またね!
じーぃ じーぃ じーぃ🎦
只今、調整中。
またね! また、明日。
またね!は、また会うためのオマジナイ(笑)
呪いだなんて終わってるねぇ、可哀想に(笑)
幸せな結末は、あちからやって来ない。マイナスシンキングじゃあ、そりゃあ幸せな結末は無いから安心して、要らないんでしょ幸せな結末なんて、大丈夫あなたは幸せな結末なん得られないから…って言われたいんだよね、その文脈。それは誰のせいでもないから、お願いすることじゃないし解ってもらうものでもない。やめて!言わないでくれ!解って!どんなけ他責思考やねんて考えてみ笑笑
幸せは自分の心が決めるもの、幸せな結末は自分でつかむもの、人にお願いするものではない。てか、表現力が…頑張って笑笑
中身はまだない、なんにもないねぇ(笑)
なんにもないから、また会いたい人も居ないしまた会う必要もない、約束もいらない。
そんな人は「i am nothing.」 きっと頭の中にも心の中にも、なんにもない、中身が空っぽな空虚どこまでもつづく砂漠、潤す水もない。
そんな人には必要のない言葉だから笑笑
これからだからなんだよ笑笑 解るの笑笑
人生の裏表、起き上がりこぼし(不倒翁)に込めた親の想い…。「またね、何度でもまたね」
関西でも、女の子は「ほな、またね」イントネーション違うけどね笑笑 「またなぁー」使うのは下町の、オバハンかオッサンかガキwww
そんなにカリカリしないの🤬←こんな顔して、それこそ子供が可哀想www で恥ずかしくないの?だわ。
極端は、束縛される僕ちゃんを育てます。悪いことを知るから善行が大事と学ぶんですよ。子供を、ひ弱なモヤシに育てて、36歳無職ママにパンツ洗ってもらってますみたいな息子ちゃん育てないでねwww 社会のお荷物になるからwww 社会のお荷物、社会に謝罪www
許されるために謝るな!悪いと思ってないんだろ?親に社会に、おんぶに抱っこニート大センセー様www 中身空っぽあんちゃんに譲る気はない、お願いばっかり与えてもらうことばかり当たり前みたいに言ってないで、欲しければ奪い取れ。正義は…なんだっけ?逆転する、正義は簡単にひっくり返ってしまう。決してひっくり返らない正義ってなんだ?あの台詞はなかなかで、流石プロ。
解って!寄り添って!与えて!の受動的ではなくて、自分がの能動的態度で「マットレスで組め!」だ。よーく考えろ!www 解って!のうちは、君の春はまだ遠い。御下がりの与えられたものに囲まれてふんぞり返るなよwww
昨日今日は寒い、引きこもりの君には解るまいwww
また、そんなに他人任せのくせに、他人の目ばかり気にして(笑) イメージばかり気にするの?そんなに他人に良く思われたい?そのくせ私のこと解って!多様な価値観認めて寄り添って個性?どっちだよ?それとも、それは自分や自分の子供に対してだけか?笑笑 そりゃあ疲れるだろうね。個性を貫きたいなら孤独を怖れるな!多様な価値観というなら他人の個性を認めなきゃ、優しくあれていないし、寄り添ってもないよねぇ大センセーwww 自慰行為みたいな一行飛ばしの当て擦りが関の山ならも少し上手に書いてやらなきゃ、猫さん哀れ。
「またね!」こんなに無垢な言葉を汚す同朋の荒んだ心を赦してやってください言葉の神様。
声に出して読みたい日本語です「またね!」
さてさて、今夜は…。
今日はナナシ
春風とともに
