こんな夢を見た
昨日の夜。
時計は見ていないので何時だったか分からない。
夜中に目が覚めました。
私は元々夜中に目が覚めることはあまりない人でした。
こんな睡眠途中で目が覚めて、何かあったかな。
そう思った時、すぐにその理由に気が付きました。
雪と風と雷だ。
天気を詳しく調べていないので分かりませんが、私がいる日本海北側の地域では、この時期は丁度強い寒波が飛来しています。
自室には窓やカーテンを完全に閉めて寝ていたのですが、何なら少しうるさいくらいにはっきりと音が聞こえました。
風もとても強く、私のいる2階が少し揺れたくらい。
外では雷の音も聞こえました。
それでも、私の住んでいる地域ではたまにこんな天気の日があります。
言ってもこんな悪天候は中々久しぶりだなと思う程度。
そこからまたすぐに寝る体制に入りました。
寝ようとしました。
そこからは夢なのか現実の私の空想なのか覚えていませんが、その中であることを考えた。
改めて考えてみると、こんな強い風吹けばどこかで家崩れたりとかする可能性もゼロじゃないよな、と。
勿論日本の建築が頑丈で、ひょんなことで崩れたりとかは絶対にないのは重々承知しています。
でも外はこの風と雷よ。流石の日本建築の中でも、少し怖さを感じました。
もしこの状態から家崩されたらどうなるんだろう。
少し考えた結果、瓦礫に潰されて死ぬか、何とか生き延びてもまず瓦礫の山から出られることなど到底できず、そのまま生き埋めで死んでしまうくらいだろうという解に辿り着きました。
何考えてんだって感じるかもしれませんが(笑)、そんなことを考えたりしていました。
そしてまたこうも思います。
いや、もし崩れてもまだ絶対に死にたくない。
私にはまだやりたいことめちゃくちゃあるからね。ここで死ぬ訳には行かない。
今の人生は十分すぎるほど楽しいが、まだ人生でチャレンジしたいことは山ほどあるんだから。
残している人生の未練を思い出し、そして思います。
こんな悪い天気でもそれごときで私の命なんか無くさないよ。
何があろうと私はまだ生きるからね。
…そう思った後はあまり覚えていません。多分日本建築の堅さを信じてそのまま普通に寝たんでしょう。
その朝。
普通に起きました。起きようとしたが、二度寝しました。
世界に誇る日本建築。やっぱり頑丈です。凄いです。
案ずることは無い。私たちはしっかりと支えられているのだ。そう思いました。
よし、これからの人生も頑張ろう。
(文章書いてて思ったけど、夜の自分ってなんて恐ろしいこと考えてんだ)
特別な夜
夜。
この時期の夜は手加減というものがない。
今の私がこの文章を書いているのは家の自室。
ストーブを焚いてタイピングしている手は温まっているが、それでも足先は靴下の中でも冷えます。
ここ新潟県某所、只今の気温は-1.6℃。
今宵からしばらく厳しい寒波が続き、大雪が見込まれそうです。
明朝は恐らく早起きして雪かきスタート。
このように今の(特にこの時期の)私にとっては嫌という以外に何もない夜ですが。
それでも初めて学校にいながら迎えた夜はなぜか良い思い出に残っています。
今日はその話を書き込んでみよう。
あの時は今から5年前くらい。私が中学1年生だった秋の事。
当時中学校では毎年10月末に合唱祭なるものが開催されていました。
各クラスが合唱を歌う、恐らく一般的な、と言えるようなあの感じの行事です。
私はその合唱祭で実行委員を務めました。
クラスに一人がなり、運営したり練習で指示出したり色々やるアレです。(アレで通じてくれ)
クラスの皆から勧められた形でなりました。かなり苦しかったが、それでも今はめちゃくちゃ良い経験だったと感じています。
その実行委員の仕事の一つに、合唱祭前日の会場設営と準備がありました。
各学年・クラスの実行委員やその他の係、一部の先生方で当日に向けた色々をやります。
当時の私は中学校では部活に入っていませんでした。所謂帰宅部というやつです。
そのため帰りは放課後すぐに出るバスに乗ってさっそうと帰るのが毎日で、日が沈むまで学校にいたのはその日が初めてでした。
会場設営したり、当日の進行を確認している中、外を見ると段々と空が暗くなっていく。
やがて太陽は沈み、外は完全に暗くなる。
会場設営をしている体育館やその他の校舎の明かり以外、外は真っ暗闇になりました。
部活をしている人たち等は勿論それが当たり前なので何も感じない訳ですが、当時の私にとってはそれに何か特別感があったのです。
そしてやがて、午後六時くらいだったでしょうか。前日準備の仕事が終わり、学校の玄関で暗い外を眺めながら「遅いバス」を待ちます。あの時は少し肌寒かったような寒くなかったような。
