(題目しらず)
私は過去に多くのことを
瞬間的に同時に理解したことがある
私はこれを「悟りのようなもの」
と呼んでいる(決して悟りではない)
悟りのようなものを体感すると
ぞわっ!と風が吹いたようになり
世界への理解が瞬く間に繋がり
あまりの出来事に歓喜と共に呆然とする
自分の知る世界の
目に見えないところまで
意識が向く、あるいは見えるようになる
そして外に出ると
背に抱える苦しみが見えて
何もできない自分に苦しくなる
見えているもののわからないという世界が
これまで以上に拡がってしまうのだ…
この体感について例えをしよう
目の前に料理がある
とても美味しそうな料理である
あなたは料理があることが分かる
名前くらい知っているかもしれない
では悟りのようなものを得るとどう見えるか
料理に使われている食材までも分かる
でもその料理のスープやソース等に
注意が向くようになった一方で
それらの味付けに何が使われているか
までは分からず、疑問が増えてしまう
驚くことに人によっては
その料理を口に含んだだけで
調理の過程で使われた材料が
すべて分かるらしい
でも私にはまだわからない
ワインで説明してもいい
これまでなんとなく
「ワイン」として飲んでいたワインの
風味の違いやワインの銘柄が
分かるようになる
でもそれが何年物なのか
ブドウの品種は何でどこの産地か
どういった土で育ったか
どんな醸造方法で造られたか
までは分からず
やはり疑問が増えてしまう
これについても信じられないことに
分かる人には分かるらしい
私にはまだわからない
このように
悟りのようなものを体感すると
理解が深まり
見える世界が一段と広がった一方で
見えるものの理解が及ばない
という世界が格段に拡がってしまう
分かることは
さらに何度も
同じ体験を繰り返すことで
より悟りに近づくのだろう
ということだけである
9/15/2025, 7:17:14 PM