──世界でいちばん好きな色。
秋は雨が多いくて良い。
そう恋人が言ったのは、まだただの友人関係だった頃だ。いつもより弾んだ声で、心なしか口元を緩めていた。
雨が好きなのか、と聞いたら水魔法使いだからと返ってきた。脈絡がない話にぽかんとしている俺に気づいて、水に関する魔法の性質を話してくれたのをよく覚えている。
俺が森や草原で土を操りやすいように、周りに水があると水魔法も使いやすいらしい。雨が降っていれば、その周り全てがあいつの味方ということだ。雨の日だけはあいつを怒らせないと決めた。
あのいつもの無表情が少しだけ緩みやすくなるのは嬉しいことだけど、俺は晴れた日の方が気分が上がる。青空は、あいつの目の色だから。
って話を何度も本人に言ってたら、とうとう照れてくれなくなった。またか、みたいな目で一瞥されて読書に戻ってしまう。酷い。
(秋晴れ)
後日加筆します……
──それは脳裡に焼きつくような、
初めて言葉を交わした瞬間に恋に落ちたのだと、そう伝えても良い反応が返ってこないのは想像に難くない。
たぶん、訳のわからないものを見る目が返ってくるか、さりげなく距離を取られるかのどちらかだ。なんなら両方かもしれない。ちゃんと付き合ってるっていうのに、その光景がありありと思い浮かべられるんだから悲しくなる。まあ照れ隠しも可愛いけど。
学園の長い長い廊下での邂逅を、死ぬまで忘れることはないと思う。向こうからしたら、広過ぎる校内で迷子になった間抜けな同級生をちょっと助けただけなんだろう。
でも、一度あのうつくしい瞳を正面から見てしまえば、忘れることなんてできなかった。
(忘れたくても忘れられない)
後日加筆します。
──吐息すら淡い光を纏っている。
本を読んでいるだけの姿をいつまでも見ていられるのは、惚れた欲目というやつだろうか。
ついさっきまでレポート用紙と睨み合っていたせいでインクのついた指が、そっとページを捲る。
予想外の展開が訪れたのか、伏せられていた瞳が何度か瞬きをした。文字を追う視線が動きを早める。ふいに口もとが綻んで、頰に赤みが差す。お気に召したらしい。
学園時代からの恋人は無類の本好きだ。初めて家に招いた日なんて、追っている作者の新作だ、と満面の笑みを浮かべながら分厚いハードカバーを持ってきて、それだけで一日が終わった。
最初こそ不満に思ったものだけれど、今ではすっかり慣れてしまった。むしろ、本を持っていなかったら何かあったのかと心配になる。自分が本に親しむようになったというのもあるかもしれない。
(やわらかな光)
後日加筆します。
──私だけが知っている。
朗らか、優しい、お人好し、人助けが好き。それが大半の人間があいつに下す評価だろう。
無論、それが大きく外れているわけではない。大抵の人間に対しては朗らかで優しく、相手が困っていたら手を差し伸べるはずだ。……ただ、それがあいつの全てではないというだけで。
焦茶の髪に橙の瞳という、元気で暖かな印象を与える見た目も相まって忘れられがちだが、ああ見えて編入試験をトップで通過した秀才だ。曲者揃いの魔法学園教師陣が認める人間が、ただのお人好しであるはずがない。
例えば、魔法理論の難問を解く際や強敵相手の模擬戦闘の時。その真性は遺憾なく発揮される。
(鋭い眼差し)
後日加筆します。
11/14加筆しました。
🌱 #31 高く高く
──いつか、空にだって手が届く。
金髪を靡かせながら風を操る姿を、羨ましく思うことがある。
もちろん魔法に優劣がつけられないことは知っている。習熟度に差はあれど、魔法そのものに価値の違いがあるわけじゃない。そんなの子供でも理解していることだ。
恥を忍んで言えば、たぶんこの感情は魔法云々に抱いているんじゃなくて、使い手本人に向いたものなんだろう。それが羨望なのか、嫉妬なのか、憧憬なのかはわからないし、むしろ全部ごちゃ混ぜになっているのかもしれないけれど。
あの魔法は、美しくて、自由で、朗らかで、優しくて。気ままで、掴みどころがなくて、たまに意地悪で。使い手のすべてを表しているような気がするから。
***
「あ、今操作乱れた」
「うわ、なんでわかるんだい」
「見てればわかるよ。ほら、集中」
「うーん」
ただいま、練習場で魔法の特訓中。溢れんばかりの才能を持つくせに感覚で使っていたという彼の魔法は、効率も悪ければ制御もおぼつかない。よくこれで一年時を乗り切れたなあ、ってくらいのレベルだ。
「ねえ、風をうまく操れたら空を飛べるかなあ」
「箒無しでってこと?」
「そう。下からびゅーって」
「難しいと思うけど、出来るんじゃない?」
「やってみても良いかな!?」
きらきらした紫の瞳で見つめられて、言葉に詰まる。普段の飛行で使う箒は、飛行魔法と安全装置が組み込まれた専用の魔法具だ。自力で飛ぶのと箒とでは訳が違う。
「取り敢えず、先生に相談してみてからだね。飛行に関わる魔法は危険度が高いから」
「そうなの?」
そうなのって言った、今?
