『とりとめもない話』
あなたにはどうでもいいんだろうけど、
私にはかけがえのない宝物なんだよなぁ。
『風邪』
いけない、風邪をひいた。
絶対あいつに、馬鹿でも風邪ってひくんだなって言われる。風邪をうつしたくないのに、わざわざ近づいてきて煽るだろう。色々な意味でストレスだ。
いっそのこと、学校を休んでしまおうか。
いや、そんなことは。
私は少し体をふらつかせながら、学校に行った。別に熱があるわけじゃない。ちょっと頭が痛くて、ぼうっとするだけだ。あ、咳も少し出る。病人みたいな姿をしてるけど、元気なフリをする。誰かに、なんか今日いつもより元気ないねって言われても、寝不足なんて言えば納得してくれるだろう。だから、寝てるフリなんてすればもっとそれらしい。そうしていればいい。本当にこれが正しいと思った。
「はは、調子悪そ〜」
「……」
来た、ヤツだ。
「頭痛いのかなー?」
「……うるさい。……なんで体調悪いってわかったの」
「明らかに体調不良だろ。帰ればいいのに」
「やだね」
あなたとお話をして、一緒に帰るのを楽しみにしてるから、なんて絶対に言いたくない。
「あーそうですか!…ま、無理すんなよ」
「もちろん」
あなたは、こういうときだけ優しい。普段は、優しさの欠片くらいしかないのに。ある意味、あなたは残酷だ。私はきっと、その温度差で風邪をひいたんだ。それなら、この風邪をうつしてやった方が、私の想いも伝わるんだろうか。
『言葉はいらない、ただ・・・』
(このテーマ小説書くしかないので書きますもう!!)
夏休み明け、受験生の私たちはまずこう言われる。
「ここからはあっという間だからね。気を抜くなよ」
わかりきったことだ。もう聞き飽きた。気を抜いていたら、こんな辛い思いを今しているはずがないだろ。先生に怒鳴りつけてやりたいくらい__いや、大声で泣き出したいくらい__いや、何もできない。ただただ、耐える。それだけでいい。そうすることで、私の将来が明るければいい。この辛い思いも、いつかきれいな花を咲かせる肥料になるなら、喜んで受け入れよう。
「俺さぁ、昨日勉強できなすぎて萎えて泣いちゃってさ」
私の隣で勉強する友は言う。彼は頭がいい。勉強なんてしなくとも、その人間性で生きていけるだろうと思う。ただ、この人に負けるのは私のプライドが許さなかった。故に、私は彼に張り合うように言葉を紡ぐことを、もはや習慣としていた。
「私昨日13時間ね」
「お前さあ!!」
「勉強すりゃいいじゃんねぇ」
友の悔しそうな顔、それでいて少し緩んだ、その微笑み。私は、彼の笑顔が大好きだった。
今日もひとり、駅までの道を歩く。前までは、例の友とよく歩きながら帰った。今は、私と彼が違う場所で勉強しているせいで会えず、そのまま1人で帰ることが多い。なんだか、寂しい。隣にあった温もりがない。今は暑苦しいからいいけれど、受験本番の時期、もしここに温もりが残っていたら、私はその温もりに頼りすぎて、外に出られなくなってしまう。凍えてしまうからだ。
私がほしいのは、隣の温もりだ。言葉はいらない、ただ……ただ、「あなた」が隣にいてほしいだけだ。
そんなことを考えながら道を歩いていると、不意に誰かに肩を叩かれた。勢いよく振り返ると、子供っぽく笑った彼がいた。ただ、微笑むだけの彼がいた。
『突然の君の訪問。』
突然、「君」が私の家に来たらどうしようか。私がこのテーマで書こうと思った時、そこに「君」がいなかった。扉が開かれる瞬間の、あの眩しい光で「君」が見えなかった。そして今、こうして連なる字面を眺めている。こういう時、人はどういう人を思い浮かべるのだろう。大切な人なのか、もう会えない人なのか、会いたくない人なのか、会いたくて仕方ない人なのか。シチュエーションによって、その人によって全く異なる雰囲気を放つのが「君」という人だ。「君」だとか「あなた」だとか、一人称視点から描かれる人は本当に鮮やかなことが多い。いや、私が「君」を描くならば、どんな物語だったとしても、間違いなく、「私」は灰色、「君」は極彩色に描く。そのように定義付けされているかのように。なぜなら、「私」は「『君』のおかげで生きている」と言っても過言ではないほど、「君」の存在を大切に考えるからだ。「私」のそばにいてほしい人を、そばにいてくれる人を大切に考えるのは当たり前の話だ。
ここまで書いて、私の中にやっと「君」が現れた。私にとって大切な人だった。だから、今『突然の君の訪問。』という字面は輝いている。嬉しいからだ。
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君は僕の前に来て
隣に座って話をして
そうしていつしかは去っていって
そこに温もりだけが残って
僕はそれに凍えていて。
『やるせない気持ち』
遣る瀬無い__どうすることもできない気持ち、とでも言えばいいのだろう。人はどうしても複雑な感情を持ってしまう。二本足で立ち、火や言語を操り、多くの人との関わりを通してきた私たちには、避けては通れない道だ。
ここからは私の経験になってしまうのだが、私はあまりやるせない気持ちを抱いたことはない。大勢と関わる機会が多くなかったのもそうだろうが、無理やり別の名前をつけて棚にしまいこんでいたのだ。きっとどこかでそんな気持ちを持ったことはあるのだろうが、既に違う名前がついているせいで、それが本当にやるせない気持ちだったのかが、いまいちわからない。それに、棚に詰めておくと、その気持ちがどんどん美化されていく。ほとんど、もう原型をとどめていない。
