風。風が吹いている。追い風だろうか。それとも、向かい風だろうか。はたまた、季節外れの狂い風なのかもしれない。
向かい風ならば立ち塞がっている。歩みも遅くなってしまう。彼の0歩みも、彼女の歩みも。
追い風ならばどんなに良いことだろう。彼や彼女の背中を押してくれる。
狂い風ならば、的外れの方向に吹いていくのだろう。どこへ向かうかは狂い風次第ということか。
繰り返し吹いている。吹き荒れるのだろうか。吹き止むと良いのだが。
雨も降るならば最悪だ。冬の雨は冷たい。冷たさをただ増していく。
彼も彼女も凍えたくはないのだろう。出るとしても防寒はしっかりとしているはず。風邪を引きたくは無いから。
場所を問わず吹いている。広い道も狭い道も関係なく。
風は吹いていく。時代を巻き込んでいく。流れ着く先はどこなのか。彼も彼女もそれは分からない。知ることはできない。ただ、新時代へと向かうのみーー。
君と一緒にいたいと思った。
毛並みが可愛らしい君と一緒に。
抱きしめたら、モフモフしているのだろう。首に巻けたら生きているマフラーになるんじゃないかな。
眠っている君の姿も可愛らしい。いつまでも眺めていられそうになる。
鶏を狩ろうと飛び跳ねる君の姿は、とても凜々しく思えてくる。
でも、鶏の代わりに君にあげたいのはベリーだろう。
ベリーの赤い実を食べる君の姿はとても可愛らしい。
しかし、君は決して懐くことは無いのだろう。孤高な姿も好きだ。
君のために、君の顔を模したオブジェを建築しよう。
オブジェを君の家にしよう。君が喜んでくれるかは分からないけれど。
一人だと寂しく無いように、色違いの君の仲間も招待しよう。
大きなオブジェの家を建てて、走り回れるようにしよう。
君の苦手な狼は別の所にいてもらおう。オブジェの外にね。骨で懐かせてから。
そうすれば、君に対する私の想いは伝わるだろうか。伝わらないのかもしれない。けれども、私はそれでも構わない。
私の自己満足だとしても、君のことを想えるならば、その苦労は楽なものだ。
私の可愛いキツネさん。あなたのために安全な場所を設けよう。
狼に追われることの無い場所へと。あなたを誘おう。
そこがあなたの安全地帯になるのだと信じてーー。
ーー彼の想いは伝わったのか。それとも、伝わらなかったのか。それは誰にも分からない。
けれど、そこには満足そうな表情をした彼の姿がそこにあるのであったーー。
冬の時は晴れている日が多い。雨が降ったのはいつ頃だったろうか。
太陽は静かに地上を照らす。やわらかな光を放ちながら。
雲一つ無い空は澄み渡っていて。世界の空は蒼で塗られたかのよう。
夕方になれば寒さは厳しくなるけれど。それまでに家に帰ればいい。
猫にとって日向ぼっこ日和なのだろうか。車の上のボンネットで包まりながら。
冷たい空気だとしても、冬晴れの下にいると自分という存在がはっきりする。そんな感覚を感じることがある。
夏だと自分の存在が曖昧になってしまう感じがするから。はっきりする冬が好き。
そう昔読んだ小説の中で彼女が言っていたような気がする。もう何年も前のことだろうか。
懐かしい。そう感じながら、缶コーヒーを飲んでいく。午後をどう過ごそうかと考えながら。
微睡みの中でシャキっとする感覚。それが好きで冬晴れの下、コーヒーを飲んでいるのかもしれないーー。
ーー冬晴れの時は暖かく。微睡みを誘うかのように眠りについていく。
午後の昼寝は最高だと感じながらーー。
幸せとは何だろうか。人目を気にすることなく、独り言を呟けることだろうか。
一年中、マスクをしなくても、日々を過ごせることだろうか。
お金の心配をすることなく、気兼ねなく使っていけることだろうか。
冬の布団の中で温もりに包まれていることだろうか。
寝坊の心配をすることなく、睡眠を楽しんでいられることだろうか。
好きな香りを心行くまで楽しむことだろうか。
嫌な記憶を思い出すことのないことだろうか。
食べ物によるアレルギー反応が出ないことだろうか。
平和な日々を過ごせることだろうか。
憂鬱な日が来ないことだろうか。
病院に通わないで済むことだろうか。
不安を一切抱えることのないことだろうか。
カフェに行きのんびりと過ごすことだろうか。
幸せについて自問自答を繰り返してみても、納得のいく答えというのは出て来ない。
だけどもそれは、誰かの悪意によって容易に破れ去ってしまうものかもしれない。
そのように儚いものだとしても、人は皆幸せを追い求めていくのだろう。
本当の幸せかどうかは別にしてーー。
ーー本当の幸せとは、人間の持つニーズが満たされることではないだろうか。
あるいは、小さな幸せを共有できることなのかもしれない。
どちらにしても、本当の幸せというのは、欠けているものが満たされることであるのかもしれないのだからーー。
日の出はいつの時代でも昇ってくるもの。そして、夕焼けと共に沈んでいくいくもの。
新しく昇ったからと言って目出度いものなのだろうか。
気に留める価値は果たして有るのだろうか。ただ昇り沈んでいくものに対して。
ただ単に世界を照らす天然の日光に対して。あるいは、太陽の神々への礼拝だろうか。それならば無力な偶像に過ぎないのに。
近づく者を緋を抱くように火で焼かれたのは、イカロスだったのではないだろうか。有名な話である。
日の出と共に起き、日の沈みと共に眠る。それが人間と自然の営みであった。電気が世界中に普及されるまでは。
その営みが崩れてきてしまっている。不夜城という言葉が生まれるぐらいには。
太陽は昇る。雨雲に覆われていたとしても。
太陽は沈む。夜を地上にもたらすために。ただ存在するのだ。
平日だろうと休日だろうと関係ない。ただ地球を公転するために回り続けている。それが太陽なのである。
例えそれが鮮明な瞬間だとしてもーー。