怪しい神様が過去の自分に会えるというから、人生の攻略本を書いて渡してあげた。
現代に戻ってきても何も変わっていなかった。
たぶん読まずに置いてあるか、なくしたのだろう。
でしょうね。君はそういうやつだ。
(あの頃の私へ)
別れの挨拶は祈りなのだ、と唱えたひとがいる。
もう二度と会わないことを願ってさようならと、また会えることを願ってまた明日と、口が滑るその一瞬だけ誰もが無邪気な魔法使いになる。
さようならの呪文は滅多に効かないし、また明日に裏切られた日は世界が凍る。それでも勝手にやってくる明日へほんのすこしだけ反抗するために、はじまりの魔法を使ったひとがいる。
すべてのさようならが優しくならない今日だから。
わたしは顔も知らないあなたたちに、また明日、と唱えることにする。
(また明日)
都会を歩くひとたちはみんな透明だ。情報の洪水でわたしたちの色温度は希釈され、水びたしの街には水面に反射された空と高層ビルだけが取り残された絵画のように映っている。
コンクリートで舗装された歩道の合間で、さみしさを埋めるために咲かされた紫陽花は、すこし汗ばむような初夏の空気に囚われている。あのちいさな花々を囲む川辺の散歩道の上で、子どもたちが川に向かって石を投げているのを見た。
通りすがりの透明人間は、石がぽちゃんと川に落ちる音が聞こえないことに気づいてふり返る。そのとき音にも透明な音があるのだと、識る。
子どもたちのちいさな掌に石は握られていなかった。ああ、あの子たちは透明な石を投げているのだと思った。ここには石すら落ちていないのだと悲観することもせず、想像の翼で石を空に羽ばたかせている。
子どもたちが声をあげながら走っていったあと、わたしにもすこしだけ色が戻った気がした。それが何色なのかは誰かが決めることだ、わたしはわたしの無色だけを見つめている。
(透明)
あなたがあなたの思いどおりのあなたじゃなくても私はあなたが好きなことに変わりはないし、あなたがあなたを否定しても私はあなたのことが好きだよ。たったそれだけを許せないひと、あなたが求める私はきっと初めから宇宙のどこにも居ません。
煩い流星群が流れている、自己肯定自己肯定自己肯定自己肯定自己肯定自己肯定、自己肯定の行列はやがてゲシュタルト崩壊する、だから列に並ぶのをそっと抜け出すひとがいる。
足下ばかり見ていないと石が転がっていることにも気づけない、一寸先の闇へ飛び込むつもりで転んでいるんだ、大河はそれこそを盲目と呼ぶ。
あなたはあなたのままでいい。
あなたを嫌いなあなたがいい。
あなたを許せないあなたの、硝子のようなはかない気高さを愛している、だからどうか砕けそうなまま走っていって。
(理想のあなた)
遡ることができるなら変えたいのは私の未来なんかじゃなくて、ただ貴方に会いに行きたいな。これからを見つめつづけることならできるけれど、これまでは知ることしかできないし、貴方のすべてが記された図書館には幾重にも鉄条網が張られていて、永遠に通行許可が下りない。
貴方の心を覆っている棘は硝子のように透き通って綺麗だけれど、其処にはあまりに明確な拒絶と断絶が立ちふさがって、私達の目を遠ざけようとする。頑強な城壁にはなにものも近寄れず、触れることができない花が咲く、いつまでも散らないことは美しいけれど残酷だと思いながら、気づけば私達は其処へ近づこうとしていた事を忘れている。
いつも高い塔の上から私を見下ろしているあのひと、あのひとはなぜあんなに寂しそうな目をするのだろうと思いながら、いつしか忘れてゆく。届かなかったということを私達は身勝手に拒絶する。貴方を笑わせる方法がどうしてもわからなくてつらいから。
そうなる前に城を燃やせば幸せにすることができましたか。そう言ってもきっとあの乾いた目で笑われるのだろう。すべてを慈しむ貴方の本当は時間の海に流されて、もう還る方法を忘れている。
(失われた時間)