セミの声が聞こえなくなった頃、
私は漫画に出てくる女の子に恋をした。
推しという存在が出来たのだ。
秋に恋をしたから
秋恋と言おうか、ガチ恋と言おうか。
笑い方、歩き方、話し方、性格、名前、
全てが愛おしかった。
私は誰かの特別になって、
その誰かを特別だと思いたかった。
でもみんな違うんだ。
みんなの1番はもう決まってて、
私はいてもいなくても変わらない存在だった。
2次元は裏切られないと思い逃げたあの日、
その女の子は
嫌いなものも全部飲み込んで
好きと言い続け、
友達みんな同じくらい好きで、
だから恋人と友達の好きが分からなくなってきて、
誰かの特別が欲しくて、
おばあちゃんはおじいちゃん、
お母さんは〇〇さん、
お父さんはクジラ、
じゃあ私の特別は?
クジラは
お父さんが喜ぶから好きなフリしてるだけで、
あの人は好きな人をちゃんと好きで、
この人は好きな物に一生懸命で、
好きだと思ったけど
この好きはどういう好きか、
私の特別かどうか分からなくなって。
そんな子だった。
ちょっと違うところもあるけど、
私とその子は似てた。
でもその子は頑張ってた。
ニコニコしてた。
楽しそうな生活を送ってた。
もちろん裏で泣くことも、
悩むことも、嫌なこともあったけど、
すごく元気で前向きだった。
じゃあ私は?
友コンで、
誰かと誰かが話してたらすぐ嫉妬して、
みんなに嫉妬していって、
好きな人と話す誰かだけに嫉妬できたら
楽なんだろうなと思って、
でも誰が好きなのか分からなくて、
疲れて、
拗ねて、
怠けちゃって、
どうしても頑張れなくて
怠惰な自分を責めるけど
結局直らなくて。
だから多分、
恋より尊敬の方が勝ってる。
漫画の中に入れたら
どんなに幸せか。
毎晩願ってた。
起きたら推しが目の前にいて、
私をギュッと抱きしめてくれますようにって。
叶うはずのないことを願い続けた。
でも今日は一味違うよ。
"Good Midnight!"
明日こそ上手く生きられますように。
コロン、カラン、ポーン、チリン。
私の首にはコップのように小さく、
壺のようなものが左右についている。
生まれた時からあったのだが、
割り箸などで叩いてみると
どんな楽器でも出せないような
不思議で特別な音が出る。
楽しいのは家の中だけで、
外ではショールを巻いてるけど
最近はショール集めにハマってきて、
外でも楽しい思いをしている。
そんなある日、
母から
壺のようなものの切除手術ができる病院を見つけた。
どうしたいかは自分次第だが、
手術するなら早めに連絡をくれ。と、
連絡が来た。
正直、
手術してもいいかなと思った。
毎日髪の毛にまとわりついてうざったいし、
お風呂も寝る時も邪魔だし、
ショールをしていても
不自然に膨らんでいる首周りが変だ。
でも、
何か引っかかる。
モヤモヤして、
考えるのが嫌になってきた。
適当に壺のようなものを叩いていると、
なんだかいつもより綺麗な音が出ていた。
耳に焼き付いて離れないこの音。
そうだ。
壺のようなものがついてる私にとって、
この演奏は私にしか出せない音。
大事にしたい。
音、音、音。
母に手術を断るメッセージを打っている間、
ずっと音と呟いていた。
もう大丈夫。
迷いなんてなくなった。
墓場まで持っていくよ。
翌日、
母に頼んで壺のようなものに
ある一言が書いてあるラベルを貼ってもらった。
"Good Midnight!"
一緒にいい真夜中を過ごそう。
人間じゃないみたいな人間なんて、
そこら中にいるし、
人間って人間がいるわけじゃない。
私はこのまま
ありのままが1番いいんだ。
私は常に笑っていたかった。
スマホのロック画面は
「騙されたなポッター!!!!!」
と、マルフォイが言っている画像だ。
誰かに見せるわけでもないし、
スマホを開く時も笑えたらいいなと
設定したものだった。
しかし!
今私は大ピンチだ。
友人にこの前行ったジブリパークでの
私が撮った写真を見たいと言われ、
ロック画面の事をすっかり忘れていた私は
そこにあるから勝手に見といて
と言ってしまったのだ。
スマホの画面が光る少し前に思い出した。
私は何年かに1回、時を止める能力が使える。
前使ったのは3年前だったから、
多分使えるはず。
今からだったら間に合うか?
