家庭において母親は太陽のような存在だとよく言われる。
わたしの母親は特別太陽のような人ではなかったし、どこにでもいそうな普通の母親だった。
そして今、母親業ももうすぐ終わろうかと言う時期になったわたし。
わたしもまた特別太陽のような母親でなければ、太陽のような妻でもない。
めちゃくちゃ幸せかと問われたら、めちゃくちゃ幸せでもないし、かといって不幸かと言われれば、不幸でもない。たぶん...
本当は太陽のような人でありたかった。明るく笑っていられるわたしでいたかった。
でも、そうならなかった。
自業自得ではあるけれど、こうしてしまった自分に後悔がないかと言われたら、なくはないかな。
わたしがありのままのわたしでいられる場所はどこなんだろうな...。
わが子が小学生の時のこと。
夏休みの宿題だった絵画で、彼はカブトムシを描いていた。画用紙の真ん中にどーんと1匹。周りにも数匹...。当時ケースに入れて飼っていたカブトムシの絵だった。
カブトムシの周りは枯葉などのおがくずが敷き詰めてあったから、わたしは当然茶色っぽい色で塗るのだと思っていた。
仕事から帰ってきてふと絵を見ると、カブトムシの周りが緑色に塗りつぶされていた...。
なんで緑?
彼いわく「この色やん...」
子どもの感性って凄いなと思いつつも、不思議だなぁと思っていたわたし。その時は、「ああ、そうなんや...」と受け流した。
後日、実家の母と話していて、ふとその出来事を話したら、「あ! あなたに言ってなかった?!」と何かを思い出したような母の口ぶり。なんのことかと思ったら、実はわたしの家系には色覚に障害があるのだとか...。
初耳だった。
色覚障害は男系に遺伝していることが多いらしく、母はわたしに男の子が生まれたら伝えておかなければいけないと思ってはいたらしいが、すっかり忘れていたのだそうだ。
兄に色覚障害があることもその時初めて知った。
ほどなくしてわが子を眼科へ連れていき、検査を受けたら、茶色と緑色の区別が非常に難しいことがわかった。
あーなるほど。だからおがくずを緑で塗ったのか...と腑に落ちた。思い出してみれば、下書きしたカブトムシを塗る時も、どの色でぬろうか?と聞いてきたのだった。
さらに振り返ってみれば、幼稚園入園の際に受けた面談時に、先生から色鉛筆の色を尋ねられた彼は、ほとんど答えられなかった。言葉が遅かったのでそのせいだと思っていたけれど違ったのだ。
ごめんね...気づいてやれずに。
幸い、色覚障害が生活に及ぼす困難はほとんどないようだ。
ちなみに、バックが鮮やかな緑色に塗られたカブトムシの絵は、思いもよらず、ある絵画展で入賞したのだった。
朝ふと目覚めたら、布団の中に飼い猫が潜り込んでいて、すやすや眠っていた。起こさないようにそっと体勢を変える。
わが家には2匹の猫が同居している。毎朝だいたい5時くらいになると、わたしの枕元に座りに来て、時にはちょいちょいと頭を小突いて起こしてくれる。もちろん、ご飯の催促なのだけど。
冬の季節は寒いからか、猫たちも少し朝が遅い。時には寒すぎてなのか、今朝みたいに布団に潜り込んでいることも多い。ほんのりとした温もりは心をほっこりさせてくれ、すやすや眠っている顔は愛おしくてたまらない。
でも...ずっと嫌いだったのよね、猫。わたしの人生に猫が加わる予定なんてまるでなかったんだけど。ある時、猫のかわいさに気づいてしまったのだった。その理由は割愛するけれど、とにかく、いまは約4年のキャリアを誇る(笑)愛猫家なのだ。
さようなら、猫を嫌いだったわたし...
毛布
もうかれこれ30数年前、わたしは実家を出てひとり暮らしをすることになった。今と違って、なんでもネットで買い揃えられる時代ではなかったため、ひとり暮らしをするにあたってあれこれ自分で買い揃える必要があった。
ある日、母とわたしは実家から少し離れたたまに行くダイエー(大型スーパー)へ行き、寝具を一式買った。その時に買ったピンク色の毛布こそ、長年わたしと人生を共にしている毛布である。
当時の毛布は縁にツルツルとした肌触りの良い生地が縫い付けてあり、わたしは子どもの頃からその生地の肌触りが物凄く好きなのだ。他人が聞けば気持ち悪い話だろうが、その縁の部分を触りながら眠りに落ちるということがかなり長い間、大人になってからもルーティンになっていたほど。
そうやって毎日のように触り続けられてきた毛布は、縁の布はあちこち破れ、かわいいピンク色だった全体の色もかなりみすぼらしくなり、薄汚れてしまった。
だけど、こういうものはなかなか捨てられるものではない。いまだに現役でわたしの羽毛布団の上に掛けられ、日々わたしと共に夜を過ごしている。
子どもたちには「わたしが死んだ時にはこの毛布を棺に入れてね」と冗談めかして話しているが、実は本気である。
いつ実現するかわからない話だけれど、このわたしの一番のお気に入りとは一生を共にするわよ!
誰もみな、自ら嫌われたいとは思っていないと思う。わたしもそう。
だから、いい顔しちゃうんだ。
優しい人、物わかりのいい人、なんでも嫌な顔せずやってくれる人、いつも元気で明るい人、どんなことにも動じず冷静な人...
別に疲れたりなんかしない。これがいつもの自分なんだから。
でもどこからか綻びって出てくるんだろうな。
新しい人間関係が始まってしばらくは調子いい。すぐに近い距離感になれる。仲良くなれる。
でもいつからか離れていく...。
本当の自分をさらけ出して付き合えたなら、ありのままのわたしを受け入れて貰えるなら、きっとこんな風にはならないんだろうな。
誰よりも1人になりたくなくて、誰よりも臆病なわたし。だれも知らないわたし。