私は今、部屋の中を漠然と見ている。
目に入る物の名前を認識せず漠然と見ている。
ふとここで物の名前を意識してみる。
それまで自由に広がっていた世界が
名前をつけたり認識した途端
凝り固まった小さな物として捉えてしまう。
結界が張られた
個として際立った
と言ってもいいかもしれない。
よく分からない人は
「役割が決められきってしまった」
と捉えてくれてもいいが、
この話はそこに留まらないことだけ
留意してほしい。
しかし名前には反対に
世界を跳躍する能力も持っている。
そこに風を送っている物がある。
羽根が回転している。
名前は「サーキュレーター」。
そう聞くだけで、
ただ回転して風を送っていただけの物体が
他の物より静かに遠くに
風を送っているイメージが思い浮かぶ。
目の前に広がる世界より
より多くの情報を伝えてくれる。
ススキが揺れる
さらさらと
我々は結果を見ているだけ
溶け残りが入ったカップ
ぐるぐるとかき回す
中で渦巻く、銀河のよう
我々は結果を見ているだけ
結果を見ているだけだから
それ以外の条件が存在しないのは当たり前
必然なのは当たり前
結果が起こる前は
無数の条件が偶然という名前で存在し
結果が起こった後は
唯一の条件が必然という名前で存在する
冷たく聞こえるかもしれない
でも、結果と条件と無数の存在を意識すると
結果を柔らかく受け入れられる
パラレルワールドなんて言葉を知る我々は
ススキの揺れが必ずしも一緒じゃないと想起する
それは目に見えない物理現象という条件が
そのたびそのたび風の揺らぎを変えるから
でも、この世の全ての条件を固定して
繰り返し繰り返し再現する存在がある
録画して再生してみればいい
再生するたび同じ映像が見えるのは
全ての条件を固定して再現しているから
一つたりとも条件の変更は許さない
人が認識してない条件まで固定する
何一つとして条件を変えず
繰り返せる存在は稀だろう
人の思想思考も条件
相手が怒らせるから怒るのではなく
自分に怒る条件が揃ったから怒る
同じ人と接しても
怒る人怒らない人と差が出るのが証拠だろう
怒ってしまうのは仕方ない
あくまで条件が揃っただけ
我々は結果を見ているだけ
何かを正したいと思うなら
そうならない条件にしてやればいい
思想思考でそうできることもある
もちろん他のことでもね
(まだこの考えは私の中でぼやっとしている。
はっきり見えないということは、間違いがある、見えてないことがあるという証拠。私の投稿のほとんどがそう。笑)
「考える」は毒にも薬にもなる
「考えない」で防毒できる
「考える」の毒はヒ素のよう
摂取して症状に出ても気づけない
そして最悪、死に至る
仏教、ヨガ、マインドフルネス
人はそれを瞑想と言い
「考えない」を体得する
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(皆の投稿を見ていると「脳裏」の裏の字で「中」を表すことに驚いている人が多い。中国語の小説を翻訳して気づいたけど、中国語で「裏」は中、内、奥つまり内部を意味するらしい。
というわけで、「脳裏」は中国語の影響が強い言葉なようだ。「内裏」とか「庫裏」とかね。中国の影響が強そうなもので、内部を表すものは「裏」の字が使われてるでしょ?)
意味がないこと…?
…ぅう~、あかんっ!
これこそ意味ないことやろ…。
意味がないことを探して頭悩ましてぇ。
意味がないこととして存在しとんのに
見つけ出した途端
意味があることに変わってしまうやんけぇ。
その意味ないことはここで書かれるために
潜んで影薄ぅして意味ないを演じとったんやろ?
可愛ゆぅて仕方ないやんけ…。
あぁ~もうやめやめ!
意味ないことはせんとこ。
後の哲学は代わりに考えてもらおう。
わしゃ、寝る!
これはまだ未完成の、途中の考え…。
マンガ『君たちはどう生きるか』で
コペル君が最後に言う。
「自分中心に回ってると思ってた世界が実は中心は自分だけじゃないと気づいた。じゃあ何が中心なのか?太陽のような存在が回してると思ってたけどそうじゃない、中心なんて無いのかも。皆それぞれが流れを作り出してる。」みたいなことを。
詳細は調べ直してほしい…。
これを読んで私は簡単なことだと気づいた。
答えは身近にあるじゃないか。
「宇宙」だ。
自分の世界は自分中心で回っている。
すなわち自転だ。
そしてそれは自分だけではない。
この世のもの全てが自転している。
つまり、それぞれ自分中心に世界が展開してる。
物語が紡がれている。主人公という意味だ。
それぞれ自転しているものが
空間にばらまかれている。
つまり宇宙だ。
自転するものの中には
周りをも巻き込む存在がいる。
つまり太陽だ。
そして、その太陽系をも巻き込む存在がいる。
つまり銀河だ。
宇宙の原理は見事に人間社会にも当てはまる。
だから、答えは『宇宙』なんだ。
宇宙の中に『宇宙』がある。
『宇宙』の外に宇宙がある。
『宇宙』の外に宇宙があるならば、
宇宙のさらに外側にも“宇宙”があるのだろう。
例えば宇宙が一つの細胞だとしたら
成長(拡大)していっているのも頷ける。
さらに外の“宇宙”の観測が難しいのもね。
『宇宙』と言ってしまうと
三人称的視点で(漠然と)
宇宙を観ることに慣れた人達は
振り出しに戻ってしまうだろう。
でも人間社会という『宇宙』を観る時、
三人称的視点にだけ戻ってしまってはダメだ。
それぞれ自転している。
一人称視点で(を意識して)観る。
相手から自分を観た思想行動考えもある。
二人称視点で観る。
つまり、『宇宙』を観る時は
一人称二人称三人称視点で同時に観て
その条件・環境で起き得る皆それぞれの言動を
そのまま受け入れることだ。
怒ったりせず。
何故なら
その相手と全ての条件が同じにされ
その環境状況に自分が投げ込まれた時、
相手とまったく同じ言動を
自分も取るはずだからだ。
なぁに簡単さ。
よく聞く言葉。
「相手の立場に立って考えよう」だ。笑
よく相手を観ることだ。
自分中心にしか観ていない人は
相手中心に。
相手中心にしか観ていない人は
自分中心に観る目も持つことが大切だ。
相手の感じる感情は自分でも経験してみないと
完全には理解できない訳だからね。
大切だよ自分視点も。