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3/27/2025, 1:26:13 PM

春爛漫

春と言う字は三人の日と書きます
あなたとわたしとそして誰の日♪
会ってみたいな久しぶり〜
あなたも話が合うでしょう♪ってえらい歌だよなぁこの歌(笑)と、本日のお題を読んで一番 
最初に思い浮かんだ詩を検索にかけたら、作詞家、伊藤アキラさんが亡くなっていらっしゃったことを知りまたまた、そうかぁ、、と手を合わせました。お顔は存じ上げませんでしたが、1970年代80年代の歌謡曲シーンで、作詞家阿久悠さんと並んでよく目にした作詞家でした。そして今回個人的に御姿を初めて拝見して、その時、この曲が頭に流れて、申し訳なくも「ふっ」と吹き出してしまうような、オジサマ顔で今風に言いますと、「おじカワ」ですか?ねと思ったりしました。そしてなんと、ワタシのコメットさんの「キラキラ星をあげる」も伊藤アキラ氏だったと知り、プロは、いつでも乙女になれるねかぁ~と感心しました。ふと、春爛漫のこの宵に、「キラキラ星をあげるぅ♪」と執筆してらっしゃる伊藤アキラ氏を思い浮かべたりしました。     

              合掌 

「春爛漫の虹の袂にて」

そこは、暗い場所だった。
仲間たちが、順番に何処かに連れて行かれて帰って来なくなるんだ。外に出られたのかな?イヤ違う、ボクは勘でわかるんだ、あの冷たくて暗い廊下の向こうに、もう二度と目が開かなくなるような、そんな場所があって、仲間たちはそこに連れて行かれて消えて行く、ボクの番もそのうち回って来るのかな、「助けて…」ボクがそう願った次の瞬間、彼女が、あの特有のドングリのような瞳で檻の向こうからボクを見つめていたのさ。それがママに手をひかれた夢ちゃんだった。ボクらはそこで出逢った。

ボクは宿無しのボクらが入れられる収容所の野良犬から、夢ちゃんとママと暮らす家族になった。けれど、ある日、夢ちゃんが声をあげて泣いていたんだ、桜色のお洋服がトレードマークの夢ちゃんが黒色のワンピースを着て、ボクの声の鳴き真似みたいに、ワンワン鳴いて、ドングリみたいな瞳からポロポロ涙の粒が光っては落ちた。ボクは何か大変なことが夢ちゃんに起こったのだと思い、なんとかして夢ちゃんの瞳から溢れる涙の粒を止めたくて、いつもみたいに笑いかけて欲しくて、ママを探すけどママは見つからない、やっと見つかったママは、眠っていて呼んでも、顔をペロペロ舐めても目を覚まさない、やがて、ボクは知ったのさ、ママの死を。

ママと二人家族だった夢ちゃんは、独りぼっちになってしまった。

「よし、ボク夢ちゃんのパパになって夢ちゃんを守るからね、ママ見てて」ボクは眠り続けるママに伝えるべく、吠えた。

春爛漫の虹の橋の袂で、ママは振り返り微笑みながら涙を拭い、ボクに手を振ったんだ。

「ぼく、頑張らなきゃ」

このあらすじは、敬愛する脚本家松木ひろしさんの名作中の名作「パパになりたかった犬」でした。今期のドラマを観ていたら思い出して、懐かしく、あらすじを自己流にまとめてみました。

昭和らしいドラマだった。主人公の健気な犬の名はヨサク犬頭さんではない(笑)ヒロインは夢子ちゃん小学生。夢子ちゃんとヨサクはテレパシーで会話が出来て、親戚のオジサンの大坂志郎さんと、その息子役の鶴見辰吾さんが味わい深く、獣医学部の学生の彼は、夢子ちゃんとヨサクの関係を理解しているが、上手く誤魔化し助けてくれる。近所に住む伊東四朗さんと冨士眞奈美さん夫婦も色々面倒臭い人達なのだが、そこは松木ひろしの筆才がハートウォーミングな物語として見せてくれる。夢子ちゃんとヨサクのテレパシーの世界は誰も知らないヒ・ミ・ツであるし、劇中流れるヨサクの声も大人たちには聞こえないのだが、彼らはヨサクと夢子ちゃんの関係を理解して行くという、昭和感満載の物語だが、今期の犬頭さんのお話しは、この物語を実に彷彿とさせた。視聴者目線だと犬頭さんが犬太であることは誰にも分かりきって、何故、彼犬太が、そう決意したか?という疑問をラストまで上手く残し役者の芝居もあり飽きさせずに、視聴者はラストに犬頭さんの気持ちを知る訳だか、それは、劇中設定では墓場まで持って行くヒ・ミ・ツなのである。何故なら彼らは大切な雅弘くんであったり夢子ちゃんを、そっと見守りたいから。それを察する側に居る人も聡明であり粋である人は、知っているのに、ほんわか知らぬ振りであるのである。つまびらかもなにも、最初から犬頭犬太も夢子ちゃんとヨサクのテレパシー、ヨサクは日本語喋れますもである。

