(題目しらず)
人生はいろいろなものに例えられますね。
今回私は、今の自分、今のあなたについて
例えてみましょうか。
今の自分、その場その時の自分自身は
きっと『料理の味』に例えられるでしょう。
今の自分の発言、性格、行動等は
その時の環境、状況、経験、法則、その他諸々
認識できない全ての条件が揃って叩き出された
たった1つの結果です。
これらの条件が寸分違わず揃った時
それ以外の行動は取れないでしょう、
という意味でたった1つの結果と言いました。
さて、料理には様々な食材、調味料を使いますね。
水で煮るか油で炒めるか、はたまた素焼きするか。
火にかける時間、寝かせておく時間というのもあるでしょう。
これらの要素でその時の料理の味が決まります。
1度加えた要素で味がつき始めたら
もう無かったことにはできません。
それらの要素が全て揃って叩き出されたものが
料理の味と言えるのでしょう。
「それじゃあ…、よくない経験が1度でもある私は、一生不味い味の料理ということですか…?」
と…。
いいえ、心配することはないでしょう。
料理には調味料というものがありますね。
醤油とか、あとブイヨンもここに入れたいですね。
今の自分を作り出しているものの中に
「経験」というものがあります。
これによって性格が決まったり
行動、発言が変わったりと
今の自分を作る上で重要な条件になっています。
今の自分は、その瞬間にある全ての条件から
作られた結果です。
一方、条件の一つである「経験」というのは
過去の全ての条件が含まれた抽出物と言えます。
調味料や料理のベースを作るように
過去の出来事全てを放り込んで
煮出したり、発酵させたり、アクを取ったりして
旨味を出す基にすればよいでしょう。
そう考えると、今の自分も
過去の全ての条件が含まれた抽出物と言えますから
未来の自分の調味料と言えるのかもしれませんね。
ちなみに私は、過去の苦い経験を
苦悩してる人たちへの共感に利用してます。
誰よりも心を届けられるようになる。
さて、自分という料理があれば
相手という料理もある。
お互いの味が近いもの同士は
共感できる、馬が合う
ということなんでしょう。
フランス料理なのかイタリアンなのか
はたまた純日本食なのか。
皆さん、何味なのでしょうね。
(題目しらず)
『道理百遍 義理一遍』
これは、人の心を動かすには
道理を百回説き聞かすよりも
一回情義のこもった行動をする方が
有効であるという意味のことわざ。
まさしくそうだと私も思う。
(何様だ。どの口が言う)
情義のこもった行動を普段から取る人は
道理の大切さも認識している。
情義のこもった人の言う道理一遍は
普通の人の道理百遍分の力を持つことがある。
それは、道理一遍が義理一遍。
道理を説くこと自体が
情義のこもった行動になるということだ。
道理を上手く使う人は
道理の特性もよく理解している。
義理は即時性、道理は遅効性。
情義のこもった行動は
すぐさま人の心を動かすだろうが
道理はすぐさま人の心を
動かせないことも少なくない。
それでも、5年後10年後に効いてきて
相手の心を動かすこともある。
「あの時言ってくれた言葉の意味、
今になってようやく気づけました…」
といった具合にだ。
だからこそ
百遍も聞かすことはしないのかもしれない。
(題目しらず)
人生は別に教えてくれるわけじゃない
もし人生から
何か得たものがあったとすればそれは
教えられたからではなく
そこから気付きを得た自分自身がいてくれたから
逆に言うと
教えてくれるわけではないのだから
気付きを得ようという気持ちがなければ
人生から何も学べないということか
ただ、有り難いことに
人生は教えてくれないけど
人は教えてくれる
でも、教えてもらってなお
気付きを得られるかは
自分次第という…
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これはS・キェルケゴール(デンマーク)の『人生は、後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない。人生は、解るべき問題ではなく、経験されるべき現実である。』
という言葉を読んで、「ああ~たしかに。学校の先生みたく、あぁだよ?こうだよ?なんて教えてくれないもんな」と思って書いたんだけど…。
あれ…?
教えるなんて一言も出てきてないな…。
整然と商品が並ぶ陳列棚を前に
ある男が商品を見渡していた。
少し離れた横には車イスの貴人。
その男はふと話しかけた。
「もし何かあれば取りますよ」
高段の商品を確認したかった貴人は
感謝の中に少しだけ申し訳なさを含みつつ
その男にお礼を言った。
すると男は言った。
「私はあなたが使うために存在すると思ってください。そもそも私はここの商品を探してません。なのに何故か無意識に探す動作をしていた。たぶん私の人生の流れではなく、あなたの人生の流れに影響されて動いていたのでしょう。そうであるならば私はあなたに使われるためにここにいて、あなたに使われることが今の私の喜びと言えるでしょう。」
貴人はどう反応すればいいかわからず
複雑な顔をしていた。
感謝していいのか罪悪感を感じればよいのか。
即座に怪しい男は続けた。
「おっと、申し訳なく思わないでください。私なんて周りの人の人生を狂わせていると言っていいくらい大きく私の人生の流れに他人を引き込んでいるようですが、流れがある以上、巻き込まれてしまうのは仕方のないことなので、私からはとにかくいつも感謝しかありません。」
貴人はさらに申し訳なさそうな顔をして
「ありがとうございます」と
その狂わす男に返した。
ちっさい頃、大きなあめ玉は
特別な感じがして好きだった。
けれどいざ舐めると違う…。
あめ玉に舌が押さえつけられて
あめ玉を気軽に転がすことができない。
舌を抜き出そうと力一杯引っ張れば
そのままあめ玉が喉に落ちてきそうで
いつも怖かった。
だから慎重に舐めていた。
喉に落ちないように下向きながらとか。
創意工夫が大切だ。
ちなみに、噛もうにも
奥歯で挟めないから噛めない。
近所の駄菓子屋にガチャガチャがあり
手伝いで貯めたお駄賃は
全てそこに投じていた。
貰える景品なんて大したもんではなく
台も2種類しかない。
ただ何が出てくるか楽しみでやっていただけ。
倫理もへったくれもない悪ガキだったから
いらないものが出てきたら
ガチャガチャの後ろの
家とブロック塀の隙間に入れていた。
そのガチャガチャで出した
正方形のケースに入った円形の消しゴム。
オレンジ色をしていてすごく綺麗だった。
当時はまだ字が書けない。
それが消しゴムとは知らなかった。
宝物のまま時が経ち
ひらがなが読めるようになった。
「※たべられません」と書いてある。
わざわざ書くってことは
本当は食べられるのか?
食べられそうには見えないが
恐る恐る前歯で噛んでみる。
あきらかに食べ物じゃない…。
なんだ、本当に食べられないのか…。
歯形がついた消しゴムは
呆気なくゴミ箱に捨てられた。