「この世で最も美しい人間は誰か?」
そう聞かれたら、身内は、親友は、かの想い人は、どう答えるのだろう。
私はどうか?そんなの決まってる。もちろんローシャさんだ。私は自身の想い人を、彼をこの世で最も美しく、麗しい人物であると思っている。
どんな所が美しいと思うか。まず前提条件として、ローシャさんはとてつもなく美形である事を挙げておく必要がある。勿論人それぞれ感性が異なっているというのは分かっているが、彼を見た人間のほとんどはこう思うだろう――――「人形のような美しさを持ち合わせる中性的な美人だ」と。
ローシャさんは、男性にしては長い髪の毛であることと、周りの人物と比べると少し小柄な体型であることが相まって、そこそこな頻度で女性に間違われている。本人としてはやはりというか、その度にかなり不服そうな、納得がいかないような、イラついた顔をする。
彼はこれでもかなり鍛えている方らしい……のだが、普段着だと着痩せするからか筋肉が目立たない。これがより彼の性別を誤認する要因となっている。
しかしあくまで着痩せにより体の線が細く見えるだけなので、所謂「脱ぐと実はスゴイ」というタイプなのである。前にうっかり彼が着替えている最中に出くわしてしまい、その際にちゃっかり見たわけなのだが……うん、すごかった……としか言えない。あれで今より筋肉をつけようとしているようなので、これ以上筋肉がついたら私はどうなってしまうのだろうか。おそらく鼻血による出血多量で死ぬことになるだろう。
ローシャさんはあまり表情を変えない。私が見ていないだけかもしれないけれど、だいたいいつも無表情でいるからか、その様がより人形のような美しさという印象を助長させているように思う。
たまに表情がころころ変わることもあるが、だいたい人相悪そうな顔か明らかに機嫌が悪そうな顔だ。
だけどある日、ローシャさんと二人でいつもの道を歩いているとき、道端を歩いている猫を見かけた。
近くで見たいな、とじりじりゆっくりと猫に近づくと、私に気がついたその猫は全身の毛という毛を逆立たせ、一目散に逃げていってしまった。
ただ驚いただけなのか、もしかして私がなんとなく嫌いだったのか。理由は定かではないが、一番好きな動物に逃げられたことに私は大変ショックを受けた。そんな時、笑い声が後ろから聞こえてくる。その声の主に心当たりしかないが、いや、まさかな……と思いながら振り返る。
そのまさか、笑っていたのはローシャさんであった。普段の威圧的で無愛想な彼からは想像出来ないほど、柔らかく、子供のような無邪気さのある笑みを浮かべていた。そのあどけない表情は、私が彼に惚れ直すのに十分魅力的だった。
……とまあ、このようにローシャさんの美しさとやらを語ったわけだが、同じ質問をローシャさんにしたら、どんな答えが帰ってくるだろうか。
「知らん」
想定内の結果ではあった。そもそも自分の美貌にすら自覚も興味もない男だ。人間の美醜に関しては基本的に無関心なのだろう。そこも好きなんだけれども。
「……なら、私はどう?」
我ながら面倒くさい質問をしたと思う。その証拠に、ローシャさんの顔が少し歪んだ。ため息をついて
「美しくはないな」
と言った。ええっ、と驚いていると、「別に顔が整っていないとは言っていない、」と彼は続ける。
「お前の場合、"美しい"というよりは"愛嬌がある"、と言った方がいいな」
=かわいい。脳内で即座にこの方程式が出来上がった。珍しい、ローシャさんが誰かを褒めるなんて。
嬉しさのあまり、私はローシャさんに勢いよく抱きついてしまった。衝撃で少しよろけたが、すぐに体勢を立て直して抱き返してくれた。
「……ふ、まったく。仕方のないやつだな」と、私の頭を撫でながら言う。そんな彼の表情は、クッションより柔らかかった。
二人には友達が少なかった。
片や普段の行動があだとなり、片やいじめによる人間不信が原因で。
二人には周りにいてくれる人が少なかった。
片や唯一の友人が、片や一番信用していた唯一の家族が。
二人は人肌が恋しかった。
片や寒さに耐えかねて、片や安心感が欲しくて。
しかし、そんな二人が出逢えばどうなるか?
