わたしひとりが悪いのね。
そんな気持ちになる帰り道はきっと疲れていて、今背負ったリュックもスマホも線路に投げ捨てて、ホームに座り込んで滅茶苦茶に泣きわめきたくなるのがその証拠だ。
でも、きっとわたしひとりが悪いんだわ。
さっきあった事を思い出すと、鼻の頭がつんとした。強く目を瞑って泣きたくなる衝動をやりすごす、まだ泣くべきではない。どれだけ行きずりの知らない人に(その中に知り合いが混ざっていても)涙を見られても平気だけれど、次の電車にカノコがいるかもしれないのだ。
打ち上げいく?とおそるおそるたずねたら、カノコは行かないと言った。
ハヤシくんと話している時のカノコはとても楽しそうに笑うのに、わたしが聞いた時、カノコはこちらをちらりとも見ずに、携帯の画面を見ながら、そっけなく。そんなふうに細部を思い返すと、また泣きたくなる。
わたしまるで、夫の嫉妬に狂った妻みたい。
細部を思い返す自分が報われない主婦にすら思えてくるが、実はたいしてカノコを好きな訳ではなかった。
ただ、そんな風にかろんじられる自分が悲しくて泣いているのだった。このあと打ち上げいく?と聞いたのがハヤシくんだったら、カノコは笑っただろうと思ってしまったから。
被害者ぶっている。
首を強く振る。わたしと話している時に、カノコが笑ってくれたことなんて、なかった。わたしは退屈でつまらない話しか、できない。カノコを喜ばせたことがないのに笑って欲しいなんて傲慢だ。わかっている。
それでも、先日カノコを含めた皆で打ち上げに行った時の空気が大好きだったから、今日のカノコもそうであってほしいと思っただけだった。それもまた、傲慢な思いだ。
先日の打ち上げから時間が経ち、サークル内の空気も既に先日のものとは違う。もう終電が近づいていて、誰もが帰らなくてはと思いつつ、それを言い出してしまってはこの時間が終わるから、誰も言い出さずに、会話の空白を見ないふりをして会話を続ける。そういう雰囲気が好きだった。
幼少期から、誰からも仲間に入れて貰えなかったわたしには、そういうことがなかったから。
でももう、違ってきてしまった。
ここ数日、カノコは明らかに居心地悪くしていた。ハヤシくんと隅でこそこそ話していた。それをわたしはただ見ていて、カノコとハヤシくんは、この空間に居づらいのだろうと何となく思っていた。まるで動物園の飼育員が檻の中を眺めるような、仲間というには冷たい遠い距離感で。
わたしはカノコとふたりきりで話したことさえ、ない。
でも、傲慢だし、被害者ぶっていて、聞けたものでは無いとわかっているが、わたしは本当はカノコとハヤシくんと一緒に檻の中に入りたかった。
檻の中に入って仲間になってくれないわたしをカノコが仲間ではないとみなすのは当然のことなのだ。
しかし、檻の中に入ってもカノコたちがわたしを仲間に入れてくれなかったら?わたしにはそれが一番こわい。
檻の中で笑うことも檻の外に戻ることもできず、檻の隅で、ひとり息苦しさと寒さに耐える。そんなのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。
わたしは動物になれないままなのだろうか。このままどの檻にも入れないまま、人間でも獣でもない醜悪な内面を抱えて、さまようのだろうか。
わたしの話を聞いてくれる同族は、どこにもいないのだろうか。カノコも、わたしを話を聞いてくれないとして仲間ではないと判定したのだ。そう考えると悲しさで身体がねじ切れそうになる。わたしは、檻の外からカノコに手を差し伸べるべきだったのだ。何もしないまま、害を与えなければ愛されると、見当違いな錯覚をしていたのだ。
でもわたしには、面白い話と不在の人を傷つける話との区別が、つかない。それでつまらないことしか言えないのだ。
まっとうにひとと話すことなんてできないのかもしれない。
カノコと話さなかったわたしひとりが悪いのね。
そうじゃないよ、と言ってくれる同族の存在を心のどこかで期待して、月も見えない地下鉄の天井に向かって呟く。
そういう汚いところに、かみさまはいるような気がして。
かみさまから同族に伝えてくれるといい、こんな都合のいいことを考えているからいつまで経っても会話が弾まないのだ、矮小な人間なのにプライドだけは高い。
次の電車が来た。大量の人間が降りていく。体臭で埋め尽くされて、また元のうっすらとした湿気が残る。人の中にカノコがいたかは、わからなかった。
わたしは泣いている。何もなせない自分をあわれむために。
カノコと笑って話せたかもしれない選択を失ったことを、泣いている。電車は5分ごとに轟音と共にやってきて、降りてくる人達は全員わたしが泣いていても気にしない。
9/10/2024, 1:59:10 PM