「えっ、なんか怒って」
「魔法安全学基礎」
「あっ、あー……うっすら記憶があるような」
「昨日やったばっかりでしょ」
「そうだっけ……?」
目を逸らしても無駄だからね。成績上げたいって相談してきたのそっちなんだし。
「え、飛行? あー、まあ、二人でやるんなら良いんじゃない?」
二人で緊張しながら訊きに行った魔法安全学の先生は、コーヒー片手にあっけらかんとそう答えた。ぽかんとする自分たちをよそに、笑いながら話を続けてしまう。
「ただし、第三練習場でやること。あそこは安全装置があるからな。それ以外のとこでは絶対やるなよ」
「あ、はい」
「はーい」
練習場の使用申請書をその場で書いて提出すると、先生はざっと目を通して魔法印を押した。
「はい、これでオッケー。気をつけて練習しろよー」
「……つまり、魔力の供給が途絶えたら落ちるの。絶対杖を離さないこと!」
いまいち飛行の危険性をわかっていないらしい相手に、第三練習場で何度も念を押す。
「わかった」
「良い? 飛行関連は魔法事故が起こりやすい魔法だからね、激しい動きは厳禁。安全装置も万能じゃないし」
「うん」
「本当にわかってる?」
ぼんやりと空を見ている姿に心配になってくる。いくら天性のセンスを持っているといえど、危険性が低くなるわけじゃない。
「ねえ、もう飛んで良いかい?」
「……気をつけてよ」
「大丈夫だよ」
不安を拭えないまま数歩離れると、シンプルな杖が振られて風が吹き始める。そよ風ほどだったのが徐々に強まっていき、彼を中心に渦を巻く。煽られた髪を押さえながら渦の真ん中を見つめれば、これから空を飛ぶとは思えないほど凪いだ表情をしていた。
「あ……」
飛ぶ。
ローブがふわりと空気をはらんで、羽のように膨らんだ。それと同時に音もなく靴が地面から離れる。危なげなく上昇していく姿に、少し肩の力が抜けた。
「大丈夫ー?」
「だいじょうぶ! 楽しいよ!」
遠いせいで顔までは見えないけれど、どんな表情をしているかが手に取るようにわかる。きっと満面の笑みを浮かべているはずだ。
──かつて太陽に焦がれた少年は、その光に近づきすぎた為に空から落ちたという。
でも、あの輝かしいひとが太陽に近づきすぎて堕ちてくる事はないだろう。あれは紛い物なんかじゃない、生まれついての美しい翼だ。手を伸ばそうなんて思わないし思えない。自分がどう足掻いても届かない場所に彼は居る。
高い空を自在に飛び回る姿がひどく眩しく見えて、眼を細めた。瞳が痛んでもその姿を視界に入れていたい。金色は青空に良く映えるらしい。もうひとつ太陽が生まれたみたいだ。
「ねえ、見て!」
ふいにローブを靡かせる身体がくるりと前回りをしながらこちらに手を振った。ああもう、あれだけ言ったのに!
「何してるの!」
「ははっ」
文字通り空から笑い声が降ってきて、ローブがだんだんとこちらに近づいてくる。……近づいて来る? は!?
「なにっ……」
「ほら!」
風の発生源が近づけば、風が強くなるのは当然で。暴風とも言えるそれにふらつきかける足に力を込めて、吹き飛ばされないように地面を踏み締める。
「ねえ、手出して!」
「手?」
「いいから!」
声のままに片手を伸ばすとしっかりと掴まれる。強く引き寄せられて、練習場の土の地面から踵が浮いた。
「え、え?」
「一緒に飛ぼう?」
「なっ……」
自分の白いローブの裾が翻る。靴が地面に接する感覚がない。視界の大部分を青空が占めている。それでようやく身体が宙に浮いているのだと気が付いた。
「う、わ」
飛んでいる。箒を使わず、魔導飛行機に乗らず、体だけで空を舞っている。
「ね、楽しいでしょ!」
「うん……」
手が届いてしまった。絶対届かないはずの眩しいひとが手を伸ばしてくれたせいで、空を飛べてしまった。
「手、離さないでね」
「わかった」
ローブを握った手に力を込める。大きな手が背中に回って、不安定だった体勢がようやく落ち着いた。
きっと離してしまえば、もう一度手を伸ばすことはできない。眩しすぎて明るすぎて、自分から求めれば灼かれてしまう。
「どうしたの? ぼうっとして」
「んん、眩しいなあって」
「ああ、今日は良い天気だからね」
「うん」
どうかそのまま輝いていて。何にも遮られることなく、何にも曇らされることなく、周りを照らしていて欲しい。自分だけを照らせなんて言わない。そんなことをされたら、御伽話の怪物のように灰になってしまうから。
見ているのは自分からだけで良い。一方通行で良い。手を伸ばしてもらえたら奇跡と思う。
「また飛ぼうね」
「眩しすぎるからやだ」
「帽子でも持って来るかい?」
「それじゃ太陽が見えなくなっちゃう」
「?」
「ふふ」
わからなくて良いよ、太陽みたいなひと。光で眼が灼けてしまっても、君を見ているから。
初めて道具を使わずに飛ぶ広い空は、ずっといたいと思うほどの明るさだった。