カーテンを閉めたら、部屋は間接照明の明かりだけになった。
私はついさっき失恋した。
私から別れを切り出した。浮気した最低彼氏に、私から別れを切り出したのだ。
「クソ野郎っ…………、罰当たれっ…っ!」
一人間接照明の中、悲しみ、暴言をぶちまけていると〜♫とスマホが鳴った。
誰からだろうとスマホをのぞくと、そこには男友達の将吾(しょうご)からだった。
「ずっ……もしもし」
『みずえ?今、平気?』
「平気……、へいきだよ〜〜っ」
『えっ?何!?どうした?』
私は将吾にどうして今こんななのかを説明した。私の説明の間、将吾はただ静かに相槌を打つだけだった。
「どうしてっ!どうしてっ男はこうなのっ!どうして浮気するのっ!私、わたし……っ何か………っ浮気されるようなこと…っしたの?ねぇ、どうなのっ!!」
私の電話の声は、きっと音割れしていたに違いない。それでも将吾が耳を傾けてくれているのが伝わってくる。
『………みずえ、』
「………………なに?」
『そんな奴、別れて正解だよ。そんな奴にみずえは勿体無いよ……。
ごめんな…みずえの元彼だった奴、今思いっ切りディスってるわ』
「……良いよディスって……あんな、最低なやつ………」
『……みずえ、…』
「だから、なに?…………ズッ」
『今から、みずえのうち行っていい?みずえの大好きなものばっかり買ってくるからさ』
「………ス。」
『うん?何?』
「アイスが一杯食べたい。チョコ味の……」
『チョコ味ね。はいはい。ちゃんと買ってくるよ。………それじゃあ、いまから行くから、待っててな』
「………うん。」
これから将吾がうちに来る。
私の好きなものを沢山買って来てくれる。
私は立ち上がり、部屋の明かりをちゃんと点ける。少し部屋を掃除して、座布団を一枚置く。
私の我儘や愚痴に、何も言わずいつも付き合ってくれる将吾…。
それに甘えっぱなしの私。
ごめんね将吾。ありがとう将吾。
私、将吾にちゃん返せるかな?
色々な事、ちゃんと返せるかな?
そんな事を考えていたらチャイムがなる。
私は玄関に向かい、将吾を迎えるのだった。
涙の理由は、考えたくない。
自分で流している涙だけれど、私はその理由を今以上に思ったり、考えたりしたくない。
それに、泣いてる理由なんて、思ったり考えたりしなくても平気。私はそんなことしなくても、もうちゃんと知ってる。
「私……、泣かないって決めてたの……
でも………っ私、今自分で自分との約束破った……っ」
鏡と向き合った私は、テーブルの上に置かれた鏡の前に座り、自分の不細工な顔を見つめている。
「………真尋(まひろ)………、2位だって………、凄くない?あのレースで2位に入ったんだよ」
真尋とは、私の彼氏。
彼氏である真尋は、普段は物腰も柔らかく、優しい人だ。
けれど、一度自転車に乗るとその顔つきは変わり、アスリートの表情に変わる。
真尋は、私が働いている会社に所属する自転車選手の一人でもある。
いわゆる、プロアスリートだ。
「……凄いな……、お祝い、しなきゃ」
大きい大会での表彰台。きっと、真尋も喜んでいる事だろう。本当は、今日、会場へ観に行きたかったけれど、私はダイレクトに風邪をひいてしまった。泣いている今も、熱は37.8度ある。
このまま熱が下がらなかったら病院に行こうねと、大会当日の真尋に言われたのだった。
〜♫〜〜♫
聞き慣れた着信音。
「ばい、もしもし?」
『もしもし楓。熱は?大丈夫?』
「分かんない。今熱はかってないがら…、」
『駄目だよ。ちゃんと計んなくちゃ。はい。今すぐ測る!』
真尋に促され測った熱は下がらず37.8度のままだった。
『……俺が帰ったら、一緒に当番医に行こうね?いーい?』
「ばい。わがりまじた。」
『凄い鼻声だね。本当大丈夫?』
「大丈夫だよ。ごの鼻声は、真尋の事でうれじなぎしただけだから……。
2位、おめでとう」
『………うん。ありがとう。ほんとは、優勝……、したかった……』
「うん。ちゃんとわがっでるよ……」
『あはははは!鼻声だと真面目なこと言ってても面白いね!表彰式終わったら直に帰るから、大人しく布団で休んでるんだよ?
わかった?』
「はい。わかりました……」
真尋との電話は、一旦ここで終わり。私は布団に戻り、ウトウトする。
真尋が帰ってきたら、風邪引いてるけど、抱きついていいかなー?
