柳絮

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8/31/2023, 12:00:23 PM

香水


ふっと香る。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
そのたびに振り返ってしまう。香りの主を探してしまう。
こんなところにいるはずがないのに。
例えば冬の間中つけていたマフラーから。
例えば戯れに抱きしめていたぬいぐるみから。
貴方の香りがするたびに、言いようのない愛しさと寂寥感が襲ってくる。
「この匂い好き」
「つける?」
もらった小瓶は、二度と開けることはない。
次に好きになるのは、香水をつけない男がいい。




言葉はいらない、ただ・・・


そっと腕を広げる。
そうすると君はちょっと困った顔をして、立ち上がってこちらへ歩いてくる。同じくらい広げた腕を脇の間に入れて、背中に回してくれる。ぎゅうっと背中にしがみつくと、君も腕の力を強める。ぎゅうぎゅう。薄い体の抱き心地は正直悪いけれど、くっついてるところからじんわりと温かくなって、ほうっと息が溢れた。不安が溶けて消えて、腕の力を抜く。
それでもまだぴったりとくっついたまま、体温と幸せを感じた。

8/29/2023, 12:26:26 PM

突然の君の訪問。


「嫁にしてください」
「は?」
背負っていた大荷物を下ろして三つ指をつこうとする鶴野を慌てて止める。
「玄関先でやめてくんない?」
「ところで機織り機あります?」
「現代日本の一般家庭にあるわけないだろ」
「おっけーです。持ち運び用の簡易機織り機あるんで」
「どういう需要があって存在すんのそれ」
大荷物からそれを取り出して見せてくる。いや知らん。
「家訓なんで。助けてもらったら嫁いで機織りせぇって」
「なんて厄介な」

8/27/2023, 12:16:10 PM

雨に佇む


古龍は思い出していた。
雨に濡れて歓喜に踊る村人を。それを微笑み見守る友を。
友は古龍に礼を言った。分厚い鱗を小さく柔い手で撫でた。それは古龍にはほんの些細な刺激に過ぎなかったが、何故だか全身が温かくなったのだった。
遠い日を懐かしむ古龍の下に、旅人たちがやってきた。彼等は古龍に礼を言った。その顔は、かつての友と重なって見えた。
彼等の誘いを古龍は固辞した。
そして、小さく柔い雨の雫を静かに受け止め続けた。




私の日記帳


日記をつけ始めたのは、かわいいペンをもらったからだった。大人になるとペンを使う機会もなくて、字も下手になるし漢字も忘れるし、だから練習がてら、と。
書いてみると凝り出して、かわいいノートを買ったり、マステやフレークシールで飾ったり、絵なんか描いてみたりして。誰に見られるわけでもないから、好きに書いてた。
そのうち、日々の記録が愚痴とか夢とかに侵食されて、空想が始まって。
私じゃない誰かの物語になった。




向かい合わせ


一時期はガラガラだった通勤電車も、もうすっかり元通りの混雑具合。友人はあれ以来テレワークに完全移行したと言っていたけど、こっちは当時も通勤を余儀なくされてた身。当然現在も満員電車に乗らなくてはならないわけで。
(気まずい)
押し合いへし合いの結果、男性と真正面から向かい合うことになってしまった。オジサンじゃなくて年下っぽいのは、良かったのか悪かったのか。
(しかも何か良い匂い……痴漢じゃないですごめん)




やるせない気持ち


どうしてこうなったんだろう。
力なく床に座り込む。
いつになく浮かれていたんだろうか?
震える両手を見下ろす。
特別何かがあったわけではない。ただ、ほんの少し気が向いた。それだけだった。
それがこんな惨状を生むなんて。
一体なんて言い訳したら。いや、潔く謝るしかない。それでどうなる? もう手遅れじゃないのか?
コイツ--無惨にも床にぶちまけられたプリンは。
俺はただ、たまにはプッチンして食べようと思っただけなのに。

8/27/2023, 3:53:23 AM

海へ


ダイブ。
ドボンという音のあとは、ボコボコと空気の玉が顔や体をくすぐって、視界もキラキラ輝く白モヤで霞む。
それが晴れると、青々とした海の世界が広がった。ゴツゴツした岩や海藻に覆われた砂が見える。腕を一掻き、グンと海底に近づくと、小さな魚の群れが岩陰から顔を出す。一度見え始めると、あっちこっちに魚が見える。石が揺れたと思ったらカニだった。
力を抜くと、ゆっくりと体が浮上する。透明な海面から飛び出した。

8/24/2023, 2:42:06 PM

裏返し


なんか気配を感じる。
ちらっと後ろを見ると、40代くらいのおばさんがついてきていた。
流石におばさんはストーカーじゃないか。
ほっとして道を曲がる。が、おばさんはついてくる。足を速めると向こうも速める。
なに。怖い。何でついてくるの。
もう走り出そうかと思ったところで、肩に手を置かれた。
「!?」
「ちょっとお姉さん」
振り向くと眉間に皺を寄せたおばさんのドアップが。
「服、裏返しだよ。タグ出てる」
きゃあああああ!





鳥のように


立ち上がって、カップを持って一歩、観葉植物を見て一歩、テーブルの上の本に目を落として一歩、そしてもう一歩踏み出そうとしたところでぴたりと止まる。
「あれ……何しようとしてたんだっけ?」
「にわとりか」
「本を片付けなきゃと思って、パキラに水あげてないなと思って、ついでにコーヒー入れようと思ったんだけど、そもそも何のついでだっけ?」
「知らん」
「んー???」
「とりあえずコーヒー。俺のも」
「まいっか。OK」





さよならを言う前に


これは復讐だ。
「そんなのお前にできるわけねーじゃん」
嗤ってそう言ったこと、あなたは覚えてもいないでしょう。
あの日から私は自分を磨き続けた。美容も、会話も、笑顔も、歌も、踊りも、必要だと思うことは何でもやった。
みんなの見る目が変わるのがわかった。そしてあなたも。
「ずっと前から好きだったんだ!」
「見てこれ。契約書。私アイドルになるの。あなたは馬鹿にしたけど、私は夢を叶えたの」
「え、あ、」
「さよなら」

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