「わらないこ」
スミは、ときどき何もかもわからなくなる。
自分がゼラチンの薄い膜の中に融けてしまったように感じる。自分がなんなのか。今何を考えていたのか。周りにあって動いて話して笑っているものたちは、ずいぶんさざめいているけど、何のつもりなのか。
全部全部頭の中でぼやけてしまう。
そうなった時、スミはいちばん基礎のところからひとつずつ思い出すことにしている。
基礎というのは、つまり自分のことだ。自分がなくては世界もない。
スミは人間の女の子で、18歳で、名前の漢字は澄とかく。
としのわりには幼いとよく言われ、それを遺憾だと思っている。ほら、遺憾という難しいことばをつかえるスミがどうして幼いわけがある?
「幼いと賢くないは違うよ」
ともだちはそう言った。ともだちの名前も、今のスミには思い出せない。
「スミはきょくたんだよね」
声だけが脳みそに焼き付いていて、ことあるごとに脳みそぜんぶに響く。緊急地震速報みたいに有無を言わさない声によって、スミは夜10時のファミレスに引き戻される。
相手の顔はさいごまでおもいだせない。ともだちは白地に細い紺のボーダーのカットソーを着ていたとか、ストローがへしゃげてたとか、飲んでいたのはドリンクバーのコーラだったとか、子どものおもちゃみたいに罪のない記憶がばらばらとスミの記憶の棚に入ってる。
(きっと本当はどうでもいいこと)
どんなにかき回しても、それ以外見つからない。
あの子の顔とか、あの子の気持ちとか、あの子が何を考えていたのかとか。スミの中には本当に大切なことは何もなく、乾いている。
スミはなんだかおもいきりさけびたいような気持ちになる。
まわりのもの全部がまぶしく見えるのに、なにもかもおぼつかない。スミはぜんぜん死にたくないのに、この水槽でうまく息ができない者に待つのは溺死だ。
それでも、スミはスミの生きている世界をとても綺麗だと思っている。スミは光が好きだ。なかでも、青い室内プールの中にさす夏の光がいちばん好き。
「裸眼の方が綺麗に見えるよ。」
「なにが?」
「泳いでるとき、プールの中」
ゴーグルをしていない方がきれいに見えるのと同じで、この世界も、はっきり見えない方がきれいに見える。
春のひざしはやわらかく、夏の木陰にはこもれび、秋の光はすきとおり、冬の反射はきよらかだ。
スミはいちおう日本にすんでいるけど、もし四季がなくて二季の国に産まれたとしても、その国にさすひかりを愛しただろうとスミは思う。
ひかりだけが信じるに足るものだ。スミがゼラチン膜になりはてても、変わらずスミをてらしてくれる。
ほかは全部うそ。見えてるものはひかり以外ぜんぶうそだ。
スミはこの水槽をあいしている。そのほかのことは、あまりかんがえられない。
具体的なことは何ものこらない。
自分がこうならないための対処法、他人の思い出、まちに新しくできたお店、期間限定ラテのフレーバー、ぜんぶぜんぶスミに役立つものなのに、どうでもいいことに勝手に分類されて、忘れて、しまいには世界も自分もぺらぺらな薄い膜になりはてる。
「わたしはくずです」
きょくたん。自分のことしかかんがえない。じぶんかって。話が通じない。
「だけど、生きていたいです」
どこかにいるかもしれないひとに向けて、スミは最後にはいつもそうつぶやいている。
やるべきことがあって、それをやらない自分がいて直前になったら焦ってやりはじめる姿が醜い 醜い自分をもう見たくないのに変われなくて苦しい
・さくら散るのと等速で落涙す
しなないでって言われても死ぬ気なんかさらさらないし
ひかりが踊る場所から目を離すな 冬の曇天はきれい
ほんとうのわたしは絶対約束を忘れやしない、失望させない