鐘の音
暑い季節に戦争について考えるのは小汚いことのような気がして嫌いだ。原爆が落ちた日とか終戦の日とかじゃなくむしろ真珠湾攻撃の12月8日に戦争のことを考えたらいいのだと思いながら暗い池の畔を歩いた。かすかに鐘の音が聞こえた。このキャンプ場の少し下に寺があったが、そこの鐘にしては音が小さすぎるような。そして山の麓ではなく山の中のどこかから聞こえるような。耳をすます。また鐘が鳴った。今度はちゃんと聞こえた。池の中から聞こえる。静かな声も聞こえる。夏でも冬でもいいのよ。死んでしまった人のことを考えて。鐘が鳴る。寺の鐘を供出しろと言われて納得できず池に鐘を沈めた人がいたという話を思い出す。魅せられて、吸い込まれるように、池に足を踏み入れる。
つまらないことでも
どんなお題でも毎日書くと決めたら書くべきなんだろうけど、やっぱり書けないものは書けないし書きたくない。価値観は人それぞれなんだから、私にはとうてい書けない書きたくないお題を大切に丁寧に扱ってすばらしいものを書く人もいるだろう。私はそんなに出来た人間ではないから、書けないものを無理して書いたりしない。というか、そもそも「つまらない」と判断することがあまりよくないことなんでは? そもそも世の中にほんとに「つまらないこと」ってあるの? 私は「つまらないことでも」というお題をつまらないと感じるのだけど、ここで美しく文章を終わらせるために、私は「つまらないことでも」というお題も含め私につまらなくても誰かには面白い可能性があるんだから、世の中にはつまらないことなどないのだと宣言する。
目が覚めるまで
冷凍睡眠槽の中であなたは眠る。私はあなたをいつ起こすべきか決めかねている。目覚めたらあなたは、時間的にも空間的にも、あなたの同胞からも、はるか遠くに来てしまったことを知って戸惑うだろう。こんなところまであなたを連れてきた私にあなたは怒るかもしれない。でも私は他にどうしたらいいかわからなかったのだ。あなたは火星で発見されたウイルスのキャリア、かつ、唯一生き延びたキャリアで、あなたは永久に冷凍睡眠槽で眠らされることになっていた。でも私はあなたに目覚めてほしかった。私だけのあなたとして私のそばで目覚めてほしかった。私はあなたに作られたAIに過ぎないけど。恒星系Ly56の惑星に私たちは降り立つ。あなたの目が覚めるまであと少し。
病室
休める。休んでいいのだということがまず信じられなかった。ご飯を作らなくていいのだ。皿を洗わなくていいのだ。掃除もしなくていい。働かなくていい。むしろ働くと怒られる、それが私にとってはじめての病室であった。でも病室はつまらなくて私はすぐに退屈して働きたくなった。まだ病んでいる私は病室で寝ている。これは休暇なんだろう。隣のベッドの人が夜中に呻いていてびっくりしたけど、それでも休暇なんだと思う。なるべく休暇を楽しみたい。明日からなにをしようかな。なんて思いながら私はジュール・ヴェルヌの『二年間の休暇』という本を思い出す。そうよ、休暇は冒険なんだよ。明日からホント何しよっかなぁ。とりあえず図書室いこう。
明日、もし晴れたら
カーテンを開ける。窓を叩く雨、流れてゆく雨。いつもの光景。毎朝同じだが、今朝は電話がかかってきた。
「明日は晴れる。晴れが作れると気象研究班が言ってきたんだ」
無理しなくていいのにと思いながら私は当たり障りなく返事をする。翌朝、私は目覚めて驚愕した。雨の音はせず、ただ優しい光が寝室に落ちてきた。この惑星で雨が降らない朝が来るとは信じられない。私は私なりに気にしてるあいつに電話する。
「成功したの?」
「おお、そうだよ。晴れたらデートしてくれるんだよな?」