とらた とらお

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9/18/2025, 9:45:48 AM

(題目しらず)

私はある一点をずっと見続けていた。

次第に白っぽい膜がかかってくる。

その正体は補色だろう。

視線を他に移せば逆転した色で
先程の景色が薄ぼんやりと
どこまでもついて回る。

人は視線を一切動かさず
一点を永遠と見続けられた場合
世界はいったいどうやって映るのだろう。

全体が白く見えるのだろうか。

少なくとも
視線を動かしている時ほど世界は明瞭でなく
霞みがかって見えることは想像がつく。

同じところしか見ていないと
世界は不明瞭になるのだろう。

9/15/2025, 7:17:14 PM

(題目しらず)

私は過去に多くのことを
瞬間的に同時に理解したことがある

私はこれを「悟りのようなもの」
と呼んでいる(決して悟りではない)

悟りのようなものを体感すると
ぞわっ!と風が吹いたようになり
世界への理解が瞬く間に繋がり
あまりの出来事に歓喜と共に呆然とする

自分の知る世界の
目に見えないところまで
意識が向く、あるいは見えるようになる

そして外に出ると
背に抱える苦しみが見えて
何もできない自分に苦しくなる

見えているもののわからないという世界が
これまで以上に拡がってしまうのだ…

この体感について例えをしよう
目の前に料理がある
とても美味しそうな料理である

あなたは料理があることが分かる
名前くらい知っているかもしれない
では悟りのようなものを得るとどう見えるか

料理に使われている食材までも分かる
でもその料理のスープやソース等に
注意が向くようになった一方で
それらの味付けに何が使われているか
までは分からず、疑問が増えてしまう

驚くことに人によっては
その料理を口に含んだだけで
調理の過程で使われた材料が
すべて分かるらしい

でも私にはまだわからない

ワインで説明してもいい
これまでなんとなく
「ワイン」として飲んでいたワインの
風味の違いやワインの銘柄が
分かるようになる

でもそれが何年物なのか
ブドウの品種は何でどこの産地か
どういった土で育ったか
どんな醸造方法で造られたか
までは分からず
やはり疑問が増えてしまう

これについても信じられないことに
分かる人には分かるらしい

私にはまだわからない

このように
悟りのようなものを体感すると
理解が深まり
見える世界が一段と広がった一方で
見えるものの理解が及ばない
という世界が格段に拡がってしまう

分かることは
さらに何度も
同じ体験を繰り返すことで
より悟りに近づくのだろう
ということだけである

9/8/2025, 10:40:23 AM

(題目しらず)

もう私は創作の世界で生きている気がする。

私が書いたこと、話していることはすべて創作で、すべて嘘な気がする。

虚言癖でもあるのか?

架空の人物像を自分だと思い込んでる?

例えるなら、
夢を見ている時どんな不可思議なことが起きてもそれを現実だと思っている。
けれどそれに違和感を感じて「あれ?これ現実か?」となり、これは夢だと気づくことがある。

その、「これは現実か…?」がずっと続いている感じ。

9/7/2025, 3:48:04 AM

(題目しらず)

私のネガティブなことを「考える」は
「思い浮かぶ」に近い。

「思い浮かぶ」は「夢を見る」に近い。

私に「考えるな」と言うのは
「思い浮かばせるな」と
言っているようなものであり
また、寝ても「夢を見るな」と
言っているようなものである。

夢を見ないというのは、
他の人にとって
そんなに簡単なことなのか?

8/31/2025, 10:05:52 AM

8月31日、午後5時

息を止めはじめる。

うつモードは息が浅くなる。
でもうつ状態になると息を止めはじめるんだ。

何のためなんだろうな?
その方が心地いいのかもしれん。

息をしない方が生きやすいのかもしれん。

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