どうでもいい事を考えながら、わたしは大好きな真尋が返ってくるのを寝ながら待つのだった。
ココロオドル。
カタカナで変換された文字。
何だが凄く軽く感じる。
文字の威力が一気に無くなった気がした。
連絡をしようと思って、やめた。
心躍る、なんて、どんな内容の連絡なんだ。
「でも……、顔が見たかった……」
こんな変な文章で送れば、何これ?って返信が直に来そうな感じがした。
けれど、私はそれが出来なかった。
なんだか、邪魔になったら嫌だなって思ったから。
「せいじー、会いたいー」
私の彼氏の誠司は、今大学の野球部の合宿で
遠方に居る。
なかなか連絡は繋がらず、すれ違い気味。
それでも、ちゃんと連絡を文面でしてくれる所が私は大好きだ。
「……もう一度……、してみようかなー」
スマホを持っては置いて、持っては置いてを繰り返している私。
早く連絡すれば良いのに…、と、もう一人の私が言っている気がする。
意を決してスマホを持ったとき、
〜♫とスマホが鳴った。
そこに書いてあった名前は、私の大好きな人
誠司からだった。
束の間の休息は、別にいつもと変わらない。
特に予定も立てず、気分次第で動いていく。
それで良い。
だって、束の間の休息なんだから。
「はあー、うだるーーーー」
ぐだぐだ、ぐだぐだ、まるで自分がこのまま液体になるかのように、私はうだりまくっていた。
そんな時……………
ピロンッ
スマホが鳴った。
「うーん。だれだ〜」
スマホをのぞくと、そこには友達の桜があり、「今から会えない?」という文言が書いてあった。
私は特にやる事もなかったので「準備に時間かかるけど行けるよー」と返信をした。
すると、「分かったー。待ってる!」との返信。
「準備しなくちゃ………」
私は重い腰を上げ、なるべく早く準備を済ませていく。
あっという間に出来た準備に、やるじゃん私!と思いながらも家を出発。
桜に指定されたお店へ向かっていくと、そこに桜は居らず、代わりに樹(いつき)がそこに居た。
「なんで樹がここに居るの?桜は?」
「綾崎は先に帰った。俺が頼んで、真琴を呼んで貰ったんだ。……ごめん。騙して」
樹とは、高校生の頃に出会って、数少ない喋れる男の子だった。
当時の私は、樹に淡い思いを持っていた。けれど、樹はいつもその時付き合っていた彼女と一緒にいて、私に入れる隙はなかった。
「……何で、呼んだの?」
「……真琴に会いたいと思ったから。綾崎とは今日、ここでたまたま会って、無理言って呼んで貰ったんだ。」
別に気まずくなった訳では無いけれど、私の記憶は高校生の頃の私の感情に戻っていく。
楽しかったことも、悲しかったことも、全部。
「樹は、どうして私に会いたいと思ったの?……彼女が居なくなって寂しくなった?」
「違う。そんなんじゃない。もっと、その、純粋な気持ちだよ」
「ふーん。そっか……」
これからどんな話をするのか、私には想像も出来ない。
束の間の休息は、あっという間に流れて消えてしまった。
力を込めて、私は貴方の手を握る。
私の力が、思いが、少しでも貴方につたわる様に。貴方が無事にゴールできるように。
無事に、私の所へ戻ってきてくれるように。
「かな恵、そんな力強く握らなくても大丈夫だよ。もう、充分過ぎる位伝わってきてるから」
「まだ、まだ、もう少し……」
私の彼氏は、珍しい仕事をしている。
私の彼氏、隼人の仕事はプロライダー。
バイクのモータースポーツをしている。
隼人の所属する階級では何回も優勝を果たしている。凄い彼氏だ。
「かな恵、俺、もう手が痛いよ」
「あっ!ごめんね。もう、離す。やり過ぎましたっ!」
そう言って、私が手を離すと、隼人は私の離した手を優しく掴み、自分の手で包んできた。
「ぎゅーっ!あははは、お返しー」
「だめだよ!お返しなんてっ!せっかく私が送ったんだから…………っ!!」
チュッ…………
私の手を掴んでいる手を隼人は隼人側へ優しく引き寄せ、私にキスをした。
びっくりしてしまった私は、少し固まってしまった。
「思いや気持ちは、唇でも伝えられるんだよ?かな恵」
やんちゃそうな顔で笑う隼人。
隼人、私の好きな人…。
大切で、大好きな人。
私はお返しにとばかりに、隼人にキスをする。すぐに離れると思った唇は、思ったよりも長く重なっていた。
「…………つ」
「あははは、かな恵、顔真っ赤だ。」
「……うるさいなー。…………行ってらっしゃい、隼人。」
「うん。行ってきます」
今日もレースに行く隼人を、私は見送る。
それが、私の日常。
それが、私達二人の日常。