ヨサクも犬太も情緒は一部のつまびらかなきゃ理解しないよーな不粋人よりあるのだと知っていましたが、劇中の彼らの大切なヒ・ミ・ツは、ほんわか春爛漫に舞う桜の花びらのように、匂わせるのが涙を誘うのでした。

また、これが、1月始まりの3月26日終わりのドラマで、懐かしく思い出しました。「パパになりたかった犬」名作中名作なのですよ、再放送できませんかね(笑)

心幸 

令和7年3月28日

今日の後書き

いや、愛していないと思いますね、その人を愛しているのではなく、自分の言葉がその人に届いてその人を癒やしているなんて考えるのが傲慢な自己愛でしかないから。癒やしているとか届いているかとかではなく、ただどうしょうもなく動くのが愛でしょうから。

今時、「おまへん、ですやん」なんて使う関西人って🤔 じゃりン子チエちゃんか?猫の小鉄か?
二丁目劇場の前で、ビラ配ってる芸人さんでも舞台でしか使わんのと違うかなぁ〜www
それが、一番古臭いかも笑笑 

3/26/2025, 11:16:15 AM

七色

前説

本日の前説は、ちょっと屁理屈を。
虹の七色は、外側から赤橙黄緑青藍紫(せきとうおうりょくせいらんし)であるが、虹とは大気中に浮かんでいる、小さな水滴の中で太陽の光が屈折し光を反射して生じます。屈折と透明な水滴がプリズムの役割を果たし、光が赤から紫の帯に見え、屈折の違いから外側から赤橙黄緑青藍紫と順番に並ぶわけです、この事実を知った時、屈折も美しいものを創り出すと想ったのは、私だけだろうか?屈折は悪い言葉ではない、屈折も知らないものは美しくなれないし優しくも強くもなれないだろう。

しかし、屈折してるだけじゃあ駄目なんだよね(笑)跳ね返さないと。屈折し、そこに当てられたものを跳ね返せた時、美しく光るのだろ。人間も、同じだなぁと思う(笑)という屁理屈笑笑。屁理屈も理屈のうち理(ことわり)のうちです。「理」分からんかったら検索してくだーい😂 


「七色の虹」 作 心幸

七色の虹が見えたの。
あたしの涙の粒が夕焼けに反射して、あたしだけに見えたの、七色の虹は、マッチ売りの少女が燃えるマッチの中に見たような幻をあたしに見せたの、忘れられない記憶、記憶は残る記憶の残らない人は寂しい、記憶の要らない人はもっと寂しい。
彼女は、そう言った。

生まれたての記憶はセピア色。最初の記憶は、断片的で古い8ミリフィルムのように動き、やがて繋がりだしコマ数も増えて行きカチャカチャ動く。屈折のプリズムが光を反射する頃には鮮やかな色をつけ今のア・タ・シへと続くそれが記憶。人は記憶を無くしたらきっと寂しい。
彼女は、頷いて笑った。

「いつまでも、あたし泣いたりしないわ」涙の粒は明るい明日に続く光を反射して、あたしだけに見せた七色の虹は、マッチを使い切ったら終わる少女の束の間の亡霊なんかじゃないの。

七色の虹の袂から生きて行くわ、あなたが側に居なくても。心配しないでね、幸せの星をきっと見つけ出すから。大丈夫よ迷わない、あなたの記憶が、あたしの道標になるから、あなたの記憶が、あたしの痛みや傷や屈折に反射して七色に輝いて、あたしの行く道を照らすから。大丈夫よ恐れない、あなたの記憶が私の中で、ほらキラキラと輝いているから、明るい涙を反射して七色の虹を見せるから。

彼女は、そう心で言ってからアルバムを閉じ顔をあげた。

そうして、そばにいる彼にこう言った、「汚ねぇ、夕日だなぁー、黄砂かぁ?スモッグかぁ?目に染みるわ」

彼は応えた、「窓閉まってるぜ、さっきまで雨降ってたし、お前、センチだなぁwww」

二人は、雨上がりの夕焼け空にかかる七色の虹を見ながら、手を繋いで笑った。


                おわり


令和7年3月26日


後書き

駄目、駄目なの、種明かしを書いちゃったらつまらないのよぉ〜。それは、読む人の勝手だからだからこそ行間に想いを込めて、その行間を読むのがイイのよ〜。種明かしはツマラナイわ。彼女が良い子だとか悪い子だとか、彼が好きだとか嫌いだとか直接的なこと書かずに、二人の気持ちが伝えられたら最高なのよ(笑)

例えば、「嗚呼」は、詠嘆の表現であって、
歓びにも悲しみにも使うし、「溜め息」は、ときめきにも落胆にも使うのだと分かってないとねぇ(笑)ダメダメなのよ笑笑 

例えば、涙は、悲しい時も嬉しい時も悔しい時も、ついでに痛い時にも笑い過ぎた時にも使われる。それが分からんかったらダメダメで、この使い分けを前後の文章と行間でどの涙なのか、直接的な言葉を、使わずに文章にしてあるのが優れた物語、その行間を読み取るのが楽しい読書の時間(笑)そんな優れた物語を見つけたいわね笑笑 