ダメ元で言ってみた。
「時間よ止まれ。私を動かし他を足止め。
蝶でさえ、止めてしまえ。」
友人の方を見る。
よかった、止まってる。
それにスマホの画面もついてない。
急いでスマホを取り上げ、
壁紙を変える。
「時間よ動け。私と他の時を同一に。
どんなものも、共に動き出せ。」
何事もなかったかのように、
友人は写真を漁り始める。
今度からスマホの壁紙はやめておこう。
本とかをずっと持っといたらいいや。
返されたスマホで良さげな本を探す。
気になった本の中で試し読みをしていた時、
"Good Midnight!"
と、書いてある本を見つけた。
内容も面白い。
絵柄も可愛いので、
調べたら壁紙が出てきそうだ。
一石二鳥ってやつ?
ふふっと笑った私に
「そういえばロック画面、面白かったねー。
2度見したよ。」
と友人が言った。
変えた壁紙はピグレットが変な顔をして
指を指している画像だった。
5…4…3…2…1…。
ハッピーニューイヤーという声が世の中を包み込む。
そんなこと私には関係ないけど。
中くらいの大きさで
とても分厚い漫画を寝っ転がりながら読み、
内容を付箋に書き
表紙に貼る。
本を読んだ時はいつもそうだ。
1部の本を除いて、
その本がどんな本だったか見返す時間が
惜しくてたまらない。
お陰で本棚は付箋だらけだが、
別に構わない。
大切なのは
過去にこの本を読んだことがあるという事実と、
どんな内容だったかだけだ。
私にはそれ以外必要ない。
本なんてただの紙切れ。
写真なんてゴミが増えるだけ。
思い出なんか明日には忘れてる。
冷たい人間だと言われる人も、
優しい人だと言われる人も、
羨む人も、
恨む人も、
全部この夜景の中にいる。
まとめてしまえば皆同じなのだ。
新しい本を読もうと
新巻の本棚へ手を伸ばす。
「世界が青くなったら」
あれ。
この本の名前見たことある。
しかしそこに付箋は無い。
おかしいな。
何回も読みたいと思った本は付箋を貼っていない。
だがこの本は特にそうは思わなかったはずだ。
本棚から出し、
少し考えて隣の本棚を探してみた。
あった。
これはつい3ヶ月ほど前に読んだ本で、
何回も読みたいと思ったが、
なんとなく付箋を貼って戻したんだった。
真横にはそのシリーズの新巻が置かれていた。
表紙が同じ青色だから
間違えたのだろう。
そういえばどんな内容だっけと、
付箋に目をやる。
"Good Midnight!"
ああ。
そうだった。
この本の内容は
付箋には書き表せないものなんだった。
ただ
3ヶ月前も、
今も、
この言葉が1番ピッタリなのだと
満月を細目で眺めた。
私は私が何を考えてるのか分からない。
よく
翼が生えても飛べなかったら要らないよな
とか、
水の中でも呼吸できる両生人間になったら
泳ぎを極めてポイント・ネモまで行ってみたいな
とか、
どうでもいいし、
不可能な事ばかり考えていて
意味がわからない。
今自分は何したいんだろう。
どうしたいんだろう。
あの子とは仲がいいけど、
もしかしたら私は
あの子が嫌いなのかもしれない。
この子は自分の都合のいいように
言いくるめるのが上手いけど、
それを私が正面から率直に言ったら
どう感じるんだろう。
優柔不断な私は迷ってばっかりだな。
こんな感じで色んなことが頭に浮かんで
どれがどれか分からなくなるのだ。
最近はシャワーを浴びてる時に、
お風呂で本を読んでみたいなと思った。
自分の気になった本を買って
お風呂の湯船に全ページを浸して
ページを読むごとに千切っていくのだ。
1度しか読めない本だからこそ面白い。
それにお湯で艶やかに光っている本も
見てみたい。
思えば思うほど楽しくなってきて、
即決だった。
青い表紙の面白そうな漫画を買った。
サラッとした紙質で
少しひんやりしたその漫画は
お湯でツヤツヤにひかり、
次第にふやけていった。
読むごとに手の中でぐちゃぐちゃになり、
もう見れないページが増えていった。
アネモネの花畑が出てくるシーンや
主人公が船から落ちた時に
すごく大きなクジラを見たシーンなどは
千切るのが惜しかった。
でも、もちろん千切った。
いよいよ最後のページをめくる。
そこにはある一言が書いてあった。
"Good Midnight!"
何故だろう。
とても心惹かれ、
このページだけはどうしても千切れなかった。
惜しいとか
そんなもんじゃない。
もっと大きな何かがあった。
運命って多分こんな感じだと思う。
嬉しくもあり、同時に悲しくもあった。
漫画を裏返した私の目に映ったのは
「この物語はフィクションです。」