いずみ

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8/1/2024, 3:16:32 PM

「明日、海に行こう!」
君はそうやって大輪の向日葵のような笑顔を浮かべた。
僕は黙って頷いた。何を言ったところで、君の熱量に押し切られてしまうことがわかっていたからだ。
僕の返事を見ると、君は少し照れくさそうに、つぶやいた。
「前に言ってた、あなたのお気に入りの景色を私も見たい」
君の言葉に、僕は急に恥ずかしくなった。別にバレると思っているわけじゃない。あの景色を見たところで、まさか君を思い出すから好きだという滑稽な理由は、いくら名探偵でも導き出せないだろう。ただ、その景色がお気に入りだなんて隠したい秘密以外の何物でもないことを、うっかり君に話してしまったことが思い出されて、なんとも言えないむず痒い気持ちになった。
 僕は、この気持ちを伝えたいんだろうか。だから、君にそんなことを話してしまったのだろうか。ふと、脳裏にあの景色がよぎった。穏やかな波、どこまでも白く続く砂浜、影一つ残さないように照りつける太陽。その全てが、君を表しているようだ。ずっと、この気持ちには蓋をしておこうと考えていた。仲のいい友人。それでいいじゃないか。これ以上を望んで、この関係が壊れてしまうことのほうが、気持ちを成就させるよりも辛いと思っていた。でも、あの景色の中で、君が僕に笑いかけたとしたら、僕は君の全てを手に入れたいという欲に打ち勝てるだろうか。穏やかでゆったりとした優しさも、汚れ一つない潔癖さも、みんなを包み込む太陽のような眩しさも、その全てを手に入れたいという欲に。でも今は、この関係を壊したくない。君とこんなふうに話せる時間を失いたくない。
 だからせめて、明日が雨ならばいいのに。
 明日もし晴れてしまったら、僕は……。

7/22/2024, 8:05:05 AM

あなたがいなければ、私に欲しいものなどなかった。

 元来、人より物やことに執着のない人間だと自負している。あまり裕福な家庭ではなかったから、父や母の負担になるかもしれないと考えただけで、何かを欲しいという気持ちはすぐに泡のように消えた。友人たちが持っていたゲーム機や携帯電話も、欲しいとねだることはなかった。誕生日のプレゼントも、クリスマスプレゼントも、お年玉も、すべて欲しいと感じたことはなかった。レゴブロックや、ミニカーなどの遊び道具がなくても、両親が様々な工夫を凝らして私と遊んでくれたから、欲しがる必要すらなかった。必要なものはすべて両親といるだけで手に入った。

なのに、満たされていたはずなのに。
私はあなたと出会ってから、何かが足りないと感じていた。欲しい、満たされたいと渇望する熱の暑さを、知ってしまった。満たされないことが、こんなにも苦しいことだと知ってしまった。何をしても満たされない、心の底から望んでいる、"それ"でなければ。

ああ、私はただただ、あなたからの愛が欲しい。

4/7/2024, 3:01:37 PM

海の磯の匂いを運ぶ生ぬるい風が、ふと俺の頬をかすめた。あたりにはツンと鼻の奥に突き刺さるような血の匂いが充満している。目を開けると、そこにはただ赤くにじむ空があった。
あぁ、生き残ったのか。
その実感が湧くと同時に、一気に凄まじいまでの情報量が押し寄せてきた。右腕がとてつもなく痛い、のどが渇いて仕方がない、なにか飲みたい、息が苦しい、体が鉛のように重い、誰か、誰かいないのか、生きている仲間は。

その暴虐にしばらく耐えていると、少しづつ脳が身体の感覚に慣れてきた。右腕は全く動かないが、左腕なら少しは動かせそうだ。水が飲みたい。一刻も早く。俺はぎこちなく立ち上がると、あたりを見渡した。水がある!国中の兵士が飲んでも絶えないほどの水が。まだ思考力の戻らない頭はとにかく水を求めて、俺に海へ行くように命じた。海の水が辛いことは知っている。でも、少しでも渇きが癒せるなら。強烈な欲求に支配された俺の体は理性が止めるのも無視して海へ向かっていた。

ドスッ

足元で鈍い音がした。いや、さっきまでもしていたはずだ。五感が遠のくほど極限の感情に支配されていただけで。不思議な感覚だ。こういう感覚は以前も何度か覚えたことがある。そういうときはいつも極限の状態で、その感覚の命じるままに体を動かすだけで俺は生き残ってきた。今、この感覚が命じているのは足元を見ることだ。少し頭がスッキリしてきたような気がする。何度か息を吸ったり吐いたりすると、気持ちも落ち着いてきた。ゆっくり足元を見る。そこには先程から何度も踏んづけてきた、見慣れた軍服があった。しかし、何やら腕に腕章をつけている。これは、補給隊のものだ。もしかしたら近くに馬車が。急いで馬車を探すと、それは思いのほか早く見つかった。荷は荒らされているが、あまり減っていないようだった。あった、水だ!これでようやく一息つける。

水の入った袋を片手に馬車から移動すると、近くから波の音が聞こえてきた。後ろを振り向くと、そこにはまるで使命を終えたかのようにゆっくりと沈む夕日があった。こんなおっかない太陽は見たことがなかった。おぼつかない足取りで砂浜に座る。まるでこの世界に一人取り残されたかのようだった。