くすんだ色は、くすんだ色で綺麗だよって言って欲しいって顔に書いてある笑笑 顔見えへんけど解るよ。世界が灰色に見える、お嬢ちゃん。実際、灰色グレーって綺麗な色だよ(笑)

えぇ~、価値観はぁ、自分のものだから自分だけの自分勝手で良いんじゃないのぉ?他人に押し付けないって、良いと思ったことは勧めなきゃだし、駄目なことは駄目だと、お節介でも止めてあげなきゃ。冷たい人で無しになっちゃうわよ笑笑 だからぁ、何事も中途半端で良いのよ笑笑 中途半端って言い方が嫌なら、いい加減イヤイヤ、良い加減って書いたら解りやすい?もっと解りやすく言ったら塩梅かな(笑)塩梅と寛容さが大事で、極端にならないように気をつけよう笑笑 好きだの嫌いだの自分の価値観に振り回され放しのくせに決めつけないって笑っちゃうけど。

自分の行く道は、自分で決めつけて、張り切って決めて行かないと、親に決められたりしたら直ぐに毒親だの言うくせにね笑笑 自分勝手に気をつけてね(笑)

グレーでも茶でも黒でも白でも構わない、綺麗に表現できるわ。あたしは、それ自信あるから笑笑

でも、本日のお題は七色だから笑笑 

雀の兄弟が電線で
大きくなったらなんになる
大きくなったら鷹になる大きくなったら孔雀に
チュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュン🦜🦜🦜
だけど大きくなっても 雀は雀チュンチュン🦜🦜🦜
雀は雀として大きくなれば良い
人は人として大きくなれば良いのたとえ。

可哀想になぁ、頭の良いやつ悪いやつってレッテル貼って仕分ける奴が、そんなことに囚われてる奴が、「虐めは駄目だ!不正は駄目だ!戦争は駄目だ!自分で考えて隣徳のある人になりなさい!多様な価値観だ!」って言われても意味解らんやろ笑笑 解るとは思えんわ笑笑 だいたい、頭の悪い生徒良い生徒で分け隔てするって最低の教師のすることで、そういうのを「教師の落ちこぼし」とか言って、1980年代頃に流行った言葉のはず、それこそ画一的の代表の古臭い言葉ですよ笑笑 「燐徳」「隣徳」なんて論語まで真似てとても古臭いですよ。
最終回卒業する生徒に先生の「贈る言葉」って、批判してた金八まんまなんですけど笑笑 

おまけに一晩中張り付いて夜明けにSNSって可哀想過ぎるよ。SNSだけが人間関係をはかる基本って末期だねぇ、フォロワー数増やすためになんでもやる人みたいだ。SNSとリアルの友達数は比例しませんよ笑笑 とりあえず、早朝ゲロ吐きはやめとき。孤独な馬鹿丸出しだからね笑笑 友達は選びましょう、私はあなたを選びません。私に選ばれなくてもどうということもないし、あなたに選ばれなくてもどうということもないので安心してください笑笑

ワタシは馬鹿じゃないって…笑うとこかよ笑笑 今頃寝てる時間?昼夜逆転の引きこもりって? お大事に。ヤレヤレだねクスクス(笑)キショイから離れてんの気づかない?馬鹿なの?離れてよ笑笑

3/25/2025, 12:17:39 PM

記憶

前説

あのね🦜 暇な成りすまししゃん。
ひとつ、教えてあげる。
私の記憶が確かなら、あの作家は1963年生まれなので、全共闘世代ではありません。前にも書いたはずだけど全共闘世代に憧れた世代がその時代の記憶を自分のものにパクリましたなリスペクトオマージュ品なのですよ、成りすますならよーく読んでね(笑)いつも、あなたの成りすましはネタ元の心が掴めていないのよ。


東大紛争安田講堂が1969年。村上龍の「69」の世界観が思い出されます「嘘つきな大人に騙されるな!」ってやつ。それから、浅間山荘事件が1972年で全共闘世代の「大人は分かってくれない!革命を起こせ!」カルト化した行き過ぎた極論、純粋主義は、当時の百戦錬磨の清濁併せ呑んだ敗戦を生き抜いた屈強な大人に鎮圧され終演を迎えます。それが全共闘世代の縮図です。この時、作家は10才程度なので、オマセさんなら思春期ちょっと前、中学に入って、あの日一日中テレビ中継していた事件に触れて、憧れたりした世代になるのでしょう。2025年現在60代の世代。

