建物に響くのは誰の足音? それは自分の歩く音。
今手を叩いたのは誰? それは自分が誰かを呼ぶ音。
それ以外には何も聞こえない。
周りには誰もいない。ここには自分しかいない。
白い建材で彩られた厳かな建物。
天井は高く、室内も広々としていて、もしかしたらここは誰かの豪邸だったかもしれないと感じさせる場所。
でも自分は知っている。
この建物はかみさまが気まぐれに作ったもの。
建物だけじゃない。この世界そのものが気まぐれに作られたもの。
この建物を出たらすぐそこは海。道はない。
建物が出来たら道はできると思っていたけど、一向に作られる気配がない。
生き物は自分だけ。他の生命体には会ったことがない。だから手を叩いて呼んでいるけど、誰も来ない。
かみさまはもうこの世界にもう来ないのかもしれないけど、自分はこの静寂の中心でいつまでも待っている。
いつかかみさまがこの世界を完成させて賑やかな世界になることを、ずっとずーっと待っている。
それくらい夢を見たって許されるよね?
だから、早く帰ってきてください。かみさま。
まだ小学生の頃、僕は虫眼鏡片手に色んなものを覗き込んでいた。
ものが大きく見えたり逆さに見えたりしておもしろかったからだ。
そんなある時、授業で黒いものに焦点を当てると燃えるということを学び、休日に早速黒い折り紙をベランダで燃やして遊んだ。
しかし燃えた一部が風に乗り、なんとなく集めた葉っぱの山に導かれるように着地してしまった。
白煙が上がりパチパチと燃える葉っぱの山にパニックになったけどハッとあらかじめ用意しておいた二つの水バケツ全部ぶっかけてなんとか事なきを得た。
心臓がバクバクとうるさいほど鳴って、その場にへたりこんでしばらく動けなかったのをしっかりと覚えている。
この出来事は僕の中でしっかりとトラウマになり、今では虫眼鏡を持つことやたき火が怖くなってしまった。
だから灯油販売車が『かきねのかきねの曲がり角〜♪』と歌っているのを聞いたらひぃぃ……! と思ってしまうのだ。
もちろん、本物のたき火も怖いのだけどね……
歌が怖いなんて情けないからどうにか克服したいんだけど……できないかなあ……
私は月明かりをよく食べる。
とても美味しい満月。サクッとホロッと口の中でほどけていく。
パンチがあるわけではない。どちらかというと素朴な味。だけどそれがいい。
ありがとう森◯製菓。こんなにステキで美味しいクッキーを発売してくれて。
MOONLIGHT以外にもMOONLIGHT CHOCOLAT、
BLACKMOONも大好きです。チョコクッキー超美味い。
新商品のROYALMOONも楽しみです。ロイヤルミルクティーとクッキー……合わないわけがない。
……なんだか◯永製菓の回し者みたいだなあ。
してはいけないことをしてしまいました。
とても悪いこと、気軽にやってはいけないことという認識はいつも充分に持ってます。
だけどその上で、憧れや知的好奇心を抑えられずにやってしまいました。
お怒りはごもっともです。これからは絶対にやりませんから、今日だけ許してください。
本当に、授業をサボって屋上で早弁なんてもう二度とやりませんから。どうか許してください……
どこにもいて、どこにもいない。
思ったより人を見ていて、思ったより人を見ていない。
かなりのお節介焼きと思いきや、どこまでも無関心。
そんな雑多にいる誰かという概念、存在は社会を生きる上で切っても切り離せないもの。
私も、これを読んでいるあなたも、それぞれがはじめましての誰かさんなのだ。
そしてその誰かさんから始まった縁は人を繋ぎ、命の輪へと広がり、脈々と受け継がれていく。
……そう思うと歴史というのは人類の壮大な縁と命の物語なのかもしれないな。