新しい地図
もうすぐ大学2年生としての生活が始まる。
大学は地元から離れたところにあるから、大学1年生の時は右も左も分からずいつも地図アプリと睨めっこしていた。
あれから1年。大学周辺の地形がだいぶ分かってきて、移動しやすくなった。友達や先輩から〇〇集合ねと言われても、迷わず辿り着けるくらいには成長した。
でも動きやすくなった分、何気なくあるものが見えるようになった。
必ず猫が通り過ぎる小道とか、1年中花が絶えない公園とか、ずっと商品が変わらない自販機とか。
何気ないというか、知らなくても別に得も損もしない
でも地図アプリには載ってない私だけの地図。
私の地図はどれだけ詳細になるのかと考えると、この1年も楽しめる気がする
好きだよ
幼稚園の頃は難なく言えたこの言葉。
いつだろう、この想いを伝えられなくなったのは
漫画みたいに隣の家同士とはいかなかったけど、比較的近くに住んでいていつも一緒にいた幼馴染。
幼い頃からお互いのことを知り尽くしているから、どのタイミングで会うとか、話したくなるとかが感覚的に分かって楽だった。そしてなにより彼の前では自分らしくいられた。
でも中学生になった時、その関係は今まで通り行かなくなってしまった。違う学校に通っているわけでもない、彼に彼女が出来たわけでもない。
何も変わってはいないはずなのに何かが変わってしまった。だからくだらない冗談で笑い合うことも、2人で帰ることも、どちらかの家でゲームすることもなくなった。
そして彼は陸上部で私はダンス部に所属し始めて忙しくなったから、そもそも会うことも少なくなってしまった。
たまに会えたとしても、名前を呼ぼうとすると目を逸らされてしまって話しかけることすら出来なくなってしまった。
先週も見かけたのに、昨日も帰っているところに出くわしたのに何もしなかった、というか怖くて出来なかった
(なんでこんなになっちゃったかなぁ)
ひとり部屋で嘆いてみても改善も解決策も見当たらなかった。
いつからだろう、好きだよと彼に言えなくなったのは
好きの形が変わったあの時からだろうか
桜
私は桜が好きだ。
それは可愛い花を咲かせるからではない。
春を象徴するからでもない。
映えるからでもない。
散るからだ。
幼い頃から春になると桜は人の一生を表しているような気がしてならない。
寒さという逆境に耐え、満開へと持っていく。そして満開になってからすぐに散り始める。
散ることが寂しいことのように思えるかもしれないが、散ることに意味や風情がある。
それに何より桜は散り方が美しいのだ。
私は桜のように美しく散った人を知っている。
彼は満開よりも散り際が最も美しかった。
私が散るのはまだ早いと先に散ったあなたのように、私も美しく散れるだろうか
君と
自分の体がまだ生きられることも分かっていた。
守らなければならないものがあることも分かっていた。
私には彼がここを最期の時にしようとしていることも分かっていた。
そしてこの先どう足掻いても一緒にいれないことも分かっていた。
それでも自分だけ戦って私を別のベクトルで幸せにしようとする彼の意志だけはわからなかった。
分からないなら私も戦うしかない
彼を守りたい。彼と共にありたい。そんな生ぬるくて、安易な想いで行くのではない。
私はただ最期まであなたの女であり続けたい
さあ逝こうか、君と
空に向かって
日差しが強すぎる時、空に向かって私は睨む。
曇りの時、空に向かって私はため息をつく。
雨の時、空に向かって私は何もできない。
そう考えると私は空にあまりいい顔をしていないのかもしれない。
だから、春の日差しがちょうど良く降り注ぐ今日ぐらいは空に向かって微笑んでもいいかもしれない