日記です
絶対に嫌われた 最悪である いつも調子に乗りすぎる カスである 最低限のモラルもないカス人間として生きていくのか
失望されるのが嫌ならそれを防ぐために清廉になる努力と冷静になる必要があるのにいつも熱に浮かされたように歯止めが効かなくなる それで後悔するのは本当に何だ? ハア 品格を持ちたい 持ってなくてもいいけどせめてTPOを弁えたい
夜明け前
【宝石の国/ラピスとゴースト】
星空のあなたを留めておくためにどうか明けない夜をください
今日も目の粗い笊のように、頭から教えられたことをざらざら落としていくいちにちだった。
経験したこと。目で見て耳で聞いて心で感じて、確かにわかったと思った事たち。
頭の中で、それはこんぺいとうによく似た小さな星の形をしている。きらきらと光りながら、無限の闇の中に落ちていくたくさんの小さな星たち。それらを手で掬いたいと思うのに、手を伸ばすこともできなくて、そうやって多くの星をわたしは失っていく。そして、後には何も残らない。わたしひとりの話なら、それでいい。というか、今までずっとそれでやってきたのだ。そこから抜け出す方法がわからないから。
無理に抜け出す道を探して苦しみもがくくらいなら、闇に安住していた方がずっと楽だったから、わたしはそちらを選んできた。
闇も悪くない。どんな姿をしていても、どんなに心根が醜くても、すべてを闇が覆ってくれる。闇はあたたかく、誰からも守ってくれて、安心できる。
でもそれは、母親の胎内と酷似している。闇が終わる日はある日突然訪れ、その日が来たあかつきには、わたしは、ひとりで立って歩いていかなくてはいけない。
消えていく星たちを掴み取る方法を見つけなくてはいけない。周りを見回すと、皆目や髪や肩にきらきらと輝く星を乗せている。それが当然のような、つまらないような顔をして。
星を持つ人達が、つまりわたし以外の全ての人達がうらやましくて仕方がない。でもきっと彼らもわたしと同様に闇を抱えている。わたしの目では見えない、しかし確かに存在する闇を。
星をつかまえたい。それは、日常の大したことの無い具象の積み重ねにあるのだろうか。それとも、ひとからは大したことがないと思われているけれど、本人の中では過酷な自己研鑽を積まないと、獲得できないのだろうか。
わたしは、早くも折れてしまいそうだ。
自分を磨く過程で折れてしまっては話にならない。
人間に頼れなくてもいいのかと思う。音楽や、本や、映画に頼っても、星を捕まえられるだろうか。わたしにはわからない。
星とは、幼い頃自分がどうしても獲得できなかった作文コンクールの賞状のようなものなのだろうか?他の人にできてもわたしに絶望的にできないことなのだろうか。わからないまま今日も星をつかまえられなかったことはひとつだけ確かなことだ。
期待されると応えられない自責の念ばかりが自分の中で膨れ上がって、身体が破裂する。
期待されないことは誰も自分のことを見ていないということだから悲しいけれど、その分楽でもある。
舞台袖の暗がりで、明るい舞台の上で繰り広げられる輝かしい劇を、私は全身を闇に埋めてながめている。
苛烈できらびやかな舞台の下に飛び出していけたら、と思う。
皆の不可視の憧れを、期待をかなえられる存在だったなら、と思う。しかし、私には苛烈な光に耐えられるだけの厚い皮膚と光を反射する強い心がない。
私は、弱い人間だ。そのことを毎夜考えて、毎夜泣く。
強い人間になるだけの努力もしないのに。涙は、かすかに甘い味がする。堕落を許す味だ。きっと私は人間の中でも地獄に近い方の人間だ。
天使になれたならよかった。
人間離れした微笑みで人間の友達を失って途方に暮れることがあったとしても、どこまでも純粋なままで、醜いところを見てもそっと指先で醜い場所を慰めるように撫でることのできるような慈悲を持っていて。透明な翼が欲しかった。窓から透明な翼をはばたかせて飛んでいってしまいたかった。
でも私はどこまでいっても卑しい、人間だ。天使に近い者もいる人間の中でもより卑しく、矮小な人間。
綺麗な心を持ちたい。心根がうつくしい人間でありたい。
そう思っていても、思っているだけでは、何も変わらない。
毎日失敗して、失言して、失望させて、1歩ずつ地獄に近づいていく。
私は、地獄になど行きたくない。私の話を聞いてくれる人は、地獄にいない。地獄が地獄である所以は、きっとそれだ。
こんな矮小な人間でも、一端の人間として対等に話をしたい、聞いてほしいと思って、ああ、もう10年経ってしまった。
あと100年経ってもこのままだろうか。100年後私はここにいない。
(100年後いるのが地獄か天国かわからなくても息をする夜)
