終わらせないで。そう彼女は願う。せっかく勇気を出して告白したのに、それが終わってしまうなんて。
しかし、彼の決意は変わらない。彼女がどんなに願ったとしても、終わらせてしまうから。何もかもを。
終わらせないで、と繰り返し彼女は願う。願いを重ねるように。このままの関係を続けていきたい。他に道がきっとあるはずだから。
だがしかし、彼の決意は揺るがない。すべてはすでに決められている。彼はそれに沿って動いている。
イレギュラーがあるならば、彼女のことだけ。それでも、決められたレールは変えることが無い。
運命の時が迫る。彼女にとっての絶望の時が。彼にとっての終わりの時が。
そして、彼女の願いは叶うこと無く、彼は終わりの時を定めた通りに終わらせた。
彼女のショックは大きかった。どんなに願っても、願いは叶わなかったのだから。
その日以降、彼は彼女の前に現れることは無かった。避けられているかのように。
彼女にとって彼は。冷たくて怖くも優しい人だった。でも、定めた終わりを覆すことは無かった。
どんなに願ったとしても、彼の決意は不変で揺らぐことは無い。それを思い知らされてしまった。残酷にも。
彼のことを知る人たちは、彼のことを身勝手な奴だと批判していった。けれどもこれは仕方の無いことだった。
やり直したい。すべてを。この手で終わらせるとしても。その願いは決して変わらない。
不変の決意であり、願いでもあるのだから。
そして、皮肉にも世界は終わりを迎えることになる。管理者たちによる黒い嵐によって。
滅びを迎えることになる。彼と彼女が出会った世界はーー。
ーー運命というのは皮肉を孕むのが好きなもの。その皮肉を覆す術は誰も持っていないもの。人は為す術が無いのだーー。
私は何に愛情を抱いているのだろうか。人に対してだろうか。物に対してだろうか。お金に対してだろうか。
人に対してならばどうだろうか。友人たちに親愛の情を抱いている。しかし、過度に深い愛を抱くことはない。
物に対してならばどうだろうか。一つの物が無くなった時は悲しいとは思う。しかし、別の何かに思いを向けるのだろう。スパッと切り替えるようにして。
お金に対してならばどうだろうか。金銭管理をしてもらっているから、基本的には大丈夫なほうだろう。必要以上に欲しいとは思わない。けれども、欲しい物は必要な分だけで十分。不安ならば計算すればいいだけのことだ。
人に対しても、物に対しても、お金に対しても、私は別に愛情を抱いていない。あるいは、気づいていないだけかもしれない。
私は何に愛情を抱いているのだろうか。私は私自身を愛しているだろうか。自分自身を愛しているとはどういうことなのか。
楽な姿勢をしたままこの文章を書いている。それ自体が、自分を愛していることの一つの証拠となるのだろうか、それはただ楽だから。お題だからと言った理由に過ぎないのではないか。
自分が時間をかけているもの。苦痛となっていないもの。当たり前となっているもの。それにこそ、愛情を抱いているのではないだろうか。だからこそ、時間を注ぎ込む。愛という水を、種を蒔いた土に注ぐかのようにして。
さて、私が何に対して愛情を注ぎ込み、抱いているのか。考えて、書き出してみても、答えとなるものは得られないままなのであるーー。
朝起きる。熱がある感覚がある。もしかして、風邪か。疑問を抱く。体温計で熱を計る。37.0。微熱である。
今日は平日。仕事の日。職場で計り直せばいいだろう。37.5になれば、体調不良で早退になる。しかし、世の中そう上手くはいかない。
出勤している間に平熱になり、そのまま仕事へと直行となる。そうなると予想する。先読み程度だ。
最寄り駅に行き、少し待ち、電車に乗る。いつもの通勤。熱も治まってきている。今計ったら、36.5や36.9ぐらいじゃなかろうか。そうなれば仕事だろうな。いつもと変わらない。
職場に行き、体温計で熱を計る。36.5ぐらいだろうか。そうなれば仕事だ。潔く入ろう。
音が鳴り、体温が表示される。37.4。見間違いじゃなかろうか。もう一度計る。今度は、37.2。
仕方ない。上司に報告して、その後、早退しよう。
上司に報告する。念のため、病院に行くよう告げられる。それもそうだろう。熱以外、これと言って不調は無いのだから。
帰りに病院に連絡して、受診の予約をする。念のため、別口から入るよう指示された。感染対策だから仕方ない。
結果は熱発だった。喉の痛みも無かったしな。
微熱だからと言って、甘くみるべきではない。それが今日の教訓だろうか。そう思った冬の一時であったーー。
穏やかな冬の日差しの中、花が咲いている。シクラメンが咲いている。サザンカも。
エリカの白い花が咲いている。公園の花壇を埋め尽くすように。
霜月の太陽の下で、冷たい風に吹かれながらも、花を咲かせている。
葉が枯れて落ち葉となり、枯れ木が多い公園の中で、花が植えられ、育てられた花たちが色彩を放っている。太陽に祝福されているかのように。
スマホの画面を見ているだけの人々に気づかれにくいとしても、自然の美がそこにある。確かに色づいている。
風が吹き落ち葉が花壇に入ってきても、花の美しさは変わることが無い。
見つけた者だけが感じることができる。
育てていた者にとっては開花が報いとなる。
太陽の光を浴びて、冷たい風に吹かれながらも、シクラメンは、サザンカは、エリカは、公園の花壇に咲いている花たちは、今日も変わることなく咲き誇るだろう。
いつかは萎れ、花びらを散らし、枯れゆくとしても、霜月のこの瞬間にだけは咲いている。
見る者に一時の癒やしを与えながらーー。
ーー種は蒔かれ、芽を出し、花を咲かせる。それは自然が創り出す一つの美。それは決して損なわれること無く、いつまでも続いていくーー。
セーターの季節になると思い出すのは冬の到来。黒いセーターをいつも彼は着ていた。
細い黒い毛糸で編まれて黒いセーター。冬の間はどんな時も着ていた。ぼろぼろになるまで。
お気に入りのセーターなのだろう。ぼろが見つかるたびに新しい黒の細い毛糸で編み直していくぐらいに。手先が器用な彼は何度も自分で直していた。
どんな物も器用に作って、壊れたら自分で修理する。その繰り返しだった。
彼は多くを語らない。無言で静か。しかし、存在感は確かにある。知らぬ間にすっと周りに溶け込んでいる。そして、すっと離れてしまう。
独りぼっちというわけでは無いが、どこか独りを愛している。彼はそんな人物なのだ。
彼は黒いセーターを着ている。どんな時も変わることなく。黒いセーターと言えば彼のことを皆が思い浮かべるぐらいに。
すべての物を黒で統一されているのが彼の部屋だった。差し色を入れることもあるがベースは黒。クローゼットもベッドもテーブルも。部屋の家具すべてが黒だった。
彼に渾名を付けるならば、ミスターブラックだろう。それぐらい黒色は彼にとって身近な物なのだ。
今年の冬も彼は黒いセーターに身を包み、過ごしていくのだろう。いつものように変わることなく。
黒色だけが彼にとって安らぎを与える色であるためにーー。