1つ 人より力もち
2つ ふるさと後にして
3つ 未来の大物だ
大ちゃん アッチョレ 人気ものwww
てんてん てんかの 大センセーwww
4つ 弱気は見せないで
5つ いつでも 猛勉強
きたえぬけぬけ お勉強
6つ むしゃくしゃするときは
大ちゃん アッチョレ 顔真っ赤🤬←で
アンチョレ 音頭で湯気をあげ
てんてん てんかの 大センセーwww
大ちゃん数え唄 作詞 石本美由起
替え歌 心幸
1.2.3.4.…数えあげると物事を客観的に捉えているように思うのかな?どう読んでも主観的でしかなく、個人的な趣向しか伝わって来ませんが笑笑 実に幼稚に思いますね。それは、あなたの感想?解らなかったことですよねwww それを物語のせいにしていては駄目ですよ。解らないから嫌いは幼稚ですから、正直に解らなくて、ただ嫌いの方が素直です。けれど、終わったものにゴチャゴチャ言うなら、解らなくても答え出なくても考え続けてくださいな。人生経験を積めば解る日が来るやも知れません。考えることをヤメルナ!と、あなたの大好きなセンセーも仰有っておられたから。まあ、頑張って吠えていてくだーいwww まったく、ストーカーが気質丸出しで気持ち悪いわwww お大事に。
さて、話もどして、大ちゃん数え唄。
明日から、4月新年度 この桜咲く春風と共に
新しい土地へ、新しい人生へ旅立つ人もいらっしゃるかと思います。この、4月始まりの新年度、世界共通ではないと知った時、日本スタイルが絶対好いと思った日は遠い日のことですが、一部欧米スタイルをとする西洋かぶれ意見に流されず日本は日本のやり方を通して欲しいという考えですが、明日から新しい一歩を踏み出す皆さまに桜の花びらのような小さな幸せが沢山舞い落ち幸せの絨毯が敷き詰められますことをお祈りいたします。
短編
「春風とともに、山の音」
川端康成原作「山の音」オマージュ
山の奥深くの根雪をとかす春風とともに、地響きのような、地から湧き上がり足の爪先踵からジンジンと突き上げるような、山の音を尾形は聴いていた。自らの老いを自覚しその山の音に魂をかき乱される。じっと耐える、どんよりと生温かい春の夜の闇の彼方から響く山の音。
復員兵の堕落した息子は、今夜も帰らない。同居している息子の新妻喜久子は、帰らぬ夫を今夜も待ち、まだ起きているようだ。新婚夫婦の部屋から溢れる灯りをボンヤリ縁側に座る尾形は見つめていた。振り返ると妻はもう寝入り微かな鼾が縁側にいる尾形の耳にも届いた。還暦を過ぎた尾形は最近物忘れをするようになり、別段身体にこれといった不調はないのだが、友達の訃報も届く近頃、漠然とした不安を感じていた。
或夜、あの地鳴りのような山の音を耳にしたのであった。それからというもの、まるで死亡宣告でも受けたような恐怖を感じていたのであった。
息子の嫁、喜久子は、ほっそりと長身の色白な娘で喜久子を見ると尾形は妻保子の姉を思い出すのであった。保子の姉は若い頃の尾形の憧れであったが、若くしてこの世を去ってしまった。以来心にそっと恋慕の情を仕舞い、妹である保子と結婚した。
息子は、二年ほど前に喜久子と結婚したが、堅物で几帳面な喜久子とは、肌が合わないらしく、もう外に愛人をつくり帰らない日が続いているのであったが、そんなこんなが、男の負い目と女の引け目に何か変化を与えたのか、夫婦生活が性急になったようで、土の下の虫が動き出す啓蟄の深夜今まで聞いたことのなかったような喜久子の慟哭の声を尾形は聞くのである。喜久子を不憫に思った舅尾形は、息子の愛人を調べ家を訪れる。
