫、私にはそんな人脈も、人望も、ない。薄ら笑いを浮かべながら手の中の錠剤を見つめる。薄い青。テーブルの上のグラスを見る。コアントロー、レモンジュース、ホワイトラム、まどろみの白。私にはこれが必要だった。
カクテルに小さい頃から憧れていて、必死に調べて覚えた作り方。最後の、最高のカクテル。あなたには結局作ったことは無かったね。
グラスの中に錠剤を入れる。色が変わる。私の好きな色。あの時の空の色と同じ、綺麗な水色。あの時が転機だった。今はレールを外れてしまったけれど。
グラスを持つ。ゆらりと傾けて、水色を濃くしていく。これで終わり。最高の人生だった。
グラスの中身を喉に流す。喉が焼ける。流し込んでいく。グラスが空になり、ひと息ついた。
ここではない、どこかで、またであえても、きっとあたしは、あなたをまだ、あいしているよ、またね――