私はかつて自らのエゴのために別れたことがある。思いを寄せてくれた人と。
彼女の思いには、残念ながら応えることはできなかった。私がいなくなることは確かなことだったから。
それでも彼女は期待を抱いていた。しかし、それは簡単に破られる程度のものでしかなかった。
私が破り捨てなければならないものだったのだ。
別れ際にかけた言葉は傷心させるもの。傷口に塩を付けるようなものだったと思う。けれど、仕方なかった。
私のやり直しの計画。それを思い留めることはできなかったのだから。
今更、謝罪の言葉はいらないだろう。彼女はもう立派な大人になっているはず。
彼女と出会った場所はもう無い。サービスがすでに終わってしまっているから。ただ名称だけが片隅に遺っているだけ。
だからこそ、別々の道を歩んでいる。もう交わることが決して無い道を。
本当に今更だが、彼女の幸せを願っていよう。今の私にはそれしかできないのだからーー。
雨が降っている。通り雨だろうか。それとも、しばらく続くのだろうか。
どちらにしても構わない。家の中に引き籠もっている私には、天気なんて、晴れだろうが曇りだろうが雨だろうが、関係ない。
食料を買いに行く時だけは止んでいてほしいけども。
この雨は私の心境を表しているのだろうか。引き籠もりで心が荒んでしまっている私の心を。
それとも、癒やすために降っているのか。乾いた荒野を雨で潤すように。
雨音は自然の歌だと誰かが言っていた。誰が言っていただろうか。思い出せなくなっている。病気のせいだろうか。
でも、確かに雨音は自然の歌のように思える。楽器だとしたら、木琴だろうか。それともピアノだろうか。
激しく打ちつけてるのは打楽器のドラムだろうか。
何の楽器だとしても、私の心に響くのだろうか。感動することがし難いというのに。
どちらにしても関係ない。考えていたら疲れてきた。眠ろう。雨音を子守唄代わりにして。
起きたら、雨は止んでいるのか。それともまだ降っているのか。分からないけども、今はとりあえず眠るとしようーー。
秋。それは紅葉の季節。緑で覆われた木々が、赤みを差し出してくる。銀杏の並木通りには黄色が差し込んでくる。そんな季節。
秋。それは芸術の季節。白いキャンパスには様々な絵の具たちが色彩の軌跡を残していく。そんな季節。
秋。それは読書の季節。涼しくなり屋外での読書が捗り、新たな知識を得ていく。そんな季節。
秋。それは運動の季節。室外を問わず、身体を動かし、筋肉を付けていく。そんな季節。
秋。それは収穫の季節。育ててきた様々な植物が実り、刈り集めていく。そんな季節。
秋。それは暑い夏が過ぎ去り、寒い冬を迎えるまでの僅かな一時。それを楽しむための季節。
万人共通として迎える季節なれど、様々なドラマが繰り広げられる。人それぞれのドラマが。
ありふれた日常なのか。ちょっとした非日常なのか。出会いか、別れか。
どれであろうと季節は変わらない。秋ならではのことは、出来事に対する些細なスパイスでしかない。
私の秋と貴方の秋は同じようで違うもの。同じ時だとしても、細部では異なりゆく。
埋まることの無い差をどうやって埋められるのか。感じ方がそもそも違うというのに。
どんな秋になるとしても、私は私の秋を楽しむだけ。それを邪魔させたりはしない。
誰かの季節を塞ごうとするなど、エゴでしか無いのだからーー。
私の家の窓から見える景色は、空と隣人の畑と人工芝が敷かれた我が家の庭。そして、フェンス越しの共用駐車場。
ありふれた景色だと思う。代わり映えのしない景色なのだから。けれど、4年も住んでいれば、愛着は湧くものかもしれない。
空と隣人の畑ぐらいの変化しかないとしても、それでも楽しむことはできる。
変化するのは、空が大きいだろう。青空だったり、曇りだったり、雨だったり、その日の天気によって変わってくる。
見る時刻によっても変化はある。夜ならば真っ暗闇だが、夜らしいじゃないか。
早朝ならば早朝の景色がある。昼ならば、変わりゆく影を楽しめる。
何の変哲もないと決め付けるべきじゃない。楽しもうとしない限り、つまらないままだ。
不変なものなんて一つもない。変わりゆくからこそ楽しいもの。楽しめなくなれば、人生はつまらないまま。
つまらない人生よりは、楽しいものが良いだろう。楽しみかたは人それぞれだとしても。尊重し合えばいい。
楽しみの押し付けは、一方的なまでの押し付けに過ぎず、自己満足でしかないのだからーー。
涼しい風が吹いている。風の中に手を入れて掴もうとする。だけど、スルリと抜けてしまう。当然のことだろう。
風は空気で形の無いものなのだから。どうしたって、掴むことなんかできない。
吹き抜けていく感覚を味わえるとしても、風を身体で受けているとしても、風そのものを手に入れることはできない。
できるとしたら、それはファンタジーであり、幻想の中のもの。想像することしかできない。
風はどこから生まれて、どこを巡り、どこに去って行くのか。どこで終わりを迎えて、どこで新たに生まれてくるのか。
それは誰にも分からない。もしかしたら、風そのものも分かっていないのかもしれない。
秋の涼しい風がどんな変化を迎えていくのか。それは誰にも分かることでは無いのだからーー。