尾形の家には、嫁に出したはずの長女がコブ付きで出戻り、妻は我が娘孫可愛さで、後ろめたさを姑の立場を使い、嫁である喜久子にあたる。そんな中、夫に愛人がいると知り深夜に慟哭しても昼間は楚々と家に仕える喜久子に不憫を越えた気づいてはならないような音を感じる尾形なのであった。
喜久子への淡い恋心を自覚する尾形。喜久子もまた、舅の優しさに、辛い身の上を寄せ慕っていた。
そんな中、尾形は自分たちと息子夫婦は別居すべきと考え、喜久子に切り出し、息子の愛人宅へ向かう。愛人は、戦争未亡人で、荒んだ顔を寂しさと悲観的な青白い顔に漂わせた病弱気な女であった。そして尾形は、この愛人がもうすでに息子の子を堕胎までしていることを知らされる。そればかりか、息子の醜態、酒を飲んでの暴力、そして何より喜久子のことを、「子供過ぎて抱けない」とこぼしていると知り、純粋な生娘のまま嫁に来た喜久子に対する侮辱に我が息子のことながら怒りを収めることに必死であった。
息子は、あの戦争から帰って、どこか変わった。おそらく、愛人もあの戦争で、変えられたのであろう。尾形の最初の息子は、昔は、小さな動物や花を愛でる男であったが、今は、なぜか刹那に春風ともに吹きすさぶ夜中に舞う桜吹雪のような狂気を感じるのである。
優しくありたい息子であったため、戦地で見たものはあまりにも過酷であったのか、息子は心の傷病兵であったのだ。愛人もまた、夫を戦争に奪われ人生を狂わされた、心の戦災婦人であったのだろう、二人は同病相憐れむで惹かれ合い貪り合ったのか、、尾形は無情に拳を握り締めた。
お茶を嗜む喜久子は夫の全てを承知し、慈童面を顔にあて、舅を迎えた。喜久子の能面に隠れた小さな顔の顎から喉元へ涙が流れる。喜久子は離婚を決意し、「もし、あのひとと別れてもお舅さま(おとうさま)とお茶をしたい」と小声で囁いた。
結局、尾形は堕胎費用、愛人への見舞金手切れ金を用意し、息子を諭した。息子は「喜久子は自由だと、お父さんから伝えてやってください」と言った。尾形は出戻り娘の夫、義理の息子の心中騒動を思い出し苦笑いした。「長女も離婚した、喜久子さんも自由だ、喜久子さんもっと自由におなりなさい」そう言った。その瞬間、春風とともに鳩が飛びた立ち、その音が天からの音のように聞こえた。喜久子は鳩を見送りながら、
「わたしは、自由でしょうか」と涙ぐんだ。
ご存知文豪川端康成氏の傑作を罰当たりにも端折りアレンジし季節も春に変更(本物は夏のお話し)その他諸々でしたが、この話、要は昼メロな話で御座んすが、これが川端康成の才筆にかかれば、「山の音」クラッシックに聞こえちゃう。でもな、山の音を感じる感受性がないと文豪の言葉も、モーツァルトにもショパンにも聞こえない訳だか、数え唄で解らないところ数えあげるアンチョレ音頭やってもさ、伝わらないものは伝わらない解らないものは解らない訳だ。「解ってーぇ」でも「解らせてーぇ」でもなく「考えろ!」な訳だが、人間諦めが肝心な時もある(笑)別にあんたに解られなくても、文豪もプロは困らない。
読者も視聴者も、おめーだけじゃねぇんだよ!
まあ、考えるのは自由だから、考えてたらwww
それでは、またね 🌸 See You.
