ジーキャー

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9/23/2024, 9:04:46 PM

 子供の頃、よく遊んだ公園にはジャングルジムがあった。今でもあの公園にはジャングルジムがあるのだろうか。
 Googleearthで調べてみる。すると、ジャングルジムが撤去されていて、ブランコとすべり台と鉄棒だけになってしまっていた。
 昔は、グローブジャングルなどの遊具があったのに。子供たちの安全面のためと言われれば仕方ないのかもしれない。
 昔有ったのが、何らかの理由で無くなっていく。寂しさを感じるが時代の流れなのかもしれない。次世代を担うであろう子供たちを怪我から守るためにも。
 そうだとしても、やはり寂しさを感じてしまうのは、私が大人になったからだろうか。
 追憶の中で遊んだ記憶を思い出すしか、今は方法が無いのかもしれない。
 童心に帰りたいのに帰りづらくなっているのは、どう考えても寂しいものなのだからーー。

9/22/2024, 9:17:36 PM

「どこにいるの」
 あるマンションでのことだ。ロビーにいると謎の女性の声が聞こえるらしい。
「どこにいるの」
 その女性は誰かを探しているようだ。しかし、見つからないらしい。
「どこにいるの」
 その女性は鏡越しに見えるらしい。まるで亡霊のように。
「どこにいるの」
 彼女は何度も繰り返し声を響かせる。
「どこにいるの」
 返事を求める声を、繰り返し繰り返し響かせる。
「どこにいるの」
 されど、彼女が求める返事は来ない。
「どこにいるの」
 彼女がいる世界は鏡の世界。それは死者だけが入り込む世界。
「どこにいるの」
 彼女が求めているのは、生きている我が子。だが、彼女がいるマンションにはいない。
「どこにいるの」
 別の場所で生きているから。彼女の呼び掛けに応えることはできない。
「どこにいるの」
 彼女は今日もマンションの中を、鏡越しに彷徨い続ける。
「どこにいるの」
 叶わぬ望みを抱き続けながらーー。

9/21/2024, 11:39:35 AM

『秋恋の時』
 秋の季節が恋しくなる。何故なのだろう。食に対してなのか。読書に対してなのか。それとも、芸術に対してなのか。
私には分からない。ただ、秋になると無性に恋しくなるのだ。
 もしかしたら、忘れてしまっているのかも知れないが、初恋の時が秋だったのかもしれない。
そして、初恋とは実ることは稀だ。実らない恋のことを何時までも引き摺っているからこそ、恋しくなっているのかもしれない。
あるいは、好きだった人と別れることになったのが秋で、そのことを考えると恋しくなるのかもしれない。
 どちらにしても、またはそれ以外だとしても、私にとって秋という季節は恋しいものだ。
 もしかすると、ここ数年の異常気象によって、僅かだった秋の面影が残暑によって追いやられてしまったこと。それ故に短くなってしまった。秋を感じづらくなってしまったことを恋しく思っていたのかもしれない。真相は分からないがね。
 恋しくなる理由をつらつらと挙げていったがどれも納得できるようで納得し難いものがある。過ぎ去ってしまっているものに対する恋慕なのか。それすらも私には分からない。
 ただ分かるとするならば、秋の時が過ぎ終えれば冬の時が来るということ。どんな寒さになるのかは、今のところ知る由もないのだからーー。

9/20/2024, 8:36:03 PM

 彼にとって大事なもの。彼女にとって大事なもの。誰だって大事なものは有るものだ。しかし、それを尊重ではなく否定する。
自分の大事なものを押し通そうとする。他の誰かの大事なものを奪ってまで。それは良くないことだ。
 誰だって、大事なものの価値は大きいもの。心の、思いの大半を占めているものだ。それを否定するようなことはすべきではない。押し通すことで得られるものなど、何も無いからだ。
 心に鉢巻をする必要は無い。鉢巻を着ける場所を間違えてはならない。鉢巻は頭に、額に着けるものだ。
 誰かの心に鉢巻を着けられそうになるとしても、着けられるままにするべきでは無い。額に鉢巻きを着けなさい。そうすれば、大事なものは、大事にしたいものは守れる。大事なものに焦点を当てることができる。その大事なものを守って行きなさい。
本当に大事にしたいものは心に有るのだからーー。

9/20/2024, 6:45:10 AM

時間が止まって欲しい。そう願うのならば、昼寝している時だろうか。心行くまでぐっすりと眠ってリフレッシュしたい。
しかし、そうすると時間がかかってしまう。1時間の昼寝が、3.4時間になってしまう。本格的の睡眠に移行しかねない。それでは、時間が勿体ない。
 だが、時間を止められるならどうだろうか。もし、止められるのならば、昼寝前に止める。そうすれば、いくら眠っても時間が進んでいない。
起床して、時間停止を解除すればリフレッシュした状態で活動できる。実現可能ならば素晴らしいと感じられるだろう。
 けれど、ここで問題がある。どうやって時間を止められるのか。どうすれば時間停止を解除できるのか。できたとしても、何らかの代償を支払わなければならないのか。その代償とは何なのか。
他にも、どれくらい時間を止められるのか。時間停止の範囲はどのくらいか。人間の手に負えることができるのか。等々。
挙げだしたらキリが無い。それくらいに問題がある。それらをクリアしなければ、時間が止まって欲しいとしても、単なる妄想に終わるだけだ。
 だからこそ、時間停止は現実的に不可能なのだろう。心境的は別として。
 心境的に考えるならば、楽しい時間は早く終わってほしくない。楽しい時のままで止めて、思う存分楽しみ尽くしてから、時間停止を解除したい。
 悲しい時間は早く過ぎ去ってほしいものだ。時間を停止してどっぷりと悲しみに浸り抜く。その後、悲しみが過ぎ去った時間停止を解除すればいい。
 嬉しい時も楽しい時と同じだろう。その気持ちを感じたままに時間停止して、感謝の言葉を考えたり、手紙にしたためる時間にしたりできる。
 苦しい時は、その苦しみが早くなくなってほしいものだ。原因が分かっているときは特にそうだろう。原因不明の苦しみは嫌だが。
 怒れる時もあるだろう。その怒りの気持ちを抱え込むのではなく、手放すために時間停止するという手もある。何らかの方法で発散する時とか。それで、発散後に時間停止を解除したりとかな。
 喜怒哀楽に分けて考えたりすることもできた。実際にできたらいいが、高望み過ぎるものだろう。
 生きている限り、時間の流れに従うしか、人間には、生き物には、できないのだからーー。

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