バスに乗り、自宅付近まで揺られながら、ぼーっと外を眺めていました。
外は真っ暗。バスの光で少しだけ道路が見える。そして遠くを見ると建物の光が明るく見えました。
またバスの車内は暖色のライトが付いていたので比較的明るかった。
例えるならとなりのトトロのネコバスと若干雰囲気似てるかも。
「なんか良いな」みたいな感じと、しっとりとした気持ちでいました。
今までずっと住んでいた所だけど、夜になるとこんな景色になるんだ。そう思いました。
あの日の夜は、やはり何か特別感がありました。
高校生になってからは、帰りはその時間帯が常で、あの特別感は起きません。
しかしあの日の感じは忘れられず、今でも夜になるとたまに思い出します。
あの特別な夜を再び味わうには、どうすれば良いのだろう。
そう思い返しながら、この文章を書いている今宵の自分。
ストーブでかなり部屋が暖かくなり、足先も温まってきた。
ここ新潟県某所、只今の気温は-1.9℃。
今年の抱負
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今年は、受験勉強を頑張りたいです。
私は今高二なので、来年からは受験生になります。
志望校は筑波大で、推薦入試を狙ってます。(推薦だと年内に合否が決まるので)
来年の正月を気楽に過ごせる様に、今年こそ勝負という思いで頑張ります!
そして現受験生の方へ、最後まで勉強頑張ってください!!
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…と、ちょうど一年前にスマホで書いて初投稿した時の自分を、今でも鮮明に覚えています。(そんなに数多く投稿してないので、私の過去の投稿を探ればそれほど深くないところに(初投稿で)これを見つけられます)
この度、私sakuは、筑波大学の推薦入試に合格致しました。
我ながら本当に快挙です。凄いです。
私が「今年の抱負」を達成することがあり得たのかと。
一年前の私よ。ありがとう。今の自分は光を見ている。
そして今年の抱負。
これから新しい大学生活が始まるので、勉強や生活などで失敗せず、そして今の私はかなり多趣味な所あるので、サークルとかも楽しみながらそれらをもっと充実させていき、とにかく今年は頑張って楽しむ。
「失敗せず、頑張って楽しむ」。これで行こうと思います。かなり漠然としていますが。
この「書く習慣」に投稿する頻度は今後も少ないままかもしれませんが、皆様今年もよろしくお願い致します。
そして今年の一般の受験生へ。
私が言えたことではありませんが、本当に頑張ってください。
私にはそれしか言えないですが、皆様も最後に光が見えることを、私もお祈りしております。
勝ち負けなんて
私は趣味でよく将棋を指すのですが、将棋もしっかりと勝ちと負けが着くゲームで、なんなら他のゲームやスポーツよりも負けた時の悔しさが大きい気がします。
実はあまり一般には知られていないこともあるのですが、将棋というゲームは、(反則負けを除き、)片方が投了しなければ対局は終了しません。
玉が詰んだら終わりと思われがちですが、詰んでも投了をしない限りは対局が続くという判定です。(詰みの局面から投了しないで何もしないでいると、最後には時間切れor王手放置のどちらかで反則負けになるのですが、その様な行動は一般に重大なマナー違反とされています。)投了は、自分の負けを認め、将棋の対局を終える意思を表す一つのしっかりとした「行動」として、棋譜にもそのように記録されます(98手目 〇〇 99手目 投了 まで98手で後手の勝ち、といった感じ)。
なので負けの局面では当然「負けました」と言わなければならないのですが、これが本当に悔しいのです。悲しいというか悔しいというか、とにかく悲しくなります。上手い例が見つからないのですが、一番近い感情が、学校のテストで思ったよりもめちゃくちゃ低い点数だった時のあの感じ。アレが負けた時には大体つきまといます(それほど悔しくない時もたまにありますが)。
でも本当に凄いのはここからで、ネット将棋などは別の場合もありますが、しっかり盤を挟んで対局する時には「感想戦」をします。簡単に言えば振り返り。勝っても負けても、対局後にはほぼ必ず感想戦をして、自分が考えていたことなどを共有し、他の手順を検討したりします。
なんでそんなことするのとか、気まずくないかとか思われるかもしれません。確かにそういう感じもあるのですが、それでも感想戦はやります。「とにかくめちゃくちゃ勉強になるから」です。