令和7年3月31日
心幸
涙
「涙の数だけ強くなれるよ♪」とは、よく歌われるけど、実際心からそれを気づけるには、
心から泣いた、泣きたくなった経験が必要なのであろうと思っている。だから、早いうちに親しい身内の死を受けて悼み涙する気持ちを知ることや人生の挫折を経験することは大切なのだと、近頃テレビドラマの感想なんて読んでいるとつくづく思うのである。昔は、人と人の距離が近かった。家族や親戚近所には親しい年寄りは大勢いた。そんな年寄りの葬式を通して子供たちは、生まれたものなら命ある者なら必ず平等に訪れる死を学んでゆくのであった。
私の一番古い記憶は徳川十五代将軍徳川慶喜を子供の頃に見たとかいう明治生まれの近所の寺の和尚さまのお葬式であった。私はまだ未就学頃だと思われる頃の話し、おそらく和尚さまは明治半ば頃の生まれかな?徳川慶喜って大正2年に亡くなられたらしいから。 何しろ話しの面白い和尚さまの話しを聞くのが私は大好きであったが、和尚さまは死んでしまったからもう話しを聞くことは出来ないのだなぁと、そして、人の死とは、こんなものなのか、別れとはこんな風におとずれるものなのかと小さな子供ながらに実感した。昔は、葬式は葬儀場ではなく近所の親戚とか年寄りが中心になってあげていたから、近所周りの葬式にも子供たちは自然と出る経験を持つ。そんな風にして耐え難い最も近しい人の死を予行練習でもするように、繰り返し人を送り、涙を強さや優しさに変えて行くことを覚えるから、〇〇ロスなんて自尊の自意識の固まりみたいな言葉はあまり聞かなかった。あったとしても、人は我の為に逝った人の喪失に明け暮れることを恥じる。それが亡き人の心に寄り添う優しさだ。見送るものが辛いと同じほど逝く方も辛いのだから、その涙は自分の為に流すのではなく逝く人の為のものなのだ。だから逝く人が「泣かないで、私の為に笑って生きて」と言われれば、そうしなければならない。成仏できなくなるほど引き留めては行く道を間違う、真っすぐ阿弥陀様の元に行けるように。昔は90まで卒寿まで生きたら赤飯炊いて送り出すものであった。
それが強さであり優しさだと私に教えてくれた人がいた。確かにいた、けれどそれでも涙流れるのが今生の別れなのであろうと理解出来るのも、やはり不条理な別れを経験するからであろう。
「愛しい(かなしい)人」
その人は 眠るように逝った、その時を 分かったように、安らかに 旅立った。
身体は、まだ温もりがあった、夜半前のことだった。
私は何度も何度も、手を握り呼んだ。けれどもう、時間は残されていなかった。
彼女の小さな身体はより小さく硬くなって行き
別れは静かにおとずれた。
私は抱きしめているのになぜだが抱きしめられたような気がしていた。
ようやく 死亡宣告を受けた。
看護師さんがエンゼルケアをしてくださった。
私は、当時まだ11歳だった為にその時外に出て待っていた。
母と父と家族三人家に帰ったのは、夜半過ぎ。白い割烹着を着てシャンと立つ祖母と親戚たち近所の人たちが集まって待っていた。
時間は、慌ただしく過ぎた。
湯灌が始まった、湯灌とは遺体を洗い清めることだ。
その当時、私の故郷ではこれは家族でするものであり、だいたいは祖父母の葬儀で湯灌デビューする。私も祖父とのお別れを以前に済ませていたので二回目だった。ぬるま湯で死者の身体を拭いてゆく、故人に親しい人一人ひとりが順繰りに身体を拭いてゆく。何処を拭いても良いのだが、私は、どうしても母のお腹を拭きたい衝動にかられた。母は私を37歳の時に帝王切開で出産した、今からもう60年近く前のこと、母のお腹には物凄い傷跡が残っていて、子供の頃一緒にお風呂に入っては、その傷跡を触っていた。何故だか哀しいくらい愛おしくて、そして安らぎにも似た優しさと強さを感じるその傷跡に、私はもう一度触れる必要があると子供心に確信し、母のお腹の傷跡を最後に湯灌した。