それよりも更に3年程年下の私は、リアルでこの出来事を僅かに記憶している世代になりますが、作家と同い年の夫もですが、全共世代は面倒臭い人達だという認識は変わりません。夫曰く「浅間山荘事件」は週末に起きた事件で、当時の子供は漫画劇場が放送中止で激怒したわ!が、全共世代への印象だと未だに言うし、私も、片田舎の小学生でありましたが、従姉妹たち世代の大学生の身内はノンポリだった為に、印象が薄いです。と、云うようにあの作家さんの考えは、「新聞記者」を拝見した時も思いましたが、極端です。一方的に極論であるし、自分の生まれた時代への憧れと追憶が多くを占めているようであり、「考えろ!」は、1950年代に大宅壮一が唱えた「一億総白痴」の言葉に帰依しているものと思われるしで、ある一定年齢層以上にだと全く新しく思えないのである。新しくないなら新しくないで結構と思います。むしろその方が同世代への共感が得られたはずです。
何故、堂々と時代遅れな自分の記憶に胸を張らないのでしょう?自分が影響を受けたものがあったからこそ今の自分があるはずなのに。どうして、パイオニアになりたがるのでしょう?何も知らない若い世代に迎合して「解っているよ」「寄り添ってあげるよ」とデリケートな言葉を並べ理解者を気取れば、何も知らない若い世代の斬新な旗手にでもなれると思われたのでしょうか?そこが透けて見え過ぎで、とても残念でしたね。

「教育改革」とやらを題材にしたいなら、
「ゆとり世代の教師を教育者として教育する!」をテーマにされた方が斬新であったはずです。


「記憶 〜追憶〜」

1965年春、二人は大学生であった。優等生で真面目で社会情勢への意識が高く、政治活動に熱心なケイと、特に傾倒を持たない遊び人で気さくな春。信条が正反対の二人は大学キャンパスでの新歓行事で出逢う。一心に自分達の政治活動サークルの勧誘ビラを新入生に配るケイと、女子新入生を物色しに来た春。ケイは春の軽薄な態度が癪に障りイライラを彼にぶつけ、自分が配っていたビラを春にぶつけた。春は、ケイに向かって「お前、可愛い顔してんのに損してるな!ヒステリーは美容に良くないぜ!」と揶揄う。そんな風に、寄っては喧嘩するようになった二人の大学時代は瞬く間に過ぎ、二人は気になる嫌いなアイツ同士のまま別れて行くのであった。

1970年春、卒業後それぞれの道に進んでいた二人は再会する。

春は警察官となっていた。ケイは相変わらず政治活動に熱心だったが、なぜだかそれを再会した春には告げることが出来ずにいた。学生時代屈託なく喧嘩して、軽い春への苛立ちを隠さなかったケイたったが、彼に惹かれる気持ちに気付いてからそんな自分を隠し、とりわけ女らしく振る舞うようになり、やがてケイの思いは春に通じ二人は恋人同士になった。

しかし、ケイは春の友人達と全く反りが合わず馴染めず、公務員同士の付き合いが多い春の仲間たちから浮いてしまうのであった。そんな自分と友人達との間で悩み、らしくない振る舞いを強いられ疲れている様なケイに春は「自分の家は祖父の代からの警察官一家であるから、この道は変えられない、ケイが苦しむのなら…」と別れを切り出し、ケイも一度は別れを考えるが、実は密かに大学時代から春に想いを寄せ、春のように明るくその場にあるものを屈託なく好き嫌いなく攫え食べるような姿に憧れていたのであった。ケイは、春の花嫁になることを決心し政治活動へ向かう気持を伏せ、警察官の妻となるのであった。

しかし、1970年ケイのいたサークル学生運動安田講堂の残骸達は燻っていた。ケイ自身もベトナム反戦だけの可愛らしいデモに留まらず日本赤軍へとやがて傾倒して行くのである。

ケイは、新婚生活と、どうしても馴染めない春の仲間たち家族身内の交流の中で昔仲間たちに救いを求めてしまい、再び政治運動へと再燃して行くのであった。妊娠中にも関わらず同士らと、政府抗議デモに参加、反政府的な言動を日常的にするようになり、デモに参加し機動隊と衝突、警察官である春の仕事にも差し支えを生じてしまうのである。そんな中で、妻の潔癖で極端な思考停止のような曖昧さを寛容さを許さない信条真実の追求、政治活動と反政府反政治家、政治腐敗の追放と口を開けば「正義を!真実を!」の運動に付き合い切れなくなって来ていた春は、大学時代の取り巻きの一人麦子と寝てしまうのであった。丁度、ケイと激しく口論し家を飛び出し、満月の下、したたかに缶ビールをあおるように飲み干し空き缶をごみ箱に向け投げ入れたその向こうに、自分と同じ匂いのする学生時代のノンポリ仲間、麦子が月灯りを背に女神みたいに立ていたのである、、ように瞬間春には見えたのだ。春は春の朧満月に誘われて、麦子と夜の帷に消えたのであった。

軽薄そうに見えても春は、誠実を絵に描いた様な男だった。だから隠しきれない、程なく麦子との浮気はケイにバレ身重のケイは深く傷ついて、「よりにも寄って学生時代の友人と、よりにも寄って妊娠中にと」春を激しく罵り断罪し、「裏切られた!傷つけられた!失望した!」とまくし立てたのであった。

春は深呼吸ひとつして「俺も、お前の潔癖な理想主義には疲れたよ、世の中受け入れて生きることも覚えなきゃ、辛くない?」春はケイに離婚を申し出、家を出た。

それから時が経ち、ケイは実家で子供を出産し二人の離婚も成立した、、。春は、春の夜の一夜の過ちでしかなかった麦子とも別れ、一人暮らしをはじめ、新しい恋人も出来ていた。

