運命の輪の軸に選ばれる人間というのはたぶんあらかじめ神様が決めたもので、あなたは最初から断崖絶壁の淵に立たされてわたしを見下ろしていた。
あなたはこれを選んできた道だと言った、ほんとうにそうならせめて視線ぐらいは合ってもよかった。偶然でも一瞬でも救わせてほしかった。
あなたの眼はもう手が届きようのない暗闇を見据えていて、そのときわたしは生まれて初めて誰かのおそろしさに、強烈なうつくしさに心ふるえたのだ。
怖いものほど見つめたくなる、うつくしいから覗きたくなる、けれどそれすらも現状では叶わない、こちらは地上であなたはずっと雲の上に佇んでいる。
目が笑っていない、あなたをそう評したひとは悲しいかな正しいと思うよ。今にも消えたいと口にしそうな顔で何かとてつもないものに立ち向かっている、わたしたちには何ひとつ教えてくれないまま。
だから、わたしたちは崖の上まで這いあがろうと必死になって、絶壁に爪をたてている。
あなたに近づけるなんてすこしも思っていないよ、ただ崖下を満たす黒い霧を晴らしたいと切に願うことのなにが悪いだろうか。
何もかもあなたが悪いだなんてわけがない。
何もかもあなたのおかげである必要はない。
わからないやつは崖から突き落とせばいい。
それができないからあなたは選ばれている。
それが恵まれたことではないとも、わかっている。
断崖の花よ、あなたはそこで咲かなくてもいい。
けれどそうでありたいと願うなら。
せめて、今日ぐらいは笑っていてください。
(あなたがいたから)
朝起きて、わたしの頭上に覆い被さるどんよりとした曇り空からふと光がさすのを見あげて、今日もあなたが太陽であることをなにより尊いと思う。
あなたが太陽であること、太陽であらなければいけないこと、それを他でもないあなた自身が一番に咀嚼しながら燃えている、だからあなたの振りまく輝きはこんなにも暖かく世界を包みこむ。
太陽が出ていても雨は降る。あなたがほんとうは泣いていることを知っている。けれども雲は晴れるから、わたしたちはあなたの天気雨で恵まれている。あなたが通るだけですべてに花が咲く。
ただ、雨がやむことを祈ってやまない。あなたの笑顔に返せるものが祈りだけても、空に雲がなければ届くと信じられるから。
(あいまいな空)
花言葉というものは時々ひどく理不尽に感ぜられる。移り気と辛抱強さ、無常と元気、浮気と寛容をグラデーションだと意味づけられたとして、わたしが紫陽花ならひどい濡れ衣を着せられたものだと怒ってしまうだろう。
移り気なものに辛抱を求めてはいけないし、元気なときは永遠ではない、だから浮気には寛容であるべきなのだ、言葉の流れとしてはそういうことになってしまう。変えたくて色を変えているわけではないのに、そこに悪い意味を見いだされたらたまったものではない。
だいたい人によって言っていることがまるで違うのである。わたしたちは花が喋る言語を幻視している。
花を見るときはきれいだと思うだけでいいし、ただきれいなものを見てほしいから、という気持ちで送ればよい。
花束に地雷を仕込んではいけない。
探そうとしてもいけない。
そこに愛以外のなにかは無い。
(あじさい)
後悔している。ほんとうのことを言うとひとを傷つけてしまうと、気づくまでに時間がかかりすぎたこと。
反省している。嘘をつかず素直な気持ちを話すことは、いついかなるときも美徳だと信じていたこと。
嘘をつくのがうまいひとは、いつもほんとうのことの中にすこしだけ嘘を混ぜているのだ、そう言われているからきっとそうなんだろう。
だから私は正直者です。嘘をつくのもうまいです。
ねじれていないと生きていてはいけない。
正直でいられる人が馬鹿を見なければいい、それしか願っていないのに、それが難しい。
(正直)
紫陽花が似合うあなたはいつでも冷たい雨に打たれている。濡れそぼった髪が額にはりつくのをどこか気だるげにかき上げる、その仕草がうつくしいと思う。
頬を伝う雨にどれだけの涙が隠れているのか、わたしたちが知ることはけして許されない。あなたはいつも曇り硝子の向こうにいる、雨はあなたの本当を洗い流す。足元には群青色の海がたまる、波は穏やかできれいだ、けれどいつもすこしだけ濁っている。
降りつづける雨がせめて暖かければいいのにと願う、けれど横殴りの雨が降る嵐の中で磨かれ続けた正しさが、その正しさがけして報われないことが、わたしちの胸を穿つ雨だれとなる。
あなたが六月に生まれると決めたのは誰だろう。
あなたには雨が似合う、哀しくてやりきれない。
(梅雨)