不思議と涙は出なかった。それよりも母への畏敬の念が私の身体を心を抱きしめていた。
その夜は、母の隣で眠り、翌朝母の手に触れた時、人形みたいに硬くて冷たくて、もう母は居ないことを実感した。
私はこの時はじめて、悲鳴のような声をあげて泣いた。もう母の温もりに触れることが出来ないことを子供ながら分かり声をあげて泣いた。それが、私の涙というものの体験談だ。
あれから、随分時は過ぎ、私は親になり子を持って知る親の恩も経験し、気づけば母の年も父の年も追い越して、もっかババァの年に迫るべく追走中であるが、最近ボチボチ同年代の見送りをする回数が出来始め、また、生かされていることへの感謝を感じるようになると、さらに私をこの世に送り出し育ててくれた人たちへの
感謝が深まる。
どんな下手くそな愛し方であったとしても、愛は長さはなく、深さなのかと思うのである。それを読み解くには、やはり涙は必要で経験と年の功は必要であると思うのである。
人情を感じ取れる感受性は人生経験に比例する。
by 人生幸朗(笑)
令和7年3月29日
心幸
今日の後書き
誰でも自分のことには甘くなりがちですが、あまりにも、アリが巣でもこしらえそうなくらいの甘さですね。チェちゃんに飼われてるホルモン焼き屋の小鉄みたいな笑笑 人間関係をつくれる笑笑 いや、人間関係は選びましょう笑笑 なんでもいい人間関係はつくれるとは言わない笑笑 ガラクタの寄せ集め。 ブレーンちごてブーメラン頭に突き刺さってますよ笑笑 日曜劇場ならぬ、ひとり劇場ですか笑笑小鉄さん、、なんちゃって笑笑 お大事に笑笑 ああ、本当にアホと病人は相手しないと決めたので。教えといてあげる、私はあんたを嫌っているんじゃなくて、お生憎様、嫌う値打ちもないと思っていて馬鹿にしている、残念(笑)ネットしか人間関係が無いって可哀想だと思っている。もし引きこもりの中高生でなく、人の親になるような年の世代ならゾッとする。
飾りじゃないのよ涙は♪
私は泣いたことがない…
それは本当の恋をしていないから
いつか、本当の恋人に会えるとき
私の世界が変わるとき
私 泣いたりするんじゃないかと感じてる〜♪
井上陽水はメンヘラの心を掴んだねぇ(笑)
お涙頂戴大嫌い、恋なんかしない涙なんか流さない…厨二病か〜笑笑。
でもな、「男はめったなことで泣くもんじゃない」とは確かに言う。
これは、明治生まれの爺さんと婆さんの躾であったから。昔は女に生まれることも業だったけど、男に生まれることも大層な業だった。かと言ってそれが多様性の無いことだとは、私は思わない。むしろ昔は自由だったと感じるからだ。「男はめったなことで泣くもんじゃない」そんなこと言われて育った叔父さんが、婆さんの葬式に目を擦って涙を堪えていたのを、誰も笑いもしなければ、もっと泣けとも泣くなとも言わずに杯交わす。それが優しさで寄り添うってこと。それはそれで綺麗な背中なんですよ。そんなことを泣く方が良いとかどうとかメンタル解ってるセンセーみたいに、決めつける不粋さよな〜。
「本当、昔の男は泣かないんです」そんな価値観はそんな価値観であったっていいじゃない。
だから、男の涙には値打ちがあるんです。いい年の男がビービー泣くもんじゃないとは思っています、そう言われて育ったから。でも、そんな人でも泣くんだな人知れずと思った時、こっちの涙腺もやられるしね。
