どこまでも続く青い空
青い空はどこまでも続かない。物理的に考えて当たり前のことだ。青い空がどこまでも続くように思えることはある。
たとえば、それは、こんなとき。
頭部の三分の一を共有する結合双生児の女の子たちが、空を見上げて歌っている。足をなくしたスイマーが湖を泳ぎきってピースする。下半身が動かない車椅子バスケの選手がシュートを決めて笑う。
青い空は続かない。続くように思えたらそれは幻影か、あるいは、人間がなした仕事の結果だ。青い空は続かないのが自然なのだから、それが続くとしたら不自然なことで、つまりそれこそが人間の仕事なのだ。
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蛇足。
今年の4月に結合双生児であるロリ・シャペルとジョージ・シャペルが亡くなりました。歌手であるジョージが明るく晴れた公園でたくさんの人に囲まれて歌う動画を見たとき私は、この動画みたいに幸せな一瞬は人生で何回もないだろうなと思いました。青い空は続きません。幸せも一瞬。でもそれでいいんだと思います。
衣替え
衣替えというものがあったのだと国語で教わった。歴史じゃなくて国語。昔の季語を調べてレポートに書いてみようっていう単元。ここは日本の東海地区なんだけど、だいたい3月から11月まで暑いの。12月になるとようやく涼しくなって、クリスマスくらいから1ヶ月くらい寒い。だから衣替えの季節感って冬のような気がするのね。きちんと春と秋があって、冬が3ヶ月あったという昔の日本のことを考えてみる。よくわかんない。暑い季節が短いのはいいなあ。でもそんなの書いても点数つかないかも。どんなの書くのがいいのかなあ。衣替え。秋と春の衣替え。想像が難しいや。
声が枯れるまで
「声がなくなるまで」という歌があった。いつごろだっけ。たぶんあたしが若い頃。あたしもう若くないの? うーん。わかんないけど大人になった気しない。なんの話してたっけ。そう、そう、「声がなくなるまで」よ。ジュンスカよ、あたしあれすっごい好きだったのよ。声が枯れるまでじゃなくて、声がなくなるまで。声が枯れるくらいなによ。枯れたってまだ声があるなら歌いなさい。…そう、そう、あたしはそう思っていたの。自分がほんとに声をなくすなんて思ってもみなかった。あたし癌で声帯をとってしまったの。それでもあたしは声を出す訓練をした。ゲップの要領で声を出すの。ひどい声よ。カエルみたいよ。でもこれはあたしの声。いまあたしに出せる最高の声。あたしの声はまだなくならない。
秋晴れ
「こういう透明すぎる秋の空を、昔は異常透明って呼んだんだ。今は言わない。異常という言葉のイメージが悪くなったのかもな。異常ってなんだろうな」と、先生は言った。
先生はもういない。異常能力者狩りに捕まりそうになったぼくたちをかばって死んだ。
気持ちのよい秋晴れの日だから外に出て、でも見つかったらヤバいから、ぼくはぼくの前後の光を交換する。前後から見た場合ぼくは光学迷彩で見えにくくなるってわけ。ぼくの能力は光を任意に交換することだけど、完璧に透明になれるわけじゃない。
先生、ぼくたちは異常なんだろうか。100メートルを10秒で走ったら賞賛されるのに、5秒で走ったら異常者扱いだ。異常ってなんなんだろうか。
秋の異常透明の空は美しいが何も答えてくれない。
忘れたくても忘れられない
なんてつまらないタイトルなんだ。今日のお題は「忘れたくても忘れられない」、これは書く気にならない。頭の中で昭和すぎる「別れても好きな人」とか鳴り響く。くだらなくて泣きそうだ。
本当に忘れたくても忘れられないのは、好きな人でも好きな食べ物でも好きな風景でもなくて、たまらなく嫌なこと、二度とあってほしくないひどいこと。具体的に書く勇気を私は持たない。
象徴的になら書いてみてもいい。暗くて狭い部屋に満ち満ちる人の一部、たとえば腕や脚や生首、その生臭くよどむ空気の中に無数の牙が生えて少しずつ私を削ってゆく。
忘れたくても忘れられない? は! 忘れられないのが酷い風景でないのならあなたは幸いである。神の国はあなたのものだ。