もちろん負けた側は死ぬ程悔しいのですが、一度振り返って見ると、指してた時には分からなかったミスが意外と見つかりますし、お相手の考えていたことと照らし合わせると意外な筋も見えたりします。これがとにかく勉強になるので、日常のフリーの対局でも、プロの棋戦でも、基本的には感想戦を必ず行います。
なので、感想戦は「勝ち負け問わず、双方が強くなる」ための時間とも呼ばれてたりしますし、感想戦してる中で、(将棋の検討しかしてないのに、)なぜかめちゃくちゃ仲良くなったりもします。「棋は対話なり」ということわざがあるほどです。
個人的には感想戦はめちゃくちゃ好きです(将棋自体は負けることが多いですが)。他のスポーツで、試合が終わったあとにする握手とかよりも、より相手と仲良くなれるので、あと「勝ち負け関係ない」ところになんかよく分からないエモさもありますからね。
追記
先日の名人戦で防衛を決めた藤井聡太先生本当におめでとうございました。あの難しい終盤でずっと最善手指し続けてたのやはり化け物過ぎて、リアタイ見てながら恐ろしくて震えてました。そして長瀬先生もお疲れ様でした。全体的になんかめちゃくちゃかっこいいし、投了する時の姿勢が綺麗すぎました。何回みてもかっこいいです。真似したい。あとやっぱり藤井先生と長瀬先生の感想戦(色んな意味で)めちゃくちゃ面白いし勉強になりましたお疲れ様でしただし本当にありがとうございましたm(_ _)m
記憶
(長文です)
今日、学校で離任式がありました。
色々な先生方が、定年で役目を終えたり、他の学校に行ったりするんですね。
その中で、この一年間私の現代文の先生てあった先生も定年により離任されたのですが(一応その後も学校に残って授業されるそうです)、その先生が言っていたことが少し興味深かったのでここに書かせてください。
その先生のような歳になると、自分の周りにいた沢山の人々が死んでしまう、との事です。
先生の両親をはじめ、友達や学生時代の恩師、昔に働いていた同僚などもご逝去されていったそうです。
そうなっていくと、自分の中ではその人との「思い出」だけが残っていく。ただそれだけで、死んでしまった人に関するその他のものは全て消えていってしまうそう。残るのは自身の中の「記憶」だけ。その様な状態になるそうです。
最終的には、その「記憶」のみ残り続ける自身の存在にすら不思議な気持ちを持ってしまう、とのこと。身体のみを見てみると一人の人間でしかないですが、その内部には確かに昔の記憶や今亡き人の記憶が残っているので、不思議に感じてしまうということでしょうか。
しかし、「器としてのわたしたち」という現代文の教科書にあった一つの文章を読み、その考えに大きな影響を与えられたそうです。
ざっくり内容を言うと、私たちの存在は「器」のようなものである、ということらしいです。私たちが得た知識、起こった出来事、その他の思い出などは全て「器」に溜まって行く、とのこと。
過去に起こった出来事などは、基本は何も起こらず過去のままで消えていくはず。それが消えないであるのは、私たちが「器」となり、その出来事などを受け止めていくから。
社会の仕組みを見ても、その事が言えるそうです。毎年新しい人が入り、老いた人は頃合を見てその場を去ります。十年二十年もしたら、大分見る人も変わるはずなのに、なぜか「文化」「風習」「伝統」という形で、何百年何千年と残っている概念もあります。
これは、私たちが「器」として先人たちの文化や概念を受け止め、後継者たちの「器」に注いでいく。その連続が長い間に続くことで、だんだんと「文化」というものになる。そういうことらしいです。
そして、そのような営みの中で、私たちの中にある「器」には少しずつ色々な記憶が溜まっていく。
最終的には、膨大な量の情報が詰まったとても大きな「器」になる。これが「思い出」と言われるもの。
だから、今や記憶だけ残るものになってしまった出来事でも、「器」の中にあれば、いやあるからこそ、確かにそこに存在するものとして認識できる、ということだそうです。
そしてその概念を他の「器」に注いでいくからこそ、その概念が無くならずに、過去も今もこれからも在り続ける、ということらしいです。
私がこれを聞いた時、めちゃくちゃ深いなぁと思ったのです(私の説明下手故に皆様にあまり伝わってない可能性も大いにありますが)。私もこれからの人生で、他の人の「器」に残り、多くの人に良い影響を与えられるような存在になりたいな。そう思いました。
終着点を見失いました
長文失礼、そしてここまで読んでくれてありがとう