最も、嫌らしいのが「泣いて良いのよ」って然りげ無いマウント、寄り添ってあげるでしょ〜、優しい人でしょ〜なやつ。
そんなもん、他人に言われるもんじゃないわ笑
高倉健か〜?いや、菅原文太がイイ〜。
作家?ここにはそんな大センセーがいらっしゃるのか? 作家を自称する自惚れ屋なら目に出来そうだが、プロはタダで自分の小ネタもコメントも披露しないでは?と思っているが笑笑
それが、プロの気位だと思っているが笑笑
プロと素人の違いは
「春風に 才筆披露の 請求書」
おそ松さん
私?わたしは、ど素人の一炊の夢です(笑)
「減らず口!」花に舌打ち はい、凡人
おそ松さん✌️
では、また今夜〜🐠
小さな幸せ
「a little happy.」少し幸せそうにしてみて。
いつも、ネガティブマインドのあなたに、世界が灰色で、いつも私は被害者の寂しいあなたに
少し、心が痛んでいる歪んでいるあなたに。
幸運の女神が言いました。
嘘も吐き通せば真実になる。
みんな、多かれ少なかれ傷を抱えて不幸せ不運を抱え素知らぬふりで、躓いて倒れても起き上がり歩きだし笑う。戦火の中の子供たちほどよく笑う。守られて腫れ物にでも触るかのように、祀り上げられている子供ほど笑わない。
「a little happy」少し幸せそうにしてみて。
そうすればきっと「a little happiness」小さな幸せが訪れるから、幸運のおまじない。
「a little happy」少し幸せそうにしてみて。
「little happy」ちょっと嬉しいを集めて「happy forever」ずーっと幸せ。
幸運の女神は言いました。
「桜咲く」
もう、ここ1週間くらい春爛漫通り過ぎてますよ、確かに暑さ寒さも彼岸までと言いますが、お彼岸前とはえらい違いで、ちょっと極端なのは時代のせいでしょうかね。昨日は春爛漫飛び越え初夏の陽気であったし、今日は雨でしたが生暖かい雨でした「春雨じゃ…」なんて感じでしょうか?しかしこういう雨に濡れると風邪をひきやすい、どうかお身体ご自愛ください。引きこもりさんは外に、お出にならないから、まだ春爛漫は遠いのかしらね笑笑 そちらもお大事にwww
やがて、一変に桜は咲き散るのでしょう。梅は寒さの浅春に凛として咲き、この頃春爛漫に静かに旬を終え、派手に散らずに静かに朽ちる。折れた枝でも生命力の強い梅はその樹皮から水分を吸い上げ花を咲かせる。折れたり曲がったり歪んだりしながらでも、花を咲かせ続ける折り梅は見事に美しい。そんなことを想う春爛漫の雨でした。
小さな梅は小さな幸せと小さな春を告げて、季節は、浅春から向春へそして桜花へと移る、桜は別れを想像させ物悲しくも感じます。
「散る桜 残る桜も 散る桜」ですぞ 良寛和尚辞世の句。良寛和尚は曹洞宗の僧侶で、有名な歌人です、、ってここまで書かなきゃ解らないって不粋ですね。
昨年から、積み重ねた一炊の夢のような小さな幸せの時間も一周目を終えようとしております。最初はイイね♡の数など気にもしていませんでしたが、昨年秋頃5000♡が射程に入った頃から、これ1年で10000♡行けんじゃない?と思いはじめて、二、三日分のお題を纏めて書くのをやめて、1日1日の積み重ねを大事にして来ました。満一周が、4月1日ですから10000♡には及ばないようですが、毎日読んだよ印をつけて頂きましたこと、大変励みになりました。有り難う御座いました。
さて、四月からも続けて行く所存で御座いますれば、四月からは、筆名も変更し連続の長文話を書きたいと思っております。頂戴するお題は
前後に触れて、真ん中は連続の長文話をひとつ完成に挑戦したいと思っております。
心機一転リニューアルオープン。
Coming soon.
