自分の気持ちすら理解できないのに。
他人の気持ちを理解することなど、できるはずもありません。
配慮、気遣い、思い遣り。
これらが必要不可欠であることは、重々、承知しています。
しかし、私は、自己本位でしか動けないのです。
五つ年上の旦那様がお仕事なさっている間、私は、お洗濯やらお掃除やらをしなくてはなりません。お料理の勉強もです。
だというのに、私は、何をするというわけでもなく、ただただ気力が湧かないという理由だけで、日がな一日、茶の間に寝そべっているのです。
そして、旦那様がご帰宅なさると、旦那様は呆れた表情をお浮かべになって、それに堪えかねた私は、旦那様が汗水流してお稼ぎになったお金を持って、隣町の居酒屋へ逃げ込み、私が悪いというのに、旦那様のことを悪く言ってしまうのです。
この悪癖は、私が死ぬまで、治ることはありません。
治したいという強靭な意志があれば良かったのですけれども、お生憎様、軟弱者の私は、そのような大逸れた信念など、持ち合わせていないのです。
旦那様、どうか、こんな私を、早く見棄ててください。
そうすれば、旦那様も、私も、いまよりはまともな生活を送ることができるでしょう。
勝ち負けに拘るなんて、バカみたいだ。
周囲の子たちがおもちゃを取り合っている姿を見て、幼心ながらにそう思ったことを、いまでも覚えている。
その考え方は高校生になるまで変わらなかったけれど、思考パターンが変化するにつれ、気付いたことがいくつかあった。
競争を毛嫌いしても、どうしたって、その仕組みからは抜け出せないということ。
勝利への渇望と敗北への悔恨がなければ、精神的な成長は望めないということ。
これらを把握してから、私は、物事に対して一生懸命に取り組むようになった。
普段の授業や定期考査はもちろん、高校生になってから始めた、バレー部の活動にも。
ただ、ひとつだけ、どれだけ頑張っても実らないことがあった。
恋愛関係だ。
同級生に御社怜《みやしろれん》という男の子がいて、数えるほどしか喋ったことがないのだけれど、ぼんやりしているように見えてきちんと周囲を洞察している、その不思議な人柄に惹かれた。
顔はどちらかというと、小動物を連想させる可愛い系。
髪は薄っすらと茶色く、癖がない。
メガネは、着けているときとそうでないときの割合が、六:四くらいだ。
私の恋心が叶わないと発覚したのは、ある休日の出来事が関係していた。
お姉ちゃんとの買い物で近場のデパートに足を運んでいると、彼が、私のクラスにいる、学年一可愛いと言われている女の子とデートしている姿を目撃したのだ。
最初《はじめ》、目を疑った。
私はその女の子と仲が良く、彼女の口から、一度たりとも、その事実を聞いたことがなかったからだ。
それゆえ、ショックはより大きかったのだろう。
私の挙動は次第に不審になり、お姉ちゃんに「大丈夫?」と心配されてしまった。
泣きそうになって、「ごめんね、お姉ちゃん。私、先に帰るね」とだけ一方的に告げ、「あ、ちょっと!」と呼び止めようとするお姉ちゃんを置き去りにして、私は全速力で自宅のほうへ駆けた。
走っている最中、溢れる涙は止まらなかった。
帰宅したあとも、自室のベッドの上で、苦しい胸を抑えながら、嗚咽を漏らして泣いた。
しばらくして泣き止み、状態が落ち着いてから彼女に事実確認をしたけれど、私の予想した通りだった。
それが、一年前のこと。
二年生に進級して、二ヶ月が過ぎた。
いまはもう六月。梅雨の季節。
彼と彼女の交際は、現在でも続いている。
それでも、私はまだ、彼のことを諦めきれないでいる。
行動しなかった自分が悪いのに、未練たらたらで、本当に、バカみたい。
雨が降り始めたら、Aimerの『Ref:rain』でも聴こう。
雨と失恋の歌が、いまの私にはお似合いだから。
淡い、淡い、二人だけの時を刻む
脈は早搏《はやう》っているのに
一秒が、永遠のように感じられる
私たちは、特殊相対性理論の中
時よ、どうかこのまま
幸福な幻想《ユメ》を、見させていてください
現実は夢であり、夢もまた現実である。
醒める夢はない。
「創作語録」
【不条理】
転じて、巫女売り《ふじょうり》。巫女《みこ》売
りとも言う。
参拝者を増やす為に巫女服を着た女性を売りにす
る、神社の戦略的営業方法。一般的に、神への冒涜
とされている。これを行った神社は、参拝者が大幅
に減少すると言われている。