ある冬の日、1972年2月19日夕刻、日番を終え帰宅した春の自宅の電話がけたたましく鳴った。

浅間山荘に、日本新左翼組合連合赤軍残党メンバー5人が、管理人の妻を人質に立てこもった!とテレビは一報を伝えた。

「ケイ!」春は思わず叫んだ。

1972年2月19日の記憶…。 

                完 

一部浅間山荘事件から着想を得た、ノンフィクションフィ。一部 フィクションの作り話です。

               作 心幸

令和7年3月25日


後書き 

読み返したら、作家の名前を入力ミスで間違えておりました。謹んで訂正させて頂きました。


モテナイ男の口癖はだいたい「ボクは理解があるし、君を解ってあげられるからボクを信じて云々」こんなことを、ぬかす男や、これによく似た理解ある上からなことを言う奴はハッキリ言ってモテナイ、ナニモナイ人間です。漫画読み過ぎだつう笑笑 キショイから笑笑 「ボクは、みんな解ってあげられる」なんてキショイから笑笑 男は女のことなんて永久に分ないから良いんですよ〜。


現国センセーは支離滅裂ですね〜(笑)
30秒で読める文章を長文だなんて笑笑 
これだって3分もかからず読めるはず笑笑

3/24/2025, 12:29:37 PM

もう二度と

「考えろ!」とシュプレヒコールするものが一番考えろ!ってね笑笑 

「考える」と云う事は、凄く個人的なことである。個人で考え心に止めて動くものである。

ましてや社会情勢の事なんか、政治家でもあるまいし考えて自分の意見を叫ぶのは、プラカード持って歩いてる〇〇ガイみたいに叫ぶ人や掴み合いする外人くらいでは。街宣車に暴走族みたいな漢字書いて走る人とか、極端な人ばかり。

他の人は、考えて自分の考えを持っていても叫ばないでしょうよ(笑)最近はSNSで簡単に叫べるけど、所詮顔出しNGの子供の名前さえ名無しの権兵衛名無し顔無し頭空っぽだから誰かに「考えろ!、こんな風に!」ってそれらしく言われたら「私もぉ〜」ってやつや、ネット私刑みたいなものが我も我もで優しくありたい考える人ですってなって上面だけ綺麗に畏まって私寄り添ってますぅみたいになるのか、キモ。

昔ノンポリって呼ばれた人たちが居て、結局、みんなそっちになってオジサン達バブルを支えたのよって、こんなこと書くと時代遅れと僕らを一緒にするな!ってヒステリー叫ぶ子供がいるけど、その子もいつか時代遅れになると考えましょう(笑) 
考えるの結構で、自分の頭で考えて行動するのは結構だけど考えて気づかないと意味ないしね。逆の立場から擁護って、人に言う前にね自分がなさいな笑笑 「解って!」って求めてばかりなのをセンセー注意してそんな風に言ったんでしょ笑笑

知識だけの頭でっかちで直角にしか進めないような、戦車みたいな大人にならないようにね笑笑

学生鞄の中には、教科書と一緒に漫画も入れとけ、飴ちゃんもお菓子も入れとけ笑笑 だいたいねぇ、政治の社会情勢のディベートなんてクソくだらないってテレビ観ていて思いませんか?「朝まで生テレビ!」ショーアップされたバラエティですよ。何にも変わらないですよ何十年前から。一晩中、エリートさん達が侃々諤々やって決が取れた回ありましたか?何十年もやっていたけど(笑)

まあ、私も若い頃、あの番組観てたけど笑笑 学んだことは、過ぎたるは及ばざるが如しってことでした。極端な思考や考え過ぎは〇〇ガイしか生みません(笑)

バブルの頃に、こんなことを書かれた有識者の方の記事を読みました。「現代の日本の若者はブランド思考で有名校に通ってブランドの名前は知っていても、総理大臣の名前も、首相の名前も、大統領の名前も知らないという人も居るようだが、けれど、それで良いのです。それが、平和というものなのです云々」これ多分中国の故事から取ってらっしゃるのだと思いますが、ある国の殿様が、家来と統治している村々を巡っている時、家来が畑仕事をしている百姓に殿様の噂を聞きました、すると百姓は、「オラ殿様の事なんか知らねぇなぁ」と答え、家来はその百姓を捕らえようとしましたが殿様は満足気に「私の政は成功しておる!」と手を叩いて喜ばれたという話、わりと有名な故事です。意味を考えてみてください(笑)ではなく、平和で良い政治が行われていれば、市井の人々は政治に興味など示さないってこと、それが平和ってことだと云う故事。戦争ばっかりやってる国の人達は社会情勢にとても敏感です。
玉子が先か鶏が先か?って話ですね(笑)

御上の役割はそれの実現です。不安を煽り不要な争いの種を撒かないことも、立派な大人の仕事ですよ、マスコミさん様(笑)


前説長笑笑


「もう二度と」

真紅のドレスを着た、その女は、踊っていた
流れる曲はタンゴアルゼンチンノアール。まだ十六、七才の女と呼ぶには足りない彼女のその足りなさが、あなたに向かい、にっこり微笑んで、カスタネットの音に合わせ手招きした時に
もう二度と、あなたは帰れなくなるそんな夢を見たの?