相変わらず、令和の人生幸朗、癖のある文章ですので、見つけていただければ励みになります笑
皆さまに、喜ばしき春が訪れますように🌸
心幸
令和7年3月28日
本日も、後書き
練習は毎日しないと鈍りますよ笑
そのための練習帖笑笑
「継続は力なり」
季語って、これが季語ですって説明書かなきゃ駄目なのか?夏井先生ーっ。なんか不粋な気がするの。はい、個人的主観的だけです。
そりゃあ、やっぱりマウントとって捨て台詞に「やってあげてる」なんて使ってちゃあ、救世主じゃなくて支配者だから離れた方が互いの為だろうね。人の為とペンで書けば「偽り」って読むのですね。「情は人の為ならず」って諺はここから来ているそうです。情をかけてはいけないって話ではなく、「かけた情は自分にもどって来るから、人のためには自分の為だ」ってこと、あなたの好きなブーメランのポジティブ解釈よ笑笑
幸せは人によるだろうか?幸せの基本って大差ない気がする。不幸の許容範囲は人によるだろうけど(笑) 幸せの基本は、世の中平和で、明日食べるに困らないだけのお金と起きて半畳寝て一畳、雨露風しのげる家と小ざっぱりした寝床があり、愛する人も自分も健康であること。これに欲の皮が広がる貪欲な人は、あれが足りないこれが足りないと不幸を探す。欲深な人の不幸は際限がない。だから足るを知り自分の心で満足を知ることが出来る人は、小さな幸せに敏感で幸せ探しが上手いのだろう。けれど、そんな反面、貪欲な人の足りない探しや楽したい精神が物質的に世の中を豊かにしたってことも言える。だから何事も塩梅が大事(笑)
大きな幸せはいきなり来ない。何故なら幸せは積み重ねだから、小さな幸せの積み重ねが大きな幸せを生む。「小さなことからコツコツとー」は元国会議員の西川きよしさんの言葉です。大きな不幸は突然やって来て、積み木崩しみたいに小さな幸せを吹き飛ばすけどね、吹き飛ばされたらまた拾い集めればイイ、小さな幸せを。それが足るを知るってことなのだろう。
アホと病気は相手にしないと誓い新たに(笑)
春やしねぇ、木の芽時やしねぇ。
お大事に。
春爛漫
春と言う字は三人の日と書きます
あなたとわたしとそして誰の日♪
会ってみたいな久しぶり〜
あなたも話が合うでしょう♪ってえらい歌だよなぁこの歌(笑)と、本日のお題を読んで一番
最初に思い浮かんだ詩を検索にかけたら、作詞家、伊藤アキラさんが亡くなっていらっしゃったことを知りまたまた、そうかぁ、、と手を合わせました。お顔は存じ上げませんでしたが、1970年代80年代の歌謡曲シーンで、作詞家阿久悠さんと並んでよく目にした作詞家でした。そして今回個人的に御姿を初めて拝見して、その時、この曲が頭に流れて、申し訳なくも「ふっ」と吹き出してしまうような、オジサマ顔で今風に言いますと、「おじカワ」ですか?ねと思ったりしました。そしてなんと、ワタシのコメットさんの「キラキラ星をあげる」も伊藤アキラ氏だったと知り、プロは、いつでも乙女になれるねかぁ~と感心しました。ふと、春爛漫のこの宵に、「キラキラ星をあげるぅ♪」と執筆してらっしゃる伊藤アキラ氏を思い浮かべたりしました。
合掌
「春爛漫の虹の袂にて」
そこは、暗い場所だった。
仲間たちが、順番に何処かに連れて行かれて帰って来なくなるんだ。外に出られたのかな?イヤ違う、ボクは勘でわかるんだ、あの冷たくて暗い廊下の向こうに、もう二度と目が開かなくなるような、そんな場所があって、仲間たちはそこに連れて行かれて消えて行く、ボクの番もそのうち回って来るのかな、「助けて…」ボクがそう願った次の瞬間、彼女が、あの特有のドングリのような瞳で檻の向こうからボクを見つめていたのさ。それがママに手をひかれた夢ちゃんだった。ボクらはそこで出逢った。
