「ねえねえ、夜に凪いだ湖の上を走れたらまるで夜空を駆けてるみたいでロマンチックじゃない?」
部室で本を読んでいると超唐突に先輩からそんなことを言われ私は目をパチクリさせる。
先輩はちょっと天然でマイペースで結構突拍子もないことを言いがちだ。だけどまさか本を読んでいる時に声をかけてくるとは思わなかった。
とりあえず読んでたところを指で挟んで先輩の方を向く。
「はあ……いきなりなんですか?」
「さっき歩いてる時に思いついたの! 夜空を駆けるなんてどうやってもできないから、それならできるんじゃないかって!」
「……湖の上をどうやって走るんですか。凍らせるんですか。それとも忍者みたく水蜘蛛を使うんですか。
あれ走れないですけど」
「うーん……現実的に無理かぁ。じゃあ夜の水たまりでいいや。
……いや、夜のウユニ塩湖っていう手も……」
ぶつぶつ言い始めた先輩を尻目に私は読書を再開する。
変人に片足突っ込んでる先輩だけど、私はこの人のことなんだかんだで好きだし尊敬してるのよね。
だって、二人しかいない文芸部をどうにかして存続させた人だもの。
この想いは誰にも知られちゃいけないの。
この想いは墓場まで持って行かなくちゃいけないの。
私の大好きな人が血の繋がったあの人だってことは。
同じ家で暮らしてていつも遊んでくれる。好きになるのに時間はかからなかった。
許されないことはわかってる。充分過ぎるほどにわかってる。
だからこのひそかな想いは誰にも告げてはいけない。
成就させてはいけない。
だから私が願うのはただ一つ。
あの人が私以外の人と幸せになりますように。
とっておきのロイヤルミルクティー、そして自分のご褒美用のクッキーを名前も知らない女の子に差し出す。
女の子、といっても高校生くらいの子だ。目力の強い凛とした雰囲気の子。
どうしてこうなってるのか。そんなの私が一番知りたい。
女の子は恐縮しながら一礼してズズズと飲み干した。
いい飲みっぷりだなあと思いつつ紅茶ってそう飲むものだっけと考えてしまうのは私のこれまでの価値観からだろうか。
「……で、あなたは誰なのさ。あの手紙に書いてあったのが真実だとして……本当に私の娘なの?」
そう訊くと女の子は少しだけ目を伏せて静かに語った。
「……疑う理由もよくわかります。だって私はまだこの世に存在していない人ですから。
お母さん直筆のあの手紙だけが私を私だと証明してくれる唯一の物。
……信じられなくて当然ですよね。
でも本当なんです! 私がここに来ることでお母さんは助かるって……」
そう言う彼女の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
未来の私はこの子を悲しませるようなことになってるのだろうか。何かの病気とか?
……私、いたって健康体なんだけどなあと心の中で呟きつつ私は女の子の目を見据える。
「わかった。言いたいことも聞きたいことも山ほどあるけど……とりあえずはよろしくね」
「あ、ありがとうございます!」
私に頭を下げて女の子は安心したように笑う。
……未来の娘と共同生活がこれから始まるのか。
まあこれはこれでおもしろそうだと思ってしまうのは持ち前の好奇心からだろうか。
あの手紙には未来のことを知ってはダメとか書いてあったけど、娘のことを知ってはダメとは書いてなかった。
これから少しずつ知っていこう。私のことも含めてね。
あの手紙はどこに行ってしまったのだろう。
大切に大切に仕舞っていたのに。
幼い頃友達から貰った手紙。私が引っ越してしまって長い事会ってないけど、とても大好きな友達だった。
もう顔もおぼろげだし声も忘れちゃったけど、それでも手紙を見たらあたたかい気持ちになるの。
……本当に、どこ行っちゃったんだろう。
そう呟いても手紙がひょっこり出てくるわけもなく、時間だけが過ぎていった。
部屋中ひっくり返す勢いで探してもやっぱり出てこない。
オカルトを信じない私でさえあの手紙は勝手に消えてしまったのだと思わざるを得ないほどだった。
そんなことありえるはずがない。ありえてほしくないのに、どうして見つからないの?
……嗚呼、手紙の行方は今いずこ。
キラキラと輝きを放つ星。
今日は、いや今日もとてもきれいだ。
今の季節はいろんな星座が見られるのだけど、悲しいかな私は星にそこまで興味がなくオリオン座しかわからない。
星占いなら興味ありありなんだけどな。
まあそれはさておき。
煌めく星々はいつ見てもきれいだけど、いつか天の川をこの目で見てみたい。
テレビでも写真でもプラネタリウムでもなく、本当に生で。
私のいるこの町は天の川を見るには少し明るすぎる。
だから夏になったらあの輝きを見るために星空で有名なところに行ってみたいな。