心配そうな、彼女の声であなたはようやく夢から醒め、さっきの夢で見た女と呼ぶにはあどけない踊り子が残した香りが強過ぎて、あなたは目眩を起こしていた。

彼女は、気づかないふりをして、あなたに水を運ぶ、グラスからあなたの唇に運ばれる水があなたの喉仏を動かす。

彼女の心を書いたら嫉妬
あなたが、何処かへ行ってしまいそうと彼女は泣いた。
彼女の心を書いたら嫉妬、ルビを、ふったら嫉妬。夢の中まで愛されたいと、彼女は爪を立て、首に手を回す

煙草を一息吐いて「好きだ」と容易く口にするけど、屈託のないあなたの笑顔と子供みたいな寝顔を見る度、軽くあなたを憎んでしまう、片時も目を逸らさずにいて、馬鹿な彼女は、あなたの夢の中の女、幻の踊り子に狂う。

狂うと書いて愛
あなたの全てを縛りたい縛れない、ルビをふったら愛。

愛が首を締め付ける、焼けるような胸の痛み、愛の極みの縁で悶絶する彼女は、もう二度と愛さないと誓いながら、その背中に爪を立てる。

もう二度と…。

さて、何時もの通り↑の話、さる昭和の歌姫の歌う歌謡曲からイメージしたリスペクトオマージュのパクリましたでしょうな作り話で御座います(笑)元ネタを当てられた方抽選にて…何も御座いません笑笑 

どなたの何という曲か暇つぶしに考えてみてください(笑)




令和7年3月24日

      心幸

後書き

これそこの厨二病、人に向けた人差し指は自分に向けよ、人間オギャーと生まれて中学にもなるくらいまで生きれば誰も傷つけずに生きて来たなんて詭弁でしかない!どんなけ己に甘い他責思考なのか!許せないその心こそが己を狭く貧しくし傷つけていることにはよ気づけ笑笑 
トラウマを作っているのは自分です。 

お気の毒、それ本当の話なら、多分家族の心配を歪んで取るところに原因があると思います。お頼みしますから、社会復帰は慎重になすって、働きもせず飢えもせず入院通院も出来る現状を理解し感謝出来るようになってから世間知らずを脱出なすってください、世のため人のために出来ることが、そんなに直ぐ側にあるなんて幸せなことですね😂

あんまり、思い詰めて決めつけない方がいいですよ、あと、自分をあんまり高く清く見繕わないことですね、自分を聖人君子にしてしまうと結局破滅すると思います。極端な人はサイコパスに多く、潔癖はメンヘラになりがち😂 

あなたに言ったのですか?その人、「もう二度としにませによ」と?自分に言われてもないのに誓われてもいないのに、勝手に思って人を責める他責思考ですよそれ。勝手に信じて勝手に裏切られて、嘘つきだあいつはってなっているような文章が目立ってwww そんな方は、人とお付き合いする時には、まず、必ず誓約書でも、交わし合われると良いかもですね。自分が信じたいから信じたのではないのでしょうか。信じるって自分本位なことですよ。

また、あの見世物小屋は賑わいを取り戻し、思考停止の者たちが、番組終わっても延々張り付いて、たかが原稿用紙2枚にも満たない程度の文章を長文だと言ってみたり、文章にも満たない呟きを唾でも吐き捨てるように吐いてみたり、読書とかしたことないのか?漫画しかSNSのコメントしか読まない弊害か?汚い汚部屋住人引きこもりニートの集まりだから仕方ないのか?本当、思考停止厨二病で呆れます。それにしてもなんにしても自分を賢者だと思っている者ほど哀れな愚人はいないと、あの場は証明しています。人に指した人差し指は自分に向けなさい。思考停止も、人の意見に右往左往も、こじつけ屁理屈も、言ってるあなたのことを指してますよ笑笑 そんな風に見えるのよ、 だから「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」なんて川柳が、何時までも残るのですね(笑)全くその通りだと思います。

因みに私の駄文なら、あのサイトに書いてる文章なら、横着してますから一発下書きなしの打ち込みで3分くらいで打ち込みますが、こちらは暇な時に気づけば打ち込み直しで、長なる長なるですが、なにせ「書く練習帖」なもので笑笑 どうでしょう、原稿用紙5枚分にも満たないと思っています。文字数数えたことないけど笑笑
そもそも、ここは、徒然日記の練習帖なので誰かに読んでもらう為に書いてないしね笑笑 

さあ、今日も、よく晴れて仕事も忙しくなって来たから、午後からも老体に鞭打ち頑張ります笑笑 働く場所があるって幸せですからね 

感謝  

あのサイトにへばりついてる蝿さん達もお仕事バイトでも良いから出れると世界も変わるかもね(笑)

