今の自分の表情はどんな表情をしているんだろうか。
無表情か。それとも、喜怒哀楽のどれかだろうか。
鏡を見なければ分からない。手鏡すらこの部屋には無い。
鏡を見れば分かるのだろうか。鏡の中の自分の姿を見れば。
いや、顔を見れば良いのか。表情を知りたいのだから。
というか、どうして私は自分の表情を知りたいのだろうか。鏡を見れば答えは見つかるというのか。魔法の鏡じゃあるまいし。
もし、鏡を見つけたとして、そこに私が探し求めている答えが見つかるのだろうか。
分からない。けれど、知りたい。知りたくてたまらないのだ。何が分からないのだろう。
冷静な自分と衝動に駆られる自分。二つの自分がごちゃ混ぜになっているように思える。でも、鏡を見れば答えは明白だ。
私は部屋中を探し回って、ようやく鏡を見つけた。そして、自分の表情を知った。
そこにあったのは何の変哲も無い自分の表情であり、無表情の自分が映っていたのだったーー。
最近の私の悩みは目まいがすることだ。
たまにならば、そこに何らかの原因がある。しかし、それだけならば気にはならないし、悩みにはならない。
頻繁に目まいがするのだ。普通に歩いている。それだけなのに突然、目まいがする。
ふらつくし、くらくらと感じることがある。仕事中だとままならない。
一体、私の身体で何が起きているんだろうか。病院に行っても原因不明とか、気にしすぎで終わってしまう。問題に対して何の解決にもなっていない。
それゆえに、私の悩みは大きく膨れ上がってしまっている。
どうしたらいいんだろうか。この悩みを紙に書き出してみることにした。
すると、どうだろうか。私が目まいをするのが決まって、仕事上でのストレスだという事が判明した。また、目まいの原因について私なりに調べてみると、ストレスが原因で頻発することがあるそうだ。私の病状に当てはまっている。
心療内科。つまり、精神的なものかもしれない。精神科の受診は緊張する。でも、この問題がいつまでも抱えることに比べれば受診したほうが良いのだろう。
私は勇気を出して、精神科に受診することにした。しばらくかかったが問題解決の糸口は見つかっている。藁にもすがる思いだ。
結果として、私は自律神経による乱れから来るものであり、ストレスの原因は仕事上のものだった。先生から休職の届けをもらうことが出来た。
後は、これを職場に渡すだけ。そうすれば、この目まいの日々から救われる。
本当に受診して良かったーー。
私は彼女のことを永遠に忘れることは無いだろう。
彼女という存在は私の中で限りなく大きな存在になっているがゆえに。
世界中の誰もが彼女のことを忘れてしまったとしても、私だけは永遠に彼女のことを想い続ける。それが遺された私にできることなのだから。
新たな恋なんてできないだろう。彼女のことを愛してるがゆえに。
新たな恋のチャンスなんて、もう訪れはしない。彼女への愛を手放さない限り。
忘れられることなく想い続けた先に、私は朽ち果てていくのだろう。
私はそれでも構わないのだ。そうする覚悟はずっと遠い昔から決めている。
だからこそ、私は彼女のことを想い続けていくのだ。
誰かに強いられたわけでもなく。これは私自身が決めたことであるゆえにーー。
ーーそうして。彼が彼女へ抱いていた恋慕はいつしか、愛の詩へと昇華されていった。
悠久の時を経た今でも、彼女に対する彼の想いは様々な詩人たちが詩にして語り継がれているーー。
自分にとっての理想郷は他人にとってのディストピアである。
この言葉を誰に伝えたいのか。それは、操れない人形を操ろうとする者に投げ掛けるだろう。
崩壊の鐘の音色が鳴り響いている。誰も聞こうとしない。序曲が終わった。第一楽章が始まる。ラッパの音色が輪唱していく。
彼らは見ていなかったのだ。大前提を見落としていたのだ。憤りを宿らせる。狂訳は成されると知らずに。
ラッパの音色が吹き響いている。それでも聞こうとしない。七連の音色が重なり吹かれ、輪唱は広大に響き渡る。
糸は切れ、穴は塞がれてしまっている。そのことになおも気づいていない。穴を塞いでいるのは、病の種子だというのに。
遥か遠くからすぐ近くへと、確かに近づいている音色の音を塞ぐかのように聞こうとしない。ラッパの音色が吹き終える。
種子が芽吹き、葉が育っていく。マリオネットの身体を蝕むように。
バイオリンの音色が響き始める。崩壊の音色に合わせて。第二楽章に入ったかのように。
葉は広がり蔦となりマリオネット全体へと絡まり縛る。決して離さないかのように。
ドラムの音色が高らかに追走する。バイオリンの音色の後を追うかのように。それでも耳を塞いで聞こうともしない。
ユートピアはディストピアへと変貌を遂げた! もう二度とあの頃へと返り咲くことは決して無い!
再び鐘の音色が鳴り始める。ラッパもそれに追走するかのように吹き鳴らされる。
聞いた者たちは、音色を耳にした者たちは、皆、発狂し出した。耳を塞ぐことすら困難になり始めている。
花が咲き誇りゆく。病魔の黒花が女王のように。艶やかに。
鐘が、ラッパが、バイオリンが、ドラムが、パタリと鳴り終える。そして、入れ替わるかのように、フルートの音色が響き渡る。
発狂する者は後を絶たない。崩壊の音色を聞いてしまったから。
早々と狂ってしまえば良かったのか。それは誰にも分からない。ただ、崩壊の音色はあらゆる幸せを壊しゆくと言うことだけ。
だから聞きたく無かったと言うのに。
フルートの音色に合わせて、ドラムが音色を鳴らし始める。次いで、バイオリンが。ラッパが吹き鳴らし出して、最後に鐘が鳴り響く。
最終楽章に入ったのだ。
ユートピアを構成していたもの。それがいなくなれば、ディストピアへと真っ逆さまに堕ちていく。
かつてのユートピアで女王のように君臨していた者は、ディストピアにおいて、嘆きの涙を流しゆくのみーー。
懐かしく思うこと。そう聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。
私なら、昔好きだったアニソンを聴いた時だろうか。
今ではYouTubeで調べれば子供時代に見たり聞いたりしたアニメやゲームを知ることができる。
その中で、好きだった曲をそのまま聴いたり、ホロライブなどのYouTuberさんたちやファンがカバーを出したりしている。ダイアの花などだ。
2000年代のアニメやゲームの曲や裏技など、あらゆるものが調べれば分かる。あの時、クリアできなかったゲームの攻略法なども。
今ではプレイすることができないとしても、見ているだけで懐かしいと感じられる。
ゲームの実況者によっては、イラつかされることもあるんだがね。
アニメは色彩だけでも年代の差が表れてくる。リメイク版などが如実に感じられるだろう。気づいたら完結して、もう20年が経っていたとか。昔ハマっていた曲がリリースされて20周年を迎えていたりとか。そんなものがザラにある。
今でも続いている長寿アニメなんかだと、時代の流れを感じられるのではないかね。
子供の時は無邪気に見ていたアニメも大人になってから見返すと、こんな意味があったあったのかなんて思えてくるし。
キャラクターだって、声を当てている声優さんを知って驚くことがある。
意外な人が意外なキャラクターの声を当てていたりしている。
PTAから苦情が入って、スポンサーが降板したのに放送していたアニメの主人公役の人が、近年のアニメでも色んな役をやっていたりすると、凄いと思うし、懐かしくも感じられる。
さて、これが私の懐かしく思うことだったがどうだっただろうか。
では、次にあなたの懐かしく思うことを教えてほしい。時間はあるのだからーー。