ボクは宿無しのボクらが入れられる収容所の野良犬から、夢ちゃんとママと暮らす家族になった。けれど、ある日、夢ちゃんが声をあげて泣いていたんだ、桜色のお洋服がトレードマークの夢ちゃんが黒色のワンピースを着て、ボクの声の鳴き真似みたいに、ワンワン鳴いて、ドングリみたいな瞳からポロポロ涙の粒が光っては落ちた。ボクは何か大変なことが夢ちゃんに起こったのだと思い、なんとかして夢ちゃんの瞳から溢れる涙の粒を止めたくて、いつもみたいに笑いかけて欲しくて、ママを探すけどママは見つからない、やっと見つかったママは、眠っていて呼んでも、顔をペロペロ舐めても目を覚まさない、やがて、ボクは知ったのさ、ママの死を。
ママと二人家族だった夢ちゃんは、独りぼっちになってしまった。
「よし、ボク夢ちゃんのパパになって夢ちゃんを守るからね、ママ見てて」ボクは眠り続けるママに伝えるべく、吠えた。
春爛漫の虹の橋の袂で、ママは振り返り微笑みながら涙を拭い、ボクに手を振ったんだ。
「ぼく、頑張らなきゃ」
このあらすじは、敬愛する脚本家松木ひろしさんの名作中の名作「パパになりたかった犬」でした。今期のドラマを観ていたら思い出して、懐かしく、あらすじを自己流にまとめてみました。
昭和らしいドラマだった。主人公の健気な犬の名はヨサク犬頭さんではない(笑)ヒロインは夢子ちゃん小学生。夢子ちゃんとヨサクはテレパシーで会話が出来て、親戚のオジサンの大坂志郎さんと、その息子役の鶴見辰吾さんが味わい深く、獣医学部の学生の彼は、夢子ちゃんとヨサクの関係を理解しているが、上手く誤魔化し助けてくれる。近所に住む伊東四朗さんと冨士眞奈美さん夫婦も色々面倒臭い人達なのだが、そこは松木ひろしの筆才がハートウォーミングな物語として見せてくれる。夢子ちゃんとヨサクのテレパシーの世界は誰も知らないヒ・ミ・ツであるし、劇中流れるヨサクの声も大人たちには聞こえないのだが、彼らはヨサクと夢子ちゃんの関係を理解して行くという、昭和感満載の物語だが、今期の犬頭さんのお話しは、この物語を実に彷彿とさせた。視聴者目線だと犬頭さんが犬太であることは誰にも分かりきって、何故、彼犬太が、そう決意したか?という疑問をラストまで上手く残し役者の芝居もあり飽きさせずに、視聴者はラストに犬頭さんの気持ちを知る訳だか、それは、劇中設定では墓場まで持って行くヒ・ミ・ツなのである。何故なら彼らは大切な雅弘くんであったり夢子ちゃんを、そっと見守りたいから。それを察する側に居る人も聡明であり粋である人は、知っているのに、ほんわか知らぬ振りであるのである。つまびらかもなにも、最初から犬頭犬太も夢子ちゃんとヨサクのテレパシー、ヨサクは日本語喋れますもである。
ヨサクも犬太も情緒は一部のつまびらかなきゃ理解しないよーな不粋人よりあるのだと知っていましたが、劇中の彼らの大切なヒ・ミ・ツは、ほんわか春爛漫に舞う桜の花びらのように、匂わせるのが涙を誘うのでした。
また、これが、1月始まりの3月26日終わりのドラマで、懐かしく思い出しました。「パパになりたかった犬」名作中名作なのですよ、再放送できませんかね(笑)
心幸
令和7年3月28日
今日の後書き
いや、愛していないと思いますね、その人を愛しているのではなく、自分の言葉がその人に届いてその人を癒やしているなんて考えるのが傲慢な自己愛でしかないから。癒やしているとか届いているかとかではなく、ただどうしょうもなく動くのが愛でしょうから。
今時、「おまへん、ですやん」なんて使う関西人って🤔 じゃりン子チエちゃんか?猫の小鉄か?
二丁目劇場の前で、ビラ配ってる芸人さんでも舞台でしか使わんのと違うかなぁ〜www
それが、一番古臭いかも笑笑