赤い糸
「小指につながる赤い糸なんて嘘だと思ってるな」
とそいつは言った。
飲み屋で隣にいただけの男だ。
もちろん名前も素性も知らない。
「そりゃ赤い糸なんて都市伝説だろ」
「さあね。とりあえずあんたの赤い糸は西の方角に伸びてるよ」
「え?」
正直驚いた。
付き合い出したばかりの彼女はこの街の西に住んでいる。
「いいよね、みんな普通に西や東や南や北、最悪でも地面の下に伸びてるんだ」
「いや地面の下ってなんだよ」
「ブラジルに運命の人がいたらそうなるでしょ」
「それはまあたしかに。ていうかその他にどこに伸びるんだよ」
そいつはかすかに苦笑した。
「俺の赤い糸は天に向かって伸びてるんだよ」
入道雲
真っ青に澄み晴れた空にもくもくと湧き上がる入道雲。
入道雲といえば夏。
麦わら帽子にTシャツの少年が
網と釣竿を背負って自転車で走り抜けてゆく夏。
入道雲の夏。
いや。
ぼくは首を振る。
今日あたりは降るかもしれないな。
少し強い風のなか綿虫が飛ぶ。
入道雲の真下は禍々しく暗い。
あの下はきっと吹雪だ。
ぼくはマフラーを巻き直して白い息を吐く。
今年初めての天からの手紙、
初雪が降ってくるのはもうすぐだろう。
(いつもの書き方を変えて行分けしてみた
夏
もうすぐ夏が来るのだという。春のはじめに生まれた私は夏を知らない。というか私の家族で夏を知っているのはおじいちゃんだけだ。夏のはじめに生まれたおじいちゃんはもうすぐ80歳になる。夏がどんなものかおじいちゃんに聞いたけど「懐かしいなあ、また夏が来るのか」と言うばかりでよくわからなかった。でもわかってることもある。四季それぞれが20年の長さを持つこの星で生まれ育った私の春は終わる。私はこれから20年間の夏を過ごす。人生でただいちどの夏だ。素晴らしい夏になりますように。
ここではないどこか
ここではないどこか? 今どきボードレールかい、古いな、と言おうとしてて今この店にいる奴らは誰もボードレールを知りそうにないと考える。いや、意外と知ってるのかもしれない。どっちだろう。僕は田舎で賞を取っただけのつまらない詩人だ。全国で知名度がないのはもちろん地元でも知られていない。この店にいる連中が僕の詩を知らないのは間違いない。片手を挙げてウオッカライムを頼む。そして「ここではないどこか」はボードレールの「どこへでもこの世の外へ」ではないということに思い至る。ダメなのは僕だな。誰でも異世界に行く夢を見る世の中なんだ、異世界すらこの世になった。親愛なるボードレールよ、僕はどこに行くことを夢見ようか?
君と最後に会った日
過去形にすることは断じて許さない。明日以降の約束がないのも許しがたいが君に会う日は常に今日でなくてはならない。今日会えないのは却下だ。つまり毎日君は僕に会うべきだ。最後だと? なんでいま最後の話をする。今日を最後に君ともう二度と会えないと言うならば、君の人生は今日で終わりだ。君の人生の日々にはすべて僕が存在するべきなのだから。…わかった。今日が最後なんだね。もっと、ずっと、長く、君とこの世にいたかった。