ではまた、今夜笑笑 

あっ、またまた、成りすましは、ほどほどにシテねぇ〜(笑) 

気持ち悪、フォロワーとかそんなに気になる?ただの付け焼き刃架空の世界の友達なんて必要ないでしょ笑笑 それ、気にしてる時点でアウト。今日も長かった?(笑)私は今日も早かったわ笑笑 また、後で。

3/23/2025, 12:21:13 PM

雲り

前説

昨日のお題よりは随分落ち着きがあり、情緒性のあるお題で有り難い。

「曇りではなく雲り」なので、天気のことではなく、「雲」そのものを連想した。この時期なら今の時代は紫雲たなびく霞雲なんて風流なものでもなく、アメリカナイズされた御子様達は
風流よりも、花粉と黄砂とPM2.5ですわね(笑)困った微粒子は、いつもあの山越えてやって来る。

四十年くらい前の弥生3月の雲は新生活への期待と不安が入り混じった小娘の心を実によく表現していたけど。ふんわりと温かい、けれど、どこかモヤモヤとした先の見透せない不安が過ぎっては、柔らかな雲の合間に吸い込まれるように消えてゆく。そんな、ふわふわとした夢見心地と、先の見えない物語のはじまりのような不安を乗せて、1986年の春は明け来るのであった。

まだ、瀬戸大橋も、明石海峡大橋も架かっておらず、鳴門海峡大橋がようやく架かった次の年、その頃は都会って遠かった。勿論、都会に憧れた若者たちは、船で都会デビューして、飛行機で帰って来るステータスを夢見ながら船出する訳だが、今よりもずっと都会は遠く、その分夢も、その裏返しの不安も、都会へ出て暫くして須らく味わう望郷の想いも、今よりずっと大きく、はかり知れなかった。

まだ、この3月20日過ぎ頃までは、心には、風は温かで低い雲が立ち込めていた。

慌ただしく何時もの調子で追い出しにかかる祖母は、この気持を分かっているのか、いないのか、その頃の小娘には分からなかった。今ならはっきり祖母の気持も分かり、お礼のひとつも言えたろうに、神様は意地悪で、そんな心の成長を小娘には、まだ与えてくれない。ただ、まあ今の若者のようにやっぱり、若い頃とは自分の事ばかりなのである。それが正直なところだと今しみじみと思う。親がかりの保護者がかりの脛齧り。そんな、青二才が(男だけでなく女もね)分かったような口利くのは四十年くらい早くてね、自分のことで手いっぱいで普通で、それでも独りで立とうとするから、その気持ちそのままに、鶯がまだ下手な声で鳴く頃のなんだよ。空は温かく、そして雲は低く立ち込めてイイんだよ。そんな頃を越えなきゃならんのさ人は、そんな頃を越えなきゃ、何にも解らないんだと思うね。


「雲り、アーデルハイド」

アーデルハイドは一歳で両親を亡くし、母方の叔母デーテに預けられる。しかし、デーテはアーデルハイドをアルプスの山深い、田舎の山小屋に独り住む変人の異名を持つ気難しい祖父オンジに預け、自分は一人都会へと働きに出てしまう。アーデルハイドはハイジと呼ばれ、アルプスの大自然に抱かれて、仔山羊や羊飼いの少年ペーターと親しくなり、独居の気難し屋オンジとも心を交わし、のびのびと成長してゆくのである。

アルプスの空は広く青く雲は近く、オンジがこしらえてくれた大きなブランコに揺られていると、天の空の雲に手が届きそうで、時折ハイジは、雲に乗り風に流され旅をするのである。小鳥たちがハイジの元にやって来て、天に召された父さんと母さんのところにハイジの乗った雲を運んでくれる…ところで、ピーちゃんに顔を突かれ、目が覚める。天までとどくほど勢いよく揺れていたブランコはいつの間にか止まっていて、夕焼けがハイジの頬を林檎のように染めていた。やがて低い雲は流れ雲り空は速い勢いでお日様を山の彼方へ運んで行った。
ハイジを呼ぶオンジの声が届く。

「今日も、楽しいことが、いっぱいあったわね、ピーちゃん!」ハイジはブランコから飛び跳ねるようにおりて、裸足のままで駆けて行った。

幼少期を自然と朴訥とした人々の愛に育まれて育った少女ハイジもやがて、都会に出て行くことになった。叔母のデーテが都会からやって来て、アーデルハイドをゼーゼマン家と云うフランクフルトでも名門家である家に連れて行き、そこに居る車椅子のお嬢様の遊び相手とお勉強仲間として住み込ませると決めて来たのである。勿論、ペーターは嫌がり寂しがり、ハイジも最初は嫌がったが、ハイジにキチンとした教養をと望んだオンジに説得され、最初は渋々けれど、目の不自由なペーターのお婆さんに聖書を読んであげれるようになるんだと云う優しい夢を持ちフランクフルトへと旅立つのであった。

