「すみません」が口癖になっている人。
全部「ありがとう」に変えてみましょう。
ちょっと幸せになれます。
(「ごめんね」)
小麦色の肌がよく似合うね、なんて言われてるあの子の肌が本当はひどく白いことを、いったい何人が知っているのだろう。
季節外れの真夏日がささやかれるたびにあの子を思いだす。あの子はいつもきれいだ、けれど半袖と素肌の境目にくっきりと引かれた線、あれだけはどうにも残酷で好きになれないよ。
太陽はいつもあの子にだけ厳しすぎる、あなたがそんなに頑張る必要はないんだよと、誰が言ってもあの子は困ったように微笑むだけだ。あなたには届かないから美しいんだ、そんなフレーズが頭を過る。
今年の夏はあの子に優しくしてくれるかな。
だったらいい、と切に願う。
あなたには太陽より月が似合う、それでも日の当たる所にしかいられないんだろう。
(半袖)
死後の世界には三途の川があると聞いていたけれど、あの話は嘘だったのだと今しがた思い知った。
視界いっぱいに霧のかかった原野が広がっていて、青々とした叢からはなぜか線香のにおいがする。その中央に、土をかるく慣らしただけの凸凹の一本道が通り、一面の緑を左右に分断していた。
行けども行けども道におれ以外の人影は見あたらず、いよいよ不安になってきたところ、道がYの字の形に分岐するのが見えた。
分岐点にはまるで山道のように、行き先を示す立て札が立っている。
片方には「天国」、もう片方には「地獄」と書かれていた。
記憶をさかのぼる。
車に轢かれそうな子どもを助けようとして、咄嗟に動いてしまったところまでは覚えている、だかそのあとがぷっつり途切れている。だから、たぶんおれはあの子どもの代わりに死んでしまったのだろう。
天国と地獄。どちらに行きたいかといわれたら天国に決まっている。だが、いざ自分で決めろと言われると、天国に進むのは些か躊躇ってしまう。
なにしろ、おれはさんざん悪事をはたらいて生きてきた。地獄に堕ちるのが当たり前の人間で、それは誰がか裁いてくれるものだとばかり思っていた。
死に際子どもひとりを救った程度で天国に行けるほどこの世は甘かっただろうか。
この期に及んでちゃっかり天国を選ぼうものなら、更に酷い罰が待っているのではないか。
だがもしも本当に天国に行けるならば、みずから地獄に向かうのは馬鹿らしすぎるではないか。
こうして分岐路で立ち止まっている時間そのものが、おれの生きざまへ下された罰ではないだろうか。
「時間切れだね。てめえの罪を自覚しているようだ。そうさ、おまえは地獄行きだよ」
婆が嘲笑う声がどこかから聞こえる。婆、川の橋渡しをやっているんじゃなかったのか。
「廃業することにしたのさ。わしもいいかげん身体にガタが来ておるし、死後の世界も人手不足だからねえ」
成程、そういう事か。じゃがそれなりに後悔しているおまえに第三の選択肢をやろう、と婆が言う。
「どうだい、三途の川の橋渡しをやらんかね。体力だけは有り余っておるんじゃろう、若いの」
(天国と地獄)
流れ星が願いを叶えてくれそうな気がするのは、きっとあのちいさな炎が燃え尽きて、もう消えてしまう寸前だからだろう。何億光年か先でわたしたちのために光るいのち。その上にほんとうは誰が立っているのかを知れるとき、わたしも跡形もなく消えている。
月はきれいだけれどなにも叶えてくれない気がするな。あそこは竹から生まれたわがままなお姫様が治めていて、兎が住んでいる不思議の国、昔からそういうことになっている。
勝手に満ちたり欠けたりするし、太陽を食べたりするし、月はいつだってわがままなお姫様そのものだ。わたくしと結婚したければ地球を持ってくるのです、なんて言われたら兎たちはどうするのだろう。
すくなくともお餅なんてついていそうもないな。
願いをかけるなんておこがましい。
願うためのものだ、あの朧げで傲慢なうつくしさは。
(月に願いを)
わたしは雨である。
雨というものは表現手法においてまったく便利な代物で、いついかなる時も適当に降らせておけばよいのである、と思われている。
悲しみや希望やエモみを付与するために塩胡椒感覚で振られるこちらの身にもなってほしいものだ、と食品界隈にぼやいたら「それはどっちかというと僕みたいな感じだよ。なにと合わせてもなんとなく合ってしまうんだ」と卵に言われたし(卵のやつは食べられる側のくせに妙なドヤ顔を浮かべていた)、デジタル画材界隈からは「わかる、戦場塵ブラシみたいなものだよね」と言われてしまった。戦場塵ブラシ?
戦場の塵とは、雨が降るような感覚で降っていいものなのだろうか。わたしには到底理解が及ばない話題だった。
こうしている間にもまた連続ドラマの演出としてお呼びがかかっている。
わたしは誰よりも多忙な俳優のはずなのだが、知名度はまったくの無であるし、スタッフロールにクレジットされたこともない。永遠の友情出演・雨。ただし誰とも友人になった覚えはない。
一度でいい、わたしも米津玄師やYOASOBIや福山雅治になんか良い感じのエンディングテーマを歌われてみたい。だが、いや待て。一番わたしを酷使しているのは作詞家と小説家ではないだろうか?
今日も何かが行われているのだろう。
雨の酷使が止まらない。
仕方がないので回数券を採用することにした。今後奴らが「雨」というフレーズを使用するたびに百円を徴収してやろう。十回使えば一回おまけがついてくるのだ、お得だろう。
雨の降らせ放題は本日をもちましてサービス終了させていただくことにする。
君たちも雨のサブスクリプションに加入しないか?
(降り止まない雨)