そんな私が持っている、今のやるせない気持ち。これだけは、今も本当にどうしようもない。現在進行形で、どんどん為す術がなくなっている。もちろん今までのように、ヘンテコな名前をつけて棚にしまいたいのだが、この感覚だけは、名前をつけられなかった。棚にしまえるようなものでもなかった。今ここで書き記すことで、面白おかしく美化をして、いつも通り棚にしまっておこうと思う。
それは全く、日常の一コマだった。席替えがあって、全く知らない人と隣になった。彼は、私から見ればこれという印象はなく、ただいつも教室の真ん中で、色んな人に囲まれて笑っている人だった。この人に関わってはいけないと感じていた。けれど、隣の席になってしまったら、ある程度の会話は必須だ。これからの日々を憂鬱に思った。
彼は気さくに私に話しかけてくれた。次の問題の答えは何?って聞いてくるけれど、私の頭ではわからなかったから、わからないよと返す。すると、お前は馬鹿だなと煽られる。あなたも同じじゃないかと言うと、俺は違う云々言っている。やかましいけど、悪い気はしなかった。
冬が近づいた頃。皆の背中が黒くなり、首元に彩りが加えられた季節。あれから何度か席替えをしたけれど、彼との関係は未だに続いている。彼と話すのは基本放課後に限る。なぜかというと、昼間は彼の周りに人が多すぎるから。ただ、そのおかげで私も何人か話せる友人が増えた。それには感謝だが、昼間はいつも通り笑っている彼を見て、私もああなれたらなと羨む毎日が続いていた。
放課後、生徒会役員の友人がいたために、生徒会室で勉強をしようという話になり、私もついていった。小さな生徒会室だが、五人程度ならば余裕だった。生徒会の友人はどこからか早押しボタンを取り出し、「次の文化祭に使えるかチェックしなきゃいけないんだ」とすぐそこで確認をしていた。そこで手を伸ばしたのは彼だった。素早くボタンを押し、適当なことを言った。生徒会の友人はブブーという音を鳴らした。思わず笑った。
「ていうか、手伝ってくれない?音源も作ってあるからさ」
それからは、イントロクイズを楽しんだ。私はそういうのに疎いので、私と同じように全く答えられていない人に「全然わかんないねえ」と苦笑しあった。例の彼は何問も当てていた。勉強なんてそっちのけだった。けれど、それが楽しかった。
もっと冬が深くなった頃の話になる。それが高校二年生だったので、もう受験がどうこううるさくなる季節だった。私は受験生の自覚も何もないくせに、皆に置いていかれる恐怖心から必死に勉強をするようになった。……必死ではなかったかもしれない。いつもより勉強しなきゃと考えていただけだ。その時も、なぜか彼は隣にいた。自習室で十九時まで勉強をし、彼と一緒に駅まで歩くのが日課になっていた。その間の会話は覚えていないけど、きっとどうでもいい話しかしていなかった。
その辺りで、私は初めて立ち止まった。私きっと、彼のことが好きだ。いや、好きって言われたら癪に障るし嫌だけど、私は多分好きかもしれない。好きというより、隣にいたい?……いや、もっと気持ち悪い。こんな恋実らない方が幸せだろう。こんな人が好き?阿呆か、私。
こんなに彼を拒んだのにもちゃんと理由がある。私は、彼に好きな人がいるのを知っていた。それが誰かも知っていた。彼はもうその人のことは好きではないと話していたけれど、話を聞くと、多分そうでもない。私の恋が実るはずがないのだ。なのに、自習室を出る前、「マフラーの巻き方ってよくわかんないよね」と話をすると、「俺この前教えてもらった」と、私にマフラーを巻いてくれた。結局失敗していたけれど。加えて、気分転換にお店で勉強しようという話になって、まあ結局集中なんてできず、ぺらぺらとたくさん話をした。それで、「全然勉強できてない」と後悔を零すと、「どんまい」と頭を撫でられた。__こんなので彼を好きになる私が悪いよね。いや、知ってたけど。
だから、彼との関係は絶った方が__絶たないにしても、極力関わらない方が良いと思って、放課後は教室で慎ましく勉強するようになった。さすがにもう教室でふざける彼らがいなかったからだ。すると、彼は「お前最近ここにいんの」と言って、私の前の席に座って、当たり前のように勉強を始めたのだった。結局、私って彼に利用されているだけなんだろうと思った。嫌いになりたい、関係を絶ちたい、けれど、ずっと隣にいたい。その感情がグチャグチャになっていた。嬉しいような、寂しいような。幸せなんだけど、不幸のどん底にいるような。
でも結局、幸せそうに笑ってる私がいる。
お洒落な名前をつけるなら、『悲恋』だろう。けれど、この恋は悲しくなんてなかった。どうせまた、彼は隣で笑っているだろうと思ったから。『男女の友情』__なんだかそれもしっくり来ない。友情とかっていうより、仲間なんて言葉の方が似合うような気がする。結局、名前は見つからない。
きっと人は、私と同じように、出来事や感情に名前をつけて棚にしまっているけれど、やるせない気持ちが現れたとき、それに合う名前がないからとりあえず『やるせない気持ち』という名前をつけて置いておく。だからスッキリした気分にならない。高度な知能を持ってしまった私たちの運命だから、それを受け入れて、この気持ちの行き場を作っておいてあげるのが一番良い。しかし、なぜか私たちはこの気持ちを酸化させたくないと考える。ずっとそのままでいてほしいと願う。おそらく理由は、人間が不完全であるからだと思うが、感情の整理くらいはできた方が良い。やるせない気持ちというのは、人が人でいられるための、不完全でいるという神の前にひれ伏す私たちの運命を受け入れるための、一番大切な感情なのだ。