「A兄ちゃんは私と遊ぶの!!」
そう言ってA兄ちゃんの腕にしがみつく。周りにいる小さな子達からずるいずるいと文句が飛んでくる。
A兄ちゃんは仕方ないなあと困り顔で屈んで私を肩車してくれた。
そのまま小さな子たちをぞろぞろと引き連れて空き地をぐるりと回った。しばらくして、もういいでしょ、次はあたしの番!と声が響く。
私は大声で叫ぶ。
「いや!!絶対に降りない!!」
そんなこんなで優しいA兄ちゃんはいつも私だけを特別扱いしてくれていた。最終的には私がごねるだけごねて気づけば解散の時間になるのが常だった。
私はそうやって小学5年生から1年間ずっとA兄ちゃんを独り占めしていた。
高いところが苦手な私。小さい子たちにいつも自分のお菓子を分け与えていた私。
1年間…
私はA兄ちゃんに体を触られていた。人気のない場所に連れて行かれて口を塞がれて、体を押さえつけられ、下着の中を触られる。
誰にも言えなかった。
けれど、幼い私は必死に考えた。どうすれば他の子たちを守れるか。
それが、一年間に渡るA兄ちゃん独り占め作戦だった。
私は6年生になってからA兄ちゃんがいる場所には行かなくなった。心が壊れてしまって、人と関われなくなったからだ。
けれど、当時からずっと願っている。
どうか被害者が私一人でありますようにと。
大人になってからA兄ちゃんに会った。A兄ちゃんは笑いながら「特別な」と言ってファミレスで使えるクーポン券をくれた。
言葉で表しようもない感情が心の中で渦巻いたけれど私はただうつむいて「ありがとう」と言うしかできなかった。
ワンルームの部屋。私も弟も妹も似たようなワンルームに住んでいる。家賃は3万ちょっと、妹の場合は社宅だから1万ほどだ。(羨ましい)
生活するのに不自由はない。けれど、長く住むほど自然とものが増えていく。
棚が足りないからクローゼットに衣服は乱雑に詰め込まれている。そのうえ生活域の三分の一は布団が占拠している。床を見れば、脱ぎ捨てた服と仕事用のかばんがフローリングの床にちらばっている。
典型的に汚いと評される部屋だ。
小さな座卓が部屋の中心にあって、真後ろに倒れれば敷きっぱなしの布団に頭が乗っかる。
部屋の惨状を目にするたびに自分の生活力のなさを実感してしまう。
生きるのって難しいな。そう思ってしまう。
起きて、ご飯を作って食べて、ゴミを出して、仕事して、帰りに買い物して、帰宅して風呂入って、ご飯作って食べて、寝る。それの繰り返し。
なんだか苦しいな。そう思ってから次第に1つずつ出来なくなっていった。ゆっくりと水滴が布に染み込むように日々の生活に暗いシミが広がっていく。
一人暮らしを始めたばかりの頃はこの部屋は輝いて見えた。自分の人生の分岐点となる場所だった。
ワンルームの部屋。この部屋で希望を抱き挫折し絶望し、その中でも小さな喜びに浸れる日もあった。
部屋に愛着など湧かないが、実家を出てから今までずっとこの部屋で生活してきたせいか今の惨状になおさら焦燥を覚える。
今の季節を考えてみてほしい。夏とまではいかないが梅雨の始まりだ。じんわりとした熱と肌にまとわりつく湿気。そんな時期に汚いと評される私の部屋で何が起こると思う?
