お題:夢見る心
子どもの頃、親の買い物に付き合うことが好きだった。お手伝い、なんて殊勝な心がけではなく、お菓子を買ってもらいたかったからだ。
スーパーに入るなりソワソワし出す私の魂胆などきっと母にはお見通しで、いつもしょうがないというように笑って100円玉を握らせてくれた。
ざらりと光るこの硬貨が、私は一等好きだった。お菓子売り場は宝箱で、駄菓子一つ一つは金銀財宝。ぎゅうと握りしめてぬるくなった硬貨をさて何と変えようかと眺めるひと時、全能感が全身に満ちるのを感じたものだった。
クリック、タップ、カードで一括決済。
買い物カゴをストレスの捌け口にしている今の私は、もうあの頃のように、お菓子売り場に夢を見ることができない。
お題:届かぬ想い
「口にしなければ伝わらない」
誰しも一度や二度は耳にしたことがあるだろう至極当たり前の文言。しかし真理を突いた言葉だと唸らされる。
案外人は鈍いし、言葉の裏まで考えてる余裕も無かったりする。みんな自分の人生で忙しいのだ。
そう理解してはいるけれど、ああ、やっぱり足が竦む。
言葉にする勇気が出ない。傷つきたくない。柔くまとまりのないこの想いのまま相手に汲み取ってもらいたい。
言外の駆け引きを楽しむなど夢物語だ。なにせ真正面からぶつかって玉砕する経験すら積まずに、身体ばかりが大きくなってしまったのだから。
そうやって甘えてきたから、綺麗な思い出に昇華できなかった恋の成れ果てだけが片隅で埃を被っている。
届かぬ想い?届けなかった想いの間違いだろう。
お題:神様へ
拝啓、
毎年お正月にだけ会いに行く神様へ。
いつも誕生日を勝手に祝っている神様へ。
ピンチと勝負事の時だけ祈りを捧げる神様へ。
宇宙より大きな神様へ。
道端で苔むした神様へ。
物語を背負わされた神様へ。
争いごとの旗印になりがちな神様へ。
死後の世界を司っているらしい神様へ。
いつも好き放題してごめんなさい。
もう少しだけ、私たちの拠り所であって下さい。
お題:快晴
足元の水たまりに漣、押し流される萼。幽かな桃色の折り重なる花びらの絨毯は随分と踏み荒らされて、見る影もない。見上げた世界に葉桜が揺れていて、一人足を止める。温みを伴う陽光がじんと目を焼いた。
花も落ち、見る影もない樹。美しさの盛りを過ぎた、季節の通過地点。つい数日前までは豊かな花弁のドレスを煌めかせて道行く全員の視線を恣にしていたというのに。
風物詩はただの街路樹へと変わり、人々はただ先を急ぐ。雲ひとつない青空がそのまだら模様を白昼の下に晒している。
なんとも可哀想だ、と思った。まるで舞台裏を露わにしてしまうような無粋。ちぐはぐな有り様。桜の幽玄の妙を「死体を養分にしている」と言い換えたあの作家に、このような姿を見せられようか。
とは言っても、これが愛おしいんじゃないか、とも思う。残念がる人々を尻目にぽとぽと花を落とし、さっさと新芽を青空に伸ばす姿はいっそ気持ちがいい。
葉桜を見る度、鮮やかな新緑がやってくるまでの辛抱だと落胆してしまうこの傲慢な心も含めて、私は晩春を愛している。
しかしなんて明るい空!
お題:遠くの空へ
どこまでが空でどこからが宙なのだろうか。
飛行機という名の鉄と技術の塊に身体を預けながら、窓の外をぼんやりと眺める。
眼下に見える綿雲の先、色の抜けた淡い空も、見つめ続けるとその先に藍色を確かめることができて、不思議なものだと思う。
「僕らは同じ空の下」なんて言うけれど、何もないだだっ広い空間でしかない空に、上も下もないだろう。見つめれば見つめるほど広大で、イヤになるくらい突き抜けたこの空の中、私はちっぽけだ。
こつりと人差し指を窓に当てる。だからあの空の向こう、遠くの宙へ。どこかの星で同じ藍色を見つめている誰かに、機械仕掛けの船から心の中で信号を送るくらいでいいのだ。