二人は友達以上の関係になった。
一目惚れをして、ひょんな事から近づいて。
二人は常に互いの近くにいた。
お互いを知ろうと、色々なことを経験した。
二人は温もりに包まれていた。
互いに互いを支え合い、安心感を得た。
この上ない幸せだ。
これ以上ないハッピーエンドだ。
ローシャさんは、極度の寒がりだ。
北国生まれなのに、と言うと「北国生まれだからだ」と返される。
寒い空間が嫌いだという彼は、南国のような温暖な場所が好きだ。
寒いから有給をとって南の島に行こうとしたら、会社の人総出で止められてしまったらしい。(尤も、その時期の会社はとんでもなく忙しい時期だったのでそれはそうなのだが)
私は冬が好き。
日本列島の中心部付近で生まれた訳だが、どうにも私は暑さに弱い。
極端な寒さも苦手ではあるが、夏の猛暑に比べたら頭も働くしマシだと思っている。
しかし今となっては、あまり夏も冬も得意ではないかもしれない。
そんな私は毎冬、寒い寒いと言って暖を取ろうとするローシャさんとくっつき合って、互いの体を温めている。
時にはブランケットに二人で包まって、またある時には布団の中で一緒に寝転がったり。
一緒に寝た日の翌朝のローシャさんは、いつもより表情が優しげで、思わずうっとりしてしまう。そして必ず「何を見惚れている」と言われてしまう。
そんな君の事が、どうしようもなく好きなんだ。
嬉しい事も、悲しい事も、何事も二人の間で共有することというルールがある。
これは、私が何でもかんでも溜め込んでしまうので、見かねたローシャさんが「もっと俺を頼れ」と圧をかけてきた為である。本当にいいのかと聞いたら「良いと言っているだろう」と人差し指の腹で額を小突かれた。
「ローシャさん、今日はこんな事があったんだ」
「ローシャさん聞いて聞いて」
私はいつも、ローシャさんに今日あった事を話す。そんな私の様子を、ローシャさんは微笑ましげに見ている。
「飽きないの?」と訊くと「飽きない」と即答する。何なら、一日でも欠かすと「話せ」と圧をかけてくる。
話を聞く時のローシャさんの態度は様々。机を挟んで向き合ったり、ソファに並んで座ったり。あとは、ローシャさんが私を自分の膝の上に乗せて、後ろからハグをして、顎を私の肩の上に乗せるような姿勢で話すこともたまにある。
個人的に膝に乗せられるのは恥ずかしいからやめて欲しいけれど、安心するのか今まで聞いてくれたことはない。
……まあ、なんだかんだこんな日常が終わってほしくないと思っている私もいるんだけどね。
私もローシャさんも、あまり風邪をひかない。
ローシャさんは寒い所が嫌いで、冬なら尚更防寒対策を怠らないので、滅多にひかないのだそう。
私は急激な気温変化には弱い方ではあるが反して体は強い方であるので、ローシャさん同様私もひかない方である。
しかし、私はたまに高熱を出してぶっ倒れることがある。とても重い頭痛が元々持っていた偏頭痛と混ざって私の思考を邪魔して、何も考えられなくなる。一番酷かった時は、確か42度以上出していた……と思う。
昔だったら母に看病してもらえばよかった話ではあるが、今となっては立派に一人暮らしをしている高校生である。その上母の住む実家と私が住んでいる家との距離はそこそこ空いているし、母はもう還暦近い立派な高齢者予備軍だ。そんな母に無理をさせる訳にはいかない。
ならそんな時、一体誰に看病してもらったのか。
そう、ローシャさんである。
元々私とローシャさんは、ただのご近所さんという関係でしかなかった。けれど、お互いに通勤・通学で同じ道を通っているうちに自然と仲良くなったのだ。それから紆余曲折あって友達となったわけなのだが……。
「零、大丈夫か」
「あ、ローシャさんだ……」
家にいた私はチャイムの音を聞いて玄関のドアを開ける。ローシャさんがスポーツドリンクや冷えピタが入った袋を持って立っていた。
「一人でも平気か?随分熱が酷いようだが」
「んぁー……たぶん?」
曖昧にしか答えられない。熱で脳が焼き切れそうで、頭がぼやーってして……。
立ち尽くしていると、察したローシャさんが中に入ってドアを閉める。すると私を姫抱きした後、寝室に入ってベッドに寝かせた。
「無理するな。こういう時ほど他人を頼らないでどうする」
叱られた。もしこれを言ったのがローシャさん以外だったら話を聞かなかっただろう。けどローシャさんだから聞く。
「ん……ごめんなさいローシャさん……」
「別に謝る必要はない」
目を細めて見つめられた。
買ってきた冷えピタのフィルムを剥がして、私の額に貼り付ける。ひんやりしてて気持ちがいい……というよりは、あまりにも重すぎた頭痛が少し軽くなった気がして安心した、と言った方が正しい気がする。
冷えピタを貼ってもらった時に気づいたが、彼の手は冷たい。そういえばローシャさんは「何故か俺のデスク周りだけ冷える」と前に愚痴っていた記憶がある。よくよく考えてみれば、一年中タートルネックを来ているような気がしなくもない。多分それは気のせいだと思う。
「粥作ってくる」
ローシャさんが私から離れようとする。待って、と届かなくなる前に手を掴んで離れないようにする。
どうした、と彼は寄ってきてくれる。掴んだ手を自分の頬に寄せる。ひんやりとして気持ちいい。冷えピタなんかよりよっぽど。
「離せ、粥が作れん」
眉をひそめてローシャさんは言う。ローシャさんなら無理やりひっぺがすなり何なりしそうなのにしないということは、意外と満更でもないのだろうか。
……あ、そうだ。ローシャさんを引き止めたのはこれだけじゃなかったんだった。
「ごめんなさいローシャさん、私お粥苦手なんです」
「む、そうか。おじやなら食べられるか?」
「はい……手、離しますね」
名残惜しいけれど、ずっとローシャさんの冷たい手を離す。風邪が治った後にいっぱい握ればいいし。……握らせてくれるかは置いておいて。
「ゆっくり休んでおけ」
最後に私の頭を撫でて、おじやを作りにローシャさんは部屋から出ていった。
(……そういえば、ローシャさんはなんで私の看病をしに来てくれたんだろう)
やっぱり親切心とか?いやでもあの人そういう心持ってるように思えないしなぁ……とか失礼な事を考えていたら、いつの間にか眠りについていた。
それからのことは覚えていないけど、まあ今こうやって生きている訳なので風邪は治っている。
ローシャさんは……相変わらず冷めているけど。