私が住んでいる町は、
高台ならどこでも海が見える。
中でも、3階の音楽室の窓から見える、
たった数センチの海が一番好きでした。
中高と吹奏楽部に入っていたのは、
そこから海を見るためでもありました。
海を見ながら練習したり、
仲のいい部員とサボってぼーっと眺めたり、
戸締りの時には海風を感じたり…
「おくのほそ道」の授業をしていた頃、
それに感化されて海へ行くことがありました。
両親が仕事で遅くなる日。
家の門限を破って、自転車で夜の海へ。
超特急の弾丸旅行です。
でも、何かが違う。
音楽室の海ほど好きになれない……
きっと、「安心感」がなかったからでしょう。
あの音楽室には、部員である仲間と、
海に飲み込まれない距離がありましたから。
恐怖心にうち勝てば、
いつか直接見る海も好きになれるでしょうか。
私は高校に入ってすぐの頃、
同性の先生からのハグに救われました。
当時、私は散財恐怖症とでも言いましょうか。
お金を使うことが怖くて、食べる時もシャワーを浴びる時も、できるだけ節約しよう、少なくしようとしていました。
それは病的な程で、白いはずのシャツが、
いつも汗で黄ばんでいるような程でした。
なんせ思春期。
当然の事ながら、同級生は私をからかいます。
詳しい脈絡は忘れてしまいましたが、
その事を問題視した先生が、音楽室の小部屋で吹奏楽の練習をしていた、私のところに来られました。
からかわれる事は嫌なのに、どうしたらいいのかわからない。
当時は散財恐怖症を自覚していなかったため、
支離滅裂にそう先生へ訴えました。
「ちょっと立って」突然の指示に言われるがまま従うと、先生は両手で私を抱きしめました。
「ごめんね、ごめんね」泣きそうな声を絞り出して、強く抱きしめてくださいました。
数日に1回しか洗濯をしていなかった私からは、
きっと悪臭が出ていたでしょうに。
何故抱きしめたのか。何故先生が謝ったのか。
視野の狭かった私にはわかりませんでしたが、
「負けちゃいけない」「強く生きなさい」
一見、押し付けがましいその言葉からも勇気を貰えました。
国語の先生だったその方は、きっと形の無いものの価値をわかっておいでだったのでしょう。
お金のためではなく、自分が自分であるために行動できるようになったのは、それからのことでした。
ジャングルジム…。
……全身が「穴が空いた蓮根さん」な遊具。
私が通っていた小学校にも、
5〜6段のジャングルジムがありました。
他の遊具から少し離れ、海がかすかに見える木々の隙間で、遠慮がちに佇む…
…さながら、電車の窓から外の景色を眺めて
いるようだと、幼心に感じていたものです。
小学校の頃の私は高い所が苦手で腕力もなく、
鉄棒や登り棒、果てはブランコにまで苦手意識を持っていました。
そんな私も、足を滑らせても掴めるものがあるジャングルジムは大好き。
低学年の頃は特に気に入っていました。
先程ジャングルジムのことを、全身が
「穴が空いた蓮根さん」な遊具と言いました。
ちくわ然り、望遠鏡然り、
先が見通せそうなものと言うのは、
大人も子供も惹かれるものがあるのでは
ないでしょうか。
ジャングルジムは全身が筒状。
色んな角度で、色んな物が見えます。
私の母校のものの場合、
下から見上げれば、目指すべき天井を。
上から見下ろせば、網目に沿って生えた小さな植物たちを。
校舎の方を見れば、沢山の生徒やそれを見守る先生たちを。
そして木々の隙間を見れば、ジャングルジムが見ていた美しい海を、見ることができました。
今はもう身体は成長しきって、ジャングルジムで遊ぶどころか、小学校に入ることもできません。(職員ではないので、当たり前ですが…)
それでも、空や植物、人波や海を眺める習慣は今でも根付いています。
お題として出されて、改めて考えると、
私にとってジャングルジムは大切な存在だったのですね。