カビに虫におまけにエアコンから吹く風も眉をしかめるほどの匂いがする。
はあ。
自業自得だが、ほとほと自分の生活力のなさに呆れる。
こんなでも、仕事や家族の中でもそれなりに信頼されているんだよ。
私の本当の姿を知っているのはこの狭い部屋だけということだね。
残念ながら、私は恋をしたことがない。それに従って失恋をしたこともない。
このお題について語れることはあまりないけれど、もし自分が誰かに恋をして、そして失恋すると想像を巡らせてみる。
私の好みはどんな人だろう?見た目、性格、話し方、服のセンス、装飾品を身につけるかどうか、色々と考えてみる。
一度好きになった相手を自分から嫌いになることは無いだろう。これは、私の家系的にも確実に言えることだ。私の兄は高校から付き合っている彼女と今も一緒にいる。例えば兄が浮気なんかしたら家族総出で兄をぶん殴り彼女の実家へ引きずってでも土下座させに行くだろう。
考えが古臭いと言われるかもしれないが、そもそも私の家族は特別絆が強い。父親は未だに母親を口説くし、私の兄弟も全員社会人でありながら月1で一緒に食事に行くほど仲がいい。
だから、一度でも家族に近い関係になった相手を嫌うことはまずないだろう。
別れたあとに引きずるのは確実に自分だ。何が何でも繋がりを切らないようにするだろう。恋人でなくとも友達としてでも、関係を保とうとすると思う。
こうしてみると、ストーカー気質だとか重いだとか言われるかもしれない。
失恋したとして絶対にそこで関係を終わらせることは無いだろう。きっと、会っていなくても毎年誕生日プレゼントを贈るだろうしお金が必要と言われればいくらでも出すだろう。
そういえば、昔に弟に言われたことがある。
「お前は貢ぎ癖があるからそういうお店には行かないほうがいい」と。
なるほど、流石は一番近くにいただけあって的を得ている。
自分ではあまり意識していなかったけれど、確かに愛する人に求められれば何でも差し出してしまうかもしれない。というか、それが当たり前だと思っていた。
長々と話しているけれど、書いていて一つ気づいたことがある。
私はまだ恋を経験していなくて良かったということだ。
なんなら、失恋していたら私の人生はその人によってめちゃくちゃに破壊されていただろうから。
今の私は自分の人生を幸福にするので手一杯だ。
薔薇にはトゲがあるように、美しいものには毒があるという。
輝かしい功績の裏には血の跡があることを誰も知らない。
飾りの裏をわざわざ見ようとする人はいない。
あなたの努力は、あなたの苦労は、あなたの人生は、人の目にはつかない。
美しいあなたしか人々は知らない。強いあなたしか人々は見ていない。もしかしたら、見てすらいないかもね。
美しいあなたの裏には、一体どんな醜い真実があるのでしょうね?
この世界では、あなただけが真実だ。
あなたがこの世界で最も輝く宝石なんです。
脆くて弱くて醜いあなたは、誰も見てないところでしか泣けない。
真綿で包まれて優しく丁寧に扱われる、なんておとぎ話みたいなことは起きない。
あなたは、傷つけられ、さげすまれ、捨てられる。
けれど、何があっても世界で最もあなたが美しい宝石であることに変わりはない。
あなたの目は真実を見るためにある。あなたの手は真実を知るためにある。あなたの心は誰からも笑われるようなことがあってはならない。
あなたの苦しみはいずれあなたの盾となる。あなたの涙はいつかあなたを輝かせる光となる。
強く美しく気高きあなたへ
私はあなたの弱さを知ってる。あなたの脆さも涙も傷も醜さも知ってる。
それでもなお、私はあなたを美しいと思う。
あなたが自ら輝ける場所を見つけられることを心から願ってる。
正直に話すと、これらは私が誰かに言われたかったことだ。結局、誰にも言ってもらえることはなかった。
だから、あなたに言うね。
私の言葉を必要としているあなたに。
夏が近づいてきた。だんだんと汗ばむ日が増えて会社の冷房も稼働するようになった。
6月の始まり。
じめじめとした雨が降る日も増えた。傘が必須の時期だ。お気に入りの傘と予備の折りたたみの傘、すぐにどこかに忘れてしまうからいつも2本持ち歩いている。
雨の日は濡れないように慎重に身を縮めて、靴も汚れないように水たまりを避けて歩く。
大人になってからなぜこんなにもきれい好きになってしまったのだろうか。子供の頃は雨の中でもはしゃいで水たまりに飛び込んだりしていた。雨が好きだった。
大雨の土砂降りが特に好きで、家の雨戸が閉められて部屋が薄暗くなる。雨の合唱と暗い部屋の非日常感は子供心にワクワクした。
思春期には学校に行きたくなくて、わざと何時間も雨の中で立ち尽くして風邪をひこうとしたりした。雨は当時の私の涙の代わりにザアザアと遠慮なく頬を濡らしてくれた。
雨を避けるようになったのはいつだったろうか。
会社に入り社会人になってから?それよりも前だろうか?
梅雨になり、雨を見るたびに思う。
洋服や仕事や明日のことなんか考えずに雨の中に飛び込んでずぶ濡れになってしまえたらと。
それができなくなることが大人になったということなのだろうか。
明日も雨の予報だ。じっとりと湿った空気にため息をついた。