楽園
自分にとって居心地のいい場所
自分の都合のいい事が起こる場所
自分が傍にいて欲しい人たちがいてくれる場所
自分の身の周りを害するものが一切ない場所
辛いことや悲しいこと、苦しいこと、怖いことを恐れることなく飛び回れる場所
あるのなら、覗いてみたい
だけど、
きっとつまらないんだろうな
決まったハッピーなシナリオ
自分は絶対に不幸にならないという縛り
いざこざやすれ違い、仲間割れ、喧嘩や事件は起こらない
会う人、皆、笑顔、笑顔、えがお……
どれが、自分に向けた本当の笑顔か判別できない
本音をぶつけ合う機会すらないのかもしれない
自分なのに、片割れの自分だけを演じているみたいな気分なんだろうな
楽園は人の欲に溢れた蜜の世界
楽園を探してはいけない
楽園を渇望してはいけない
今の自分の身の回りで 探せ
小さな幸せを
今の自分を見つめ直せ
「楽園」に、たどり着いた時、
最期に持っていけるのは、きっと「それまでの想い出たち」だけなのだから。
たとえ間違いだったとしても
あの会話の最後に閉じ込めるかのように抱きしめられた
目尻にひとすじ流れていた
親友の話を聞くたびに
何度も何度も心の中を抉られる
今日も 忍耐が試される
「もう、どうしようもないでしょ?」とため息混じりに語る
ドラマの総集編みたいにノンストップ
感想を聞いているフリをして
少しも挟ませてはくれない
前屈みがキツイのか座り直す
困ってる仕草で笑う幸せそうな顔
私の眼の前で 今日もそれは開演する
あの日 あの時
私が貴女の代わりにシフトに出なければ
あの場所には 私が 居たはず
いや、よそう
いくら「タラレバ」を思い描いたって
過去には戻れない
あの日をやり直すことは 二度と叶わない
交差しない運命だったのだと思うしかない
でも、
未だに信じられない
彼は お酒が一滴も飲めない
なのに、あの過ちは起きた
彼には記憶がいっさい残っていなかった
でも、隣に居たのは親友だけだった
私は彼の彼女でも婚約者でもない
だから、奪われたわけではない
ただ、お互い、距離が少し近づいていた
「今度、◯◯を一緒に観に行かないか」
その先を 私は少し 勝手に夢見てしまったから
この感情が成仏できないでいる
ただ、私の親友と私の気になる彼が結ばれただけ
「……おっそい!」
ワンクッションおいて 私の鼓膜を揺らすあの声
無意識に聞き漏らすまいと集中してる自分が滑稽だ
たとえ、間違いだったとしても
彼は このまま全てを受け入れるだろう
逃げも隠れもせず
策略だとしても 利用されたとしても
たとえ、間違いだったとしても
この、現実からは 私も彼も 逃れられない
私は 今日も 静かに仮面をかぶる
「◯◯の親友」役として
「……お疲れ様。◯◯くんが来たから、私はもう行くね」
残念そうな顔を向けて「またねー」と手を振る親友
振り返った彼と視線が一瞬合うだけで
呼吸を抑制していた事に気が付いた
今日も無事に 演じきっただろうか
仮面は ズレていなかっただろうか
この舞台に 終演は訪れるのだろうか
遠くの空へ
近くにも寄らず、声も手紙も届けなかった
ここに貴方への想いを置いて行くのも
今、気持ちを曝け出して行くのも
何だか整列しきれていない、
言葉の渋滞でしか生み出せそうもなかったから
貴方はここで
私は向こうで
それぞれの道を
また歩み出す
貴方への想いは、私の「原動力」そのものだから
まだ、大事に傍に持っておきたい
この、蒼い空に眩く咲く桜と貴方の笑顔
貴方の声は忘れない
遥か遠い空の向こうでも
幾つもの歳月が流れても
再び 成長して同窓会や集まりで会えたら
一人の人間として 一人の女性として
真正面から
全力で
挑みますから
そのときは覚悟しておいてくださいね、
◯◯先生っ!!
エイプリルフール
今日一日は、ネットニュースやSNSも
家族LINEでさえも一瞬、疑心暗鬼フィルターが
自然発動する日
SNSがない時代の、
必死で前夜考えたであろう友人の、
クスッと笑えるエイプリルフールネタが今は、
ただ、ただ、恋しい。
ハッピーエンド
「ハッピーエンド」の物語りより、
「アンハッピーエンド」寄りの物語りに私は惹かれる。
「ハッピーエンド」の枠から少し外れた人物の方が謎めいていて印象に残りやすく、私には魅力的だったりする。
「ハッピーエンド」
私にとっては、高嶺の花だ。
ゲームでいうと、「ハッピーエンド」を迎えるためには、分岐点が何よりも大事だ。
レベルが足りていなかったり、選択肢をひとつでも間違えると辿り着けない。
でも、ゲームだから、やり直しがきく。
セーブデータがあれば、そこからやり直せる。
しかし現実世界の人生で、過去に戻ってのやり直しは一切出来ない。
その時々のルート変更は可能だが、まさに一瞬一瞬は一発勝負だ。
どういった人生を歩めば、「ハッピーエンド」と言えるかは誰にも分からない。
個人個人で何が幸福だと思えるのか、基準が違うからだ。
私は「ハッピーエンド」の方より「アンハッピーエンド」に少し傾いたくらいの人生が似合うと思っている。
幸福の頂点のあとが何かいつも怖いから。
目の前が緩やかな登りかも?くらいが私には丁度いい。