【いつまでも捨てられないもの】
手放せばラクになるもの
重いと勘違いしているもの
軽いとバレたくないもの
浸かっていると心地いいもの
「いや、捨てなくていいよ」って誰かに言って欲しいのかもね
【夜の海】
「夜の海と昼の海って違うよね。質感っていうか……夜はたるん……として、水じゃないみたいだ。呑み込まれたら気持ちがいいんだろうなあとか思ったりするんだよね」
海から吹いてきた湿って生暖かい風が、頬を撫でる。
「夜の海っていい響き」
「夏の感じだね」
「今日みたいな日なら、ずっと夜がいいね」
なんの目印もない砂浜を歩く。
「足を取られて転がったら、上も下も分からなくなりそう」
海と空を分けているのは、遠くにぽつりぽつり灯る、釣りをしている船の明かりだけだ。
「なんか疲れちゃったよ」
近くにいるはずなのに、声は遠くからぼんやりと聞こえて、笑っているみたいに響く。
「うん? 戻る?」
「このまま歩いて行けたらいいね。海じゃなくてもいいか。砂時計みたいに吸い込まれてもいいかな」
「砂時計は、また戻ってくるよ」
「あぁ、そうだねぇ」
今度こそ、ちゃんとおかしそうに笑う。
「手、つなぐ?」
「うん」
【君の奏でる音楽】
「それ、最近よく聴くよな」
「ヒノハラの『君ノ奏デル音楽ハ』だよ。ドラマの主題歌になってるからじゃない? 好き?」
「あ、あぁ。まあまあかな」
「まあまあ……。あのさ、まあまあって、どっち」
「どっち?」
「まあまあ好きなのか、まあまあ悪くないのか」
「一緒だろ。それに、まあまあはまあまあだろ」
「ぜんっぜん違うよ。結構好きか、実はあんまり好きじゃないくらい違う」
「へえ」
「バカにした?」
「いや、してない」
「じゃ、どっち」
「うん、まあまあ……かな」
【麦わら帽子】
麦わら帽子一つ分空けて、座る。それが今の二人の距離。
「終点まで行く? どうする?」
「ここまで来といて今更。どうするって、行くしかないじゃない。いつも、いちいち聞かないでって言ってるよね」
そう言って、雨の降り出した、窓の外を見る。その横顔に、「ごめん」と謝ると、唇が動いて「来なきゃよかった」って呟きが、聞こえた気がした。
「ごめん」
もう一度言って俯く。笑ってて欲しいんだ。だって初めて会ったとき、
――いいよ、大丈夫。上手くいかなくたっていいよ。
やさしい声で言って、綿アメのように、ふわふわあまい声で笑ってくれたんだ。
「終点まで行ってみよう」って誘ったクセに。
いちいち聞かなくてもいいって言ってるのに。
だって、いつもこっそり、でも嬉しそうに誘ってくるからさ、それって絶対に楽しいヤツじゃない? 終点に何があったって、なんにもなくたって、どうでもいいんだよ? 一緒に行くって、それだけでいいのに。どうして分かってくれないんだろ。
【蝶よ花よ】
「あのヒト、蝶よ花よと育てられたからね。世が世なら、お姫様なんだよ。それだけが誇りなんだ」
吐き捨てるように言って、自分の声の冷たさに気づいて、慌てて謝る。
「ごめん。こんなこと言われても困るよね」
「いや」
印象は確かに強烈だった。初めて会った時の、黒くて裾の長いものを着て、真っ赤な唇でわらった祖母を思い出す。
「ばーちゃん、ラスボス感、半端ないもんな」
「ラスボスね……その例えは初めてだ」
(ボスって言えないこともないなぁ)
「ははは」と乾いた声で笑い、眉を顰める。
「生きた化石だよ」
祖母と暮らす家は息苦しい。でも母を残して出ては行けない。重い考えに沈みそうになった時、「シーラカンス?」と少し間の抜けた声が耳に入る。
「シーラカンスって……言った?」
聞き間違えたのかと思って繰り返すと、
「あぁ、シーラカンス。生きた化石だろ?」
当たり前のような顔をする。
「なんか……」
泣きそうになって、キョロキョロと視線を彷徨わせる。他に……といってもそれしか思いつかなくて、「ありがとう」を言う。
「あ?」
なぜ礼をされたのか、まるで分かっていない声が返ってくる。
「うん。ラーメン食べに行こう。奢るよ」
「あ? この間行ったばっかだろ」
「いいんだよ。嬉しいから」
「嬉しいと、ラーメンか」
「うん」
今までできなかったことをする。今は、それだけで充分なんだ。