幼気な少女が、フランクフルトの他人の家で夢遊病になりながらも、耐えて車椅子の少女クララに寄り添う姿は、身を与え何かに尽くしてこそ寄り添うと云う真心だと教える。無垢な少女にしか出来ない優しさが描かれていて涙する。だがそんな反面ハイジは天真爛漫で無垢な屈託のない少女が故に、破天荒であった。

ハイジに、直角にしか進めないフェミニズムの旗手であるような、ゼーゼマン家の車椅子の少女クララお嬢様に仕える御抱え家庭教師ロッテンマイヤー女史は、冷ややかに厳しくあたり「アーデルハイド!」と呼び小間使いのように扱ったが、ハイジは自ら自然に抱かれて培った生きる力と知恵と持ち前の屈託のなさと率直さで、知識とプライドで頭でっかちのロッテンマイヤー女史に、本当の生きる力を教える。それは、クララにも、ゼーゼマンにも、頭でっかちなロッテンマイヤー女史にもやがて伝わり。
クララは自分の脚で独り立ち歩くのであった。

「アルプスの少女ハイジ」に寄せて
 
         作者 ヨハンナ・スピリ

         粗筋 作  心幸


「雲り、四十年前のハイジ」

道は はるか遠く何処までも続き 
やがて天と繋がる
まだ 見ぬ景色に雲は低い 
けれど 温かく上着を1枚脱いで
肩に掛け空を見上げ流れる雲を追いたくなるような そんな気分 
肩先に舞い飛ぶ小鳥たちを呼びとめ歌いたくなるような そんな気分

18才春  空雲り


              心幸


令和7年3月23日


本日の後書き

他人に指した人差し指は自分に。

人に引けよと言う前に 引きなされ
雲に歌うは 下手な鶯   

              おそ松さん

センセーと 呼ばれるほどの 馬鹿でなし
              
               堀裕嗣 
         
なんで、人差し指差す人間てタイプ似てんだろね。あんたがやるからやられんだろ、解ってないね笑笑  高学歴なんだろ?あんた。神童天才なんだろ?あんた。

神様は残酷で天使も残酷で、人間は嫌い自分は何時も被害者の他責思考、人を変えたきゃ自分が変われ(笑) 雲りがないんだろ?あんた。笑笑 相変わらずキショイねぇ。 
チュンチュンユンユン雀の合掌団
🌾🦜🌙しゃん

文豪気質はネガティブ気質?笑うとこかい?ただの厨二病センセーじゃんか笑笑 
いつまで思春期〜ぃ。

大昔、駅で配られていた同人誌や宗教の勧誘みたいな一行飛ばしや、縦横斜めレイアウトが個性ですみたいな詩が、厨二病大センセー様で面白すぎて、椅子蹴飛ばして野菜踏んづけたら潰れた可哀想に🌾🦜🌙 詩を読んだ感じマインドなんとかされやすそうだとお見受けするわ。お気をつけてね、お大事に(笑)ついに切れたの?一番歪んでるの優しくありたい、寄り添うのが得意なふりして私に寄り添えな🌾🦜🌙のあなたじゃなくて(笑)

人に指した人差し指は自分に向けなさい。ブーメランなんでしょ。

何度も言うけど、あなたが嫌いでも全然平気と言われると思う、その相手が大人ならば。それは私が「bye-bye」なんて赤ちゃん言葉を、いい大人が可愛い子ぶって使うのが嫌いなのと同じで、私ごときが嫌ったところで、その言葉は、なくならない。あなたの嫌いも同じこと、いくらあなたが嫌っても、そのものには、どこ吹く風、あなたが虐め体質や独裁者でもない限り。だから、好きや嫌いほど自分勝手なものはないと心得よ、お前の好き嫌いで世の中の善悪はかれたら、エライことなんだよ笑笑
個人的な好き嫌いと、ものの善し悪しは違うのよ笑笑 
先ずは、そこから学びなさい笑笑 

家事もそうだけど何事も完璧求めちゃうから直ぐに私だけって被害妄想膨らんじゃう。昭和初期でもあるまいし、子供も一人か、せいぜい二人の家事育児に大威張り。結婚生活二十年そこそこで大先生の仲間入り。商売上手過ぎて頭下がりました笑笑ってなんの感想じゃ笑笑 てかね、取り方に良いも悪いないのよ、歪んでるも真っ直ぐもない、有るのは個人的主観的な好きも嫌い。その好き嫌いも自分勝手の自分の都合でしかなく、それに正解はなど所詮ないのよ。お互い様だってこと、だから個人的な好きや嫌いは、公の人でない大人や子供なら自由に言えるの。公の大人だと多少影響あるから好きや嫌い言うのも気遣いが必要で大変よね。好きや嫌いを大人になっても自由に大声で言える、小市民で良かったわよね(笑)

頭良いんだったら、よーく考えよう(笑) 

うん?最後ちがいませんか?誰かの心に寄り添うものを云々…。それ、前の文脈からだと普通に「私に寄り添ってくれー」って叫んでる。誰かに寄り添うじゃなくて、自分に寄り添って欲しいから寄り添うが大事と言っている。正直になろう。最後に偽善者じゃつまらない。

今日も、楽しませておくんなはれ😆
 


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