澄んだ瞳
これほど澄んだ瞳を私は見たことがなかった。うっすらとあがる口角。こちらをまっすぐに見つめる瞳。その瞳には悩みも迷いもなく、ただ無心にこちらを見つめるように思われた。しかし医師は悲しげに彼を見やった。
「これは1000ヤードまたは2000ヤードの凝視と呼ばれるものです。彼らの瞳は澄んでるんじゃありません、拒否しているのです」
「ふーん。彼に身寄りはある?」
「ありません」
「じゃあうちで引き取るわ。彼に関して気をつけることがあれば教えてちょうだい」
「戦争に関するニュースや映像は見せないほうがいいですね。それから…」
説明を聞いてから、私は彼を家に連れ帰った。これから毎日彼の世話をして、毎日戦争の映像を見せてあげよう。あの瞳を維持するために。
***
作者より。意味がわからない人は「1000ヤードの凝視」で検索してみてください。
嵐が来ようとも
嵐が来るのだと大人たちが噂し始めた。しばらくして嵐がもうすぐ来るのだと公式のニュースで流れた。嵐を知らない幼年組は少し不安そうだが、大人たちが幼年組のこどもたちを優しく諭す。
「嵐は怖くないのよ。嵐は私たちに富をもたらすの。たくさんの貴金属や肉や魚、誰も知らないような本を落としてゆくこともあるの。だから大丈夫」
私は来年成人だ。私が幼年組のころ嵐がきた。村の勢力が書き換わり、食べ物も、飲み物も、着るものも、歌も、物語も変わってしまった。みんなその変化をあまりに気楽に受け止め、過去の村のことを忘れてしまったようなのが怖かった。
また嵐が来るとして。私は私でいられるだろうか。私は私でいたい。嵐が来ようとも。
鳥かご とりあえず保全…
友情
もう疲れてるのでぶっちゃけますが、今月末〆切のものに応募するべく書いてますがまだできてません。中学2年の女の子、一人は1990年代に生き、もう一人は現代に生き、何かの間違いで過去の女の子が現代に来ちゃった!というコンセプトで書いておりますが、書きながら、私はこどものころの私として私のこどもと遊びたかったんだなあと思いました。たぶんそういうお話になる予定ですが友情ものにしたいです。
花咲いて
いつもの慣れた山に蕗を取りに行っただけなんだ。沢で足を踏み外した。怪我はしなかったけど、顔を上げるとそこはいつもの山の沢ではなく見渡す限りの原っぱで、紫色の花が一面に咲いてた。こどもが適当に描いたような丸い花びらの五弁花、なんだっけ、カタバミという花に似た花の陰から、親指大の小さな爺さんがでてきて、こっちを指さして「人のくるところじゃないわい、帰れ」とつぶやいた。それからどうなったかよくわからんのだ。気づいたらこの病室に寝てて、身体中に紫の花咲いたような痣。大丈夫だよね? おれ死なないよね? なんでみんな何も言わないんだ? どうして?