手のひらの宇宙
宇宙、と言う程ではありませんが、私の手にはめちゃくちゃ大きな可能性を感じています。
どうでもいい話ではありますが、私は「趣味は趣味作り」と言うくらい趣味や特技が多いんです。それもかなりコアな物が多いです。
一例を挙げると、競技ルービックキューブやったり、トランプマジックやったり、最近ではジャグリングをほんのちょっとかじったりとか、かなり凝ったものが多いです。
その他にも色々とある中で一部のみを挙げていますが、色々な事をやっていくうちに、ある事を感じる様になりました。
こういう系統の特技や芸って、特に「手」を使うものが結構多いんです。
競技ルービックキューブやマジックに関しては、手や指を細かく使いこなすイメージが何となく分かると思います。ジャグリングとかも、技によっては手の使い方とかも細かくなってくるものです。
そう考えると、ある意味「手」って凄いなと思う訳なんです。
日々の営みを見ても、手指の活用はよくよく考えてみるとめちゃくちゃ器用で高度なのが分かります。
物を持ったり、
紙に文字を書いたり、
本のページをめくったり、
スマホにフリック入力で文章書いたり、
はたまたキーボードでタイピングしたり。
人とコミュニケーションとる時とかにも使います。
相手に手を向けて指を二本伸ばせば「ピース」になります。
人と手を触れ合い愛や友情を感じるのも、考えてみると本当に不思議で凄いことだと思うのです。
ここから先は私自身のお話ですが。
「手指を使う」だけで、
ルービックキューブを秒で揃えたり、
あるはずのカードを無くした(様に見せた)り、
2つの腕で3つ以上のボールを投げて処理したり。
私は来シーズンに大学受験を控えますが、死ぬ程難しい問題を前にしても、手にペン持てば戦えます。一応。
ある種自慢でもありますが、そこまで出来ると「俺の手って凄いな」って自分自身でも思います。
先人たちもそのはず。元々自然しか無かったはずのホモ・サピエンス時代から、その「手」を使って、発見し、発明し、発展し、また時には争いながら、一から今ある世界を造り上げたんだと思います。
そう考えると、私たちの手って、宇宙ほどでは無いかもだけど、ある意味「宇宙以上」では。
そんなことを、私は常々思います。
長々と失礼致しました。
将来ピアノもやってみたいな。
風のいたずら
皆様はこの言葉を聞くと、少し大衆的と言いますか、ああいう様な感じの事を考える人もいるかもしれません。
しかし、新潟県民にとっての「風のいたずら」は違います。
冬の時期。雪やあられを混じえて進行方向逆向きに襲ってくる強風。身が応えるほどの冷たい空気を体に打ち付ける強風。
「いたずら」どころじゃないです。ほぼ「暴力」です。
雪国の人なら分かるはずです。道民の方とかだともっときついかな。
それはさて置きながら、そう考えると、「風」って少し不思議ですよね。
なんか、人生的なものと似ているような気もする。
優しく吹いてくれる時もあれば、きつく吹いて私たちを妨げるものもあります。
とすると、逆風はやはり立ち向かって行くべきなのだと感じます。
どれほどきつくても、どれほど辛くても、立ち向かって超えていけば、後でそよ風が吹いてくれる。
逆風を恐れそよ風を諦める人生よりも、そよ風を求め逆風に向かっていく人生を送りたい。
(できるものなら、逆風無いそよ風だけの人生を送りたい。)
その様な事を思い、アプリに書き殴って出来たこの文章でございました。
あの夢の続きを
私はいつも平日には6:15頃に起きるのですが、アラームは5:45にセットしてあります。
その理由は勿論、二度寝する為です。(笑)
アラームを少し早めにセットしておくだけで、合法的に二度寝をすることができるんです。めちゃくちゃ良いです。皆様もぜひ試してみてください。本当に良いですから。
「二度寝」とまではいかなくても、見ていた夢が良い所で起きてしまっても、その後どうなるんだろうと考えながら、ぼーっと暖かい布団の中で横になっているのも良いです。ただただ自由に気楽になるんです。至福の時間と言うまでもありません。
しかし、これにはただ一つデメリットがあります。
これに慣れると「もう一段階上」に行きます。
「もう6:15か……」
「……」
「三度寝してぇ……」
何はともあれ、是非お試しあれ。
未来への鍵
はい。分かってます。
今の私にとっての、未来への鍵。
机に向かい、ペンを握る。
今この前にある問題を解く。
今は一つ上の人たちの番だから、まだ高二だから、は禁句です。
嫌になっても、意味無く感じても、それでもめげずに向かい合う。
只今高二である同士たち、また敵へ。
対戦よろしくお願いします。
星のかけら
はじめこのような言葉を聞くと、珍しいものであると同時、幻想的というか、あまり現実でないような感じがしますが、考えてみるとそう非現実的でもないと思う様にもなりました。
宇宙には数え切れない程多くの星があるが、
地球も言うまでもなく一つの「星」である。
とすると、身近にある色々なものも、案外「星のカケラ」と言えそうな気がしたのです。
月から地球に持ち帰ってきた大変貴重な石も。
そこら辺に落ちている、ただの石ころも。
私たちが普段使っている色々なモノも。
更に踏み込むと、「私たち自身」も。
私たちの暮らし、営み、関わりも。
少し感覚的にはなりますが、全て「星のかけら」と言っても問題は無いはずです。
私たちがいつも珍し“そう”に見え、憧れ、欲する様なものでも、実はもう私たちが持っていたり、私たち自身がそうであったりとかも案外あったりして。
そんなことを思いました。
どうか皆様の日々の中にも、幸せな「星のかけら」を感じる瞬間が訪れますように。