わたしひとりが悪いのね。
そんな気持ちになる帰り道はきっと疲れていて、今背負ったリュックもスマホも線路に投げ捨てて、ホームに座り込んで滅茶苦茶に泣きわめきたくなるのがその証拠だ。
でも、きっとわたしひとりが悪いんだわ。
さっきあった事を思い出すと、鼻の頭がつんとした。強く目を瞑って泣きたくなる衝動をやりすごす、まだ泣くべきではない。どれだけ行きずりの知らない人に(その中に知り合いが混ざっていても)涙を見られても平気だけれど、次の電車にカノコがいるかもしれないのだ。
打ち上げいく?とおそるおそるたずねたら、カノコは行かないと言った。
ハヤシくんと話している時のカノコはとても楽しそうに笑うのに、わたしが聞いた時、カノコはこちらをちらりとも見ずに、携帯の画面を見ながら、そっけなく。そんなふうに細部を思い返すと、また泣きたくなる。
わたしまるで、夫の嫉妬に狂った妻みたい。
細部を思い返す自分が報われない主婦にすら思えてくるが、実はたいしてカノコを好きな訳ではなかった。
ただ、そんな風にかろんじられる自分が悲しくて泣いているのだった。このあと打ち上げいく?と聞いたのがハヤシくんだったら、カノコは笑っただろうと思ってしまったから。
被害者ぶっている。
首を強く振る。わたしと話している時に、カノコが笑ってくれたことなんて、なかった。わたしは退屈でつまらない話しか、できない。カノコを喜ばせたことがないのに笑って欲しいなんて傲慢だ。わかっている。
それでも、先日カノコを含めた皆で打ち上げに行った時の空気が大好きだったから、今日のカノコもそうであってほしいと思っただけだった。それもまた、傲慢な思いだ。
先日の打ち上げから時間が経ち、サークル内の空気も既に先日のものとは違う。もう終電が近づいていて、誰もが帰らなくてはと思いつつ、それを言い出してしまってはこの時間が終わるから、誰も言い出さずに、会話の空白を見ないふりをして会話を続ける。そういう雰囲気が好きだった。
幼少期から、誰からも仲間に入れて貰えなかったわたしには、そういうことがなかったから。
でももう、違ってきてしまった。
ここ数日、カノコは明らかに居心地悪くしていた。ハヤシくんと隅でこそこそ話していた。それをわたしはただ見ていて、カノコとハヤシくんは、この空間に居づらいのだろうと何となく思っていた。まるで動物園の飼育員が檻の中を眺めるような、仲間というには冷たい遠い距離感で。
わたしはカノコとふたりきりで話したことさえ、ない。
でも、傲慢だし、被害者ぶっていて、聞けたものでは無いとわかっているが、わたしは本当はカノコとハヤシくんと一緒に檻の中に入りたかった。
檻の中に入って仲間になってくれないわたしをカノコが仲間ではないとみなすのは当然のことなのだ。
しかし、檻の中に入ってもカノコたちがわたしを仲間に入れてくれなかったら?わたしにはそれが一番こわい。
檻の中で笑うことも檻の外に戻ることもできず、檻の隅で、ひとり息苦しさと寒さに耐える。そんなのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。
わたしは動物になれないままなのだろうか。このままどの檻にも入れないまま、人間でも獣でもない醜悪な内面を抱えて、さまようのだろうか。
わたしの話を聞いてくれる同族は、どこにもいないのだろうか。カノコも、わたしを話を聞いてくれないとして仲間ではないと判定したのだ。そう考えると悲しさで身体がねじ切れそうになる。わたしは、檻の外からカノコに手を差し伸べるべきだったのだ。何もしないまま、害を与えなければ愛されると、見当違いな錯覚をしていたのだ。
でもわたしには、面白い話と不在の人を傷つける話との区別が、つかない。それでつまらないことしか言えないのだ。
まっとうにひとと話すことなんてできないのかもしれない。
カノコと話さなかったわたしひとりが悪いのね。
そうじゃないよ、と言ってくれる同族の存在を心のどこかで期待して、月も見えない地下鉄の天井に向かって呟く。
そういう汚いところに、かみさまはいるような気がして。
かみさまから同族に伝えてくれるといい、こんな都合のいいことを考えているからいつまで経っても会話が弾まないのだ、矮小な人間なのにプライドだけは高い。
次の電車が来た。大量の人間が降りていく。体臭で埋め尽くされて、また元のうっすらとした湿気が残る。人の中にカノコがいたかは、わからなかった。
わたしは泣いている。何もなせない自分をあわれむために。
カノコと笑って話せたかもしれない選択を失ったことを、泣いている。電車は5分ごとに轟音と共にやってきて、降りてくる人達は全員わたしが泣いていても気にしない。