私の左腕には大きな火傷がある。
これは父に熱湯をかけられて出来たものだ。
父は暴力を振るう人だった。
何も言わず殴られ続ける母。
泣いてるだけの妹。
私がどうにかするしかないと思って
間に入って
私も殴られて。
これで2人を守れてると思ってた。
自分のことなどどうでもよかった。
ある日
怒りが頂点に達したのか
父が声を荒らげ、
パスタを作ろうと
コンロで沸かしていた熱湯を
私にかけた。
その夜、
母は部屋で首を吊っていた。
次の日の朝、
私が起きる前に
父が酒を飲んで暴れたようで、
妹の胸に持ち手のギリギリまで刺さったナイフを見た。
その時の喪失感は言い表せないものだった。
くだっとしている妹の手を握る。
当然だが、氷のように冷たい。
何も守れてなかった。
守ってるつもりだっただけで
私のしたことは
全て無意味だったのだ。
家を飛び出し、
嬉しそうにしている通行人の
持っていたものをひったくった。
もうどうでもいい。
中身は漫画だった。
内容は覚えていないが
最初のページの一言が印象的だった。
どんな意味か知らないままなのは
少しもったいないような気もするが
まあいい。
私は廃墟の屋上にいた。
今頃父は家に帰って私がいないことに気づくだろう。
でも関係ない。
フェンスを越え、
肌寒い風を感じる。
遅れてごめん。
今から行くね。
飛び降りようとした時、
あの一言はこういう時に言うんじゃないのかと思い、
踏みとどまる。
深呼吸をして
"Good Midnight!"
と、大声で叫ぶ。
来世は家族で幸せに暮らせますように。
お願いだからみんな消えて。
人間関係に疲れて、
何もかも嫌になって、
神社にお参りに行った時に願ったの。
そしたら「チリンッ」って
鈴の音が後ろから聞こえて、
気づいたら私以外みんな消えちゃった。
世界に一つだけ。
世界に一人だけ。
他に人がいないか探していた時に見つけた
1輪の小さなたんぽぽに
これまでの経緯を話した。
草花は残っているようだが、
人はいない。
スーパーも、商店街も、
どこにも。
コンビニもやってなくて、
水も出ないし、
電気もつかない。
ご飯もなくてお腹がペコペコだ。
でも本はあった。
何冊か読んで
これは夢だと自分を落ち着かせようとした。
でも暑くて暑くて、
現実に引き戻された。
小説を破り
自分でもびっくりするぐらいの声で叫んだ。
あの時願わなければよかった。
いつも思い通りにいかなかったのに、
なんで今更叶えてくるんだ。
熱中症と思われるふらついた足取りで、
道路の真ん中に寝そべった。
物語はハッピーエンドばかりじゃない。
私の人生もそうみたい。
このまま一人で飢え死にます。
"Good Midnight!"
私は今、旅をしている。
平々凡々な日常生活に飽き、
少しの荷物と共に家を出たのが2年前。
お金は使いどころがなかった貯金が結構あった。
移動手段は己の足。
適当に歩いていくだけなのだが、
イヤホンでケルト音楽を聴くので、
胸の鼓動が高鳴り
すごくワクワクするのだ。
どこのホテルも部屋が空いておらず、
奮発していいホテルに泊まった夜、
字の読み方を忘れないようにと持ってきた
漫画や小説たちを引っ張り出し、
表紙で読む本を決めた。
異世界、ヤクザ、逃避行、ギャグコメ、永久ループ、妖、
色々な種類があったが、
非現実的な漫画を選んだ。
冒険ではないが
登場人物がいろんな所へ行く物語。
"Good Midnight!"
から始まるこの漫画は
私と世界を引き離し、
漫画の中へと引き込んでくれた。
気づいたら朝で、
急いで朝食を食べに向かった。
どこにでもあるたまごサンドが
漫画のせいか、
いつもより美味しく感じた。
私は夕方に散歩するのが好きだ。
色んな家から晩ご飯の匂いがするから。
でも靴を間違えたら
全然歩けない。
今日は間違えてしまった。
かかとの高い靴を履いてしまった。
足の裏がじんわり痛く、
もう歩けない!と思いながら早足で家に帰る。
晩ご飯は唐揚げにしようと思い、
肉に粉をつけて揉む。
油を注ぎ、
火をつけ、
唐揚げをいれる。
踊るように揚がる唐揚げから、
いい匂いが漂い
お腹が鳴った。
サクッといい音がしたかと思うと、
じゅわぁっと肉汁がたっぷり出てきて
一気に幸せな気持ちに包まれた。
9時。
少し遅くなってしまったと思いながら
洗い物をしてる時、
ふと、
いい夜って英語でなんて言うんだろう、と
とてつもなく気になった。
お風呂に入る前に
スマホを出して調べてみた。
「nice night」
うーん
なんだかまんま過ぎるなぁ。
もっとオシャレな英語ないのかな…と悩んでいると、
1枚の画像が目に入った。
それは
"Good Midnight!"
と書かれた画像だった。
翻訳すると、
「良い真夜中」
超オシャレじゃん!と、
1人で喜んだ。
まだ唐揚げの味が残ってる口の中は
私と共に10時を迎えた。
長いコートについた黒いフードを被る。
世界との音を遮断するために
星型のイヤホンをして、
夜の街を歩いていく。
聴く曲はいつも同じ
「月の光」。
みんなが寝ていくような
ゆったりとしたテンポで奏でられるピアノ。
私が聴くには勿体ないような曲だ。
漫画を買い、
1度家に帰る。
鳩時計が
午前3時と
時を告げる頃、
買った漫画を1冊ずつ取り出す。
最初はちょっと前に1巻目が出たばかりの
「□▲◆◎■▽○」という漫画。
夜ではなく夕方に読む方が合っている漫画だった。
次は結構前から買っていた漫画の12巻、
「✖★□▽◆★□■」の「○★▲▽◎」という漫画。
1巻目から自分の想像を遥かに裏切る展開で、
こちらはもう1時間前に読みたい漫画だった。
最後は初めて買ってみた漫画。
表紙に惹かれ、
絶対午前3、4時くらいに合うと思って買った
「★☆★☆★☆」という漫画。
"Good Midnight!"
という一言が
とてもいい漫画だった。
何より、
「月の光」という曲の雰囲気に
すごく合っていた。
この余韻に
浸って
浸って
浸り尽くして、
溺れてしまいたい、